癌ステージⅣを5年生きて 7

散骨の風ディレクター KYOKO

八十八か所の巡礼地

小豆島には、四国一周をしなくても、短い日程でご利益が得られる八十八か所の霊場がある。お遍路さんは、ゆっくり歩いても10日位で回れるらしい。島の人たちは、お遍路さんにお茶を出してもてなすが、瀬戸内国際芸術祭(前回瀬戸内アートフェスティバルと書いたが)の時も各地区でボランティアを決め、お茶やお菓子を出している。

私は無信心だが、1か所42番札所の天空霊場西の滝龍泉寺に行った。山道を車で行き、駐車場に車を置いてから、山門まで石段をかなり上る。参拝人用の木の杖を借りて、両側に並ぶ灯篭の間を、下の景色を見ながら休み休み進んで行く。その昔、弘法大師もいらしたという密教の本堂でお参りをして、さらに裏へ進むと石の洞窟が有り、湧き水と不動明王が祀られている。本堂の外廊下には手すりが付いていて、展望台のようになっている。見渡せばさすが絶景、瀬戸内海と島を切り取った様な素晴らしい景色だ。ここの屋根から下に五式の布が張り巡らされていて、遠くから来る人にも山の緑の中、一際目立っている。境内の横の大きな岩場は、鎖を使って登れるようになっていて、パワースポットらしいが私は遠慮した。昔の様に若ければ喜んで登っていただろう。

結婚してすぐの頃、ロッククライマーの夫とその友だちで北穂高の岩場をトラバース(横這い)したことがある。難所だと思っていた急斜面の雪渓をヘルメットとアイゼンを付けて登り、やれやれと思っていたら、ゴジラの背中と呼ばれる初心者の岩登りコースが待っていた。靴のつま先しか足場がない壁を、ザイルを付けているから大丈夫と言われ、必死に岩にしがみ付いて横這いする。下は何百mもありそうな岩の斜面、30m位の行程の中ほどまで行き、私は恐怖で膝が震え、前にも後ろにも行けなくなった。自ら飛び降りてしまいそうな程怖くて、私はワァワァ子供の様に泣いた。泣いても助けては貰えない。自力で進むしか道は無かったのだ。これ以上恐ろしい思いをした事はない。でも、縦方向で、鎖がある岩を上るのは嫌いじゃない。

お墓と散骨

どこでも都心から離れた地方の人たちは信心深い。かつて三宅島に行った時は、いつでもお墓に綺麗な花が添えられているのに驚いた。皆、家の庭で花を作り、お墓参りを欠かさないようにしている。この島もあちこちにお墓が有り、それぞれ綺麗にしているが、墓地の真ん中に古いお墓で作ったピラッミッドがある。家系が絶えた人や無縁様などのご遺骨が納められ、名前が見えるように縦に積み上げられている。この様にしてある墓は、ここで初めて見たが、最近、他の地方に行っても見掛けるようになった。

島でも散骨の仕事があれば、船を出した。島のお年寄りの中には、散骨を知らない人も居るだろうし、とんでもないと思う人が多いと思う。しかし最近は、身内のでなければ、散骨には反対しないという人が増えている。島でも私たちが散骨屋だと知っても露骨に嫌な顔をする人はいない。「まあ、ほんまぁ」と言って笑って誤魔化す人はいるかも知れない。都会から帰って来て、古民家カフェを始めた青年は、お祖母さんの遺骨を自分でカヌーを漕いで沖に散骨して来たそうだ。

私たちが小豆島沖に散骨したお客様に岡山の大学で英語の先生をしていたというカナダ人女性がいた。カナダから散骨の為にいらしたご遺族や教え子、友人たちは、海は世界に繋がっているのだからとみんな納得して喜んで帰る。カナダ人たちは、私たちがヨットで北米西海岸を廻っていた時のゲストブックを興味深く長い間見ていた。ゲストブックは、東京湾から始まり、ベーリング海、アラスカ、カナダ、アメリカと中南米、フロリダ、ニューヨークからプリンスエドワードアイランド等北アメリカ沿岸の港々で会った人たちの写真とメッセージが載っており、幅10㎝弱位のアルバムが2冊半になり、多くの人に楽しんで貰った。今は修復をしなければならない程ボロボロである。

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