癌ステージⅣを5年生きて 25

散骨の風ディレクター KYOKO

東京からの悪い噂

2016年の夏、畑の野菜は次々と大きくなった。キュウリ、ナス、トマト、ズッキーニ、しし唐は豊作、かぼちゃとスイカは猪にやられた。

この頃から、東京の悪いニュースが入って来るようになった。散骨関係の知人から、東京の会社の嫌な噂を聞かされた。後を任せて来たMに問題があると言うのだ。彼は自分のブログに日常の写真を乗せていたが、地方の仕事先で一緒に行った女の子と楽しそうにしている写真をアップし、自慢げに吹聴もしていたらしい。そのことが、SNSに流れたりしていると言うのだ。仕事以外で品行方正を求める訳では無いが、昔から女性関係が酷いのは問題だった。再婚して子供が2人いると言うのに、いつも複数の女性と遊んでいる。それが会社に不利益を出さなければいいと思っていたのだが。

無知なる好青年

Mは6年以上うちで働き、寝食を共にした事もあり、問題が無い訳ではないが、仕事が良く出来、お客さんの受けも良かった。初めて会ったときは、年よりも若く見え、素直な好青年の印象だった。ただ、小中とも学校にあまり行っていず、夜間高校は先生がテストの答えを教えてくれて卒業できたという無知無教養の人だった。私自身学は無く、教養も有るとは言えない。しかし彼は簡単な算数や歴史もだめで、当然知っていなければならない有名偉人も全然知らなかった。本を読んだ事が無く、森鴎外なども「名前は聞いた事が有ります」と言う感じだ。私は最初の頃、随分彼にいろいろな事を教えた。私が勉強した放送大学の教材を出し、文化については、DVDで猿楽、能から、演劇、ミュージカルまで教え、有名なクラシックの曲や、易しい本を推薦し、読むように勧めた。

18歳で家を出た彼は、すぐに結婚し、子供が出来、そして離婚。葬儀屋さんに務めてからは、嫌な仕事ばかりさせられたと言う。所謂(いわゆる)、事件物の遺体の処理などだ。そこの葬儀屋さんでは、碌な人に会わなかったらしい。本を読んでいる人を見た事がないし、テーブルに足を乗せ、赤鉛筆を持ち、競輪新聞を熱心に見ている人、暇があればパチンコに行き、高級車に乗っている人。彼はその様な世界にどっぷり浸かり、真面目に長く働いて、世事にはたけていた。彼に会った時、国産の高級車に乗っていたので驚いたが、人柄は悪くないと思って採用を決めた。うちで働くようになり、少しずつ私たちに感化され、本を読む気になり、放送大学にも行くと言うので、入学金を出してあげた。しかし、教材は送られて来たまま開けもせず、勉強することは無かった。

私の姿勢

私は完璧主義ではないが、最善主義だ。心にあるのは、「この瞬間を最善に生きよう」と言うトルストイの言葉だ。私はいつも最善を尽くす。仕事に対しては、完璧を目指す。それは「人間の死」を重く受け止めているからだ。この世に在った1人の人。その存在は、身分、貧富の差に関わらず、たった一つの命だ。その最後である散骨、遺灰を海に還す事は、やり直しがきかない。だから、出来るだけその人らしく、ご遺族と一緒に、いえ、ご遺族がいなくても送って上げたいと思って来た。私は大げさなようだが、命を懸け、誇りを持って仕事をして来た。傲慢にも世界一だと思っていた。私ほどこだわりを持ってこの仕事をする人は、世界中探しても居ないと思っていたから。

「散骨の風」の仕事

最近は珍しくないが、10年位前、冬に向日葵の花を探した事がある。エノケンの「月光値千金」や暁てる子の「ミネソタの卵売り」のCDを3つの図書館を検索しても無く、何軒もの小さいレコード店を廻って見つけた事もある。日本酒の「美少年」や「南部美人」の小さい瓶も探した。蕾の桜の枝を買って来て、家の暖房で何日も温めて花を咲かせたり、私で出来る事は、何でもやった。それが他と違う「風」の散骨である。しかし、努力の甲斐も無く、無情な天気に泣いた事もある。急には用意出来ないので、あらかじめ仕入れた両手いっぱいの赤いバラを無駄にしたのである。どこの会社もそんな事はしない。「できません」、「無理です」の一言で済むのだ。そこまでして儲かる商売ではない。ある葬儀屋さんは、「なるべくお客さんの話を聞かない」と言う。手が掛かるだけで、時間の無駄だからだ。その人に私は馬鹿だと思われ、笑われている事だろう。

私たちも年を取り、跡継ぎを考えた時、候補はMしか居なかった。仕事は真面目だし、誠実にやってくれそうで、多少の事は目をつぶろうと彼に任せた。しかし、3年目で悪い噂が流れ始めた。

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