癌ステージⅣを5年生きて 23

散骨の風ディレクター KYOKO

副作用は少なかったけれど

抗がん剤を投与して、髪の毛は無くなってしまったが、それ以外の副作用は口内炎が出来た他は無かった。それまでに抗がん剤の怖さを散々聞かされていたから、何か起こるだろうと思っていたが、嘘のように何とも無かった。最近は抗がん剤の副作用が多少軽減されて来ているようだが、私は和田からすまクリニックの指導が良かったと思っている。

頭の方は、友だちがケア帽を贈ってくれたり、高松でウィッグを買ったりして対処した。私は普段、鏡を見ない。顔を洗ったり、手を洗ったりしている時も、意識的には鏡を見ない。出かける時に化粧をする時以外は、何か鏡に映っているなと言うだけだ。あまり自分の顔と向き合うのは好きではない。鏡の前に1時間以上も座らせられる美容院も苦手である。でも、髪の毛が抜けてからは、嫌でも鏡に映っている顔が目に入り、その度に辛かった。

抗がん剤と京都通い

抗がん剤は2週間空けて投与される。投与の前には血液検査があり、担当医の診察を受ける。2回目の時は検査の結果、白血球が少なくなっていて、抗がん剤は1週間延ばされた。私は何となくホッとし、余った時間にレンタカーを借りて、高松のモールやブックオフで本を買い、屋島を見物し、楽しんで島に帰った。

1週間後に再受診すると白血球の値は普通に戻り、半日入院で抗がん剤を投与された。その後も同じような過程をたどり、2週間では白血球が増えなかった。そして、月に1度は京都に通った。家から、車、フェリー、バス、電車、地下鉄の乗り継ぎは、時刻表との勝負で、急ぐときは姫路から京都まで新幹線「のぞみ」に乗った。フェリーは1日に数本、バスも本数が少ない。それでも私たちは京都の街を楽しみ、最終のフェリーに間に合うように帰った。

神戸からジャンボフェリー

フェリーは、神戸からの便も1日2本あった。いつも利用している姫路からの船は、19時30分で終わってしまうが、神戸三宮から出る船は、夜中の1時に出て、朝小豆島坂手港に着く。いつだったか、姫路のフェリーに間に合わず、神戸からの深夜便に乗ろうとした事がある。三宮の居酒屋でお酒は飲まないが、夜中まで時間を潰し、12時前にタクシーで港へ行く。この港から出るのはジャンボフェリーで、普段乗っている船とは規模が全く違う。私たちが切符売り場へ行くと、そこには信じられない程の人が列を作っていた。建物の3階まで階段にぎっしり人が並んでいる。私たちもその列に加わって、しばらく並んだが、この人混みで船の上に朝までいる事が憚られた。それで諦めて、朝一のフェリーで帰る事にした。すでに午前0時半を回っている。ケイタイでタクシーを呼び、まだ開いていそうなビジネスホテルを探してもらった。1軒目は丁度閉まったところで、2軒目の東横インに滑り込む事が出来た。12時を過ぎていたので割引だったが、朝6時半発のフェリーに乗らなければならない。それでも目覚ましを掛け、少しは休む事が出来た。 

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