癌ステージⅣを5年生きて 30

散骨の風ディレクター KYOKO

湯島からお茶の水

湯島の狭い部屋の隅から隅まで臭いを嗅ぎ、臭いを付けると猫たちはすぐに慣れ、思い思いの場所で休むようになった。私たちも新しい町が珍しく、東大病院へ行く途中のお店をいろいろと楽しんだ。私はお茶の水生まれなのに、神田明神までしか来たことが無く、湯島天神も初めてだった。この辺も坂が多い。坂と言えばこの時は、神田川を越えた向こう側水道橋寄りの猿楽町女坂に事務所を借りていた。それは面白い作りのマンションで、女坂の階段に沿って建っている。だから坂の途中にも入口が有ってそこからも入れる。その坂の隣には男坂が有り、そちらは真直ぐで急な階段だ。事務所の側には小さな素敵な庭の教会があった。夫はその事務所で1人寝泊りをしている間、コレクションで集めたイコンのマリア様にいつも私の事を祈ってくれていたらしい、クリスチャンでは無いのだが。

昔のお茶の水

出会った時、私たちに共通だった事は、お茶の水が好きで、いつか暮らしたいと思っていた事だ。彼は出入りの山の道具屋さんが有り、暇があれば来ていて、手伝いもしていたらしい。そこは偶然小川小学校時代の親友の親が持っているビルだった。私には生まれ育った町だし、本屋さん、古本屋さんが軒を並べ、若い人が多い学生街の雰囲気が好きだった。昔は日本大学、中央大学、明治大学が有り、私の家はちょっと大きいレストランだった。50年前、学生運動が盛んな頃、催涙ガスで目が痛くなったり、荷物検査の警察官に職務質問されたりしたが、今ほど賑やかな町では無かった。私たちは静かなマロニエ通りが好きで、少し裕福になってからは、山の上ホテルで食事をしたり、バーに行ったりした。大好きなスマトラカレーの共栄堂もある。大分変ってしまったが、やはり一番好きな町である。

国土先生のカンファレンス

さて、私は東大病院の患者になり、手術が決まった。検査の結果、厄介な事が分かった。大きな子宮筋腫が有り、それが邪魔しているので、直腸の手術が難しいのだ。それで、直腸手術の前に子宮を摘出しなければならなくなった。直腸と子宮の同時手術になる。

手術前のカンファンレスには、入り切らない程のドクターが集まったと言う。もちろん国土先生の手術法に対して、勉強に来ている先生が多いのだが、私の場合の「特殊性」と言う事でも関心を呼んだらしい。66歳という高齢で、あの強い抗がん剤に耐え、癌を減らし、小さくし、手術に臨む体力があるという評判だ。私は東大病院の外科の先生の間ですっかり有名になってしまった。いろいろな先生に「あの北田さんですね」と言って微笑まれた。

手術好きの私

手術は、先に肝臓からする事になった。それぞれが8時間位掛かる手術だ。直腸は子宮と一緒にするので、12時間位掛かる。その場合、最初に婦人科の先生がメスを入れ、その後大腸外科の先生が引き継ぐ。とにかく大手術なのだが、私は別に大変だとも何とも思わなかった。手術が出来ることが嬉しく、楽しみだった。一つの山を越えるのだし、私は手術が好きなのだ。楽天的なだけなのか、馬鹿なのか、それで死ぬとは思わないし、当然成功すると思っている。

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