癌ステージⅣを5年生きて 27

散骨の風ディレクター KYOKO

別居生活

私と夫は離れて暮らすようになった。夫は東京で散骨の仕事に復帰し、Mとのトラブルの始末をし、自分の病院も近くに変えた。その頃彼は、目が加齢黄斑変性になり、大腸癌手術後の傷に張ったメッシュから化膿し、いつもお腹から膿が出続けていたのだ。それでも彼は、仕事で金沢に行ったり、下田に行ったり、いろいろな会社の手続きもし、気が休まる暇がなかったらしい。本当に大変だったと思う。私は相変わらず、バスに乗り、フェリーに乗り、またバスに乗り高松の病院で抗がん剤の治療を続けていた。生協があったので助かったが、ペーパードライバーの私は、病院の帰りに高松で買物をする位しか補給方法が無かった。でも、家から歩いて20分位の所にコンビニがあるのは有難かった。

忙しい中、夫は私が京都に行くときは、必ず帰って来て付き添ってくれたので嬉しかった。

手術可能

12月になり、抗がん剤の効果が出て、CTやMRI等の画像で直腸のガンは小さくなり、16個あった肝臓のガンも数が大分少なくなった事が分かった。そして中央病院の先生から、京都の和田先生からもこれなら手術が出来そうだと言ってもらえた。その上、和田先生は手術をするなら東大の国土先生が良いからと紹介状を書いてくれると言う。それは本当に幸運な事だった。京大病院にいらした和田先生は、国土先生とも知り合いだったのだ。東大病院の国土先生と言えば、当時肝臓手術日本一とも言われた名医だ。昔だったら、それこそお金を何百万も揃えて届けなければ診て貰えなかっただろう。私たちは東京に戻る事に決めた。また大変な引越しになる。

東大病院受診

1月半ば、友だちに猫の世話を頼み上京し、東大病院肝胆膵外科の外来で国土先生の診察を受けた。先生は、思ったよりも偉ぶった人ではなく、紹介状に目を通し、添付のCD画像を見て、手術をしましょうと言う。それは大船に乗った気分だった。中央病院での画像があってもまた全ての検査はしなければならない。病院の帰りに、ネットで見つけた東大病院から歩いて通える湯島の古い小さいマンションを見に行った。2Kバス・トイレ付でペット可、家賃も高くない。変な形の狭い間取りだが、都心でペット可の安い物件はなかなか無い。急いで契約し、1月下旬には引っ越す事になった。しかし、今ある荷物を全部持って行くのは無理で、必要な物と猫3匹だけを連れて越す事になった。

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