癌ステージⅣを5年生きて 37

散骨の風ディレクター KYOKO

今日の散骨とうちの猫

今日は雲の多い青空で気温も良く、さわやかな風の中、静かな海で実に散骨日和という感じだった。油壷の浅瀬では小さなフグがのんびり泳いでいる。今日のお客様は15年前にお父様を散骨していらして、今回はお母様を同じ場所へという事でお出でになった。散骨の時には、お母様との思い出の曲だと思う童謡を流した。童謡は1曲が短いので、リクエストの曲以外に母と子で小さい頃に唄いそうな曲をいくつか用意しておいた。その中に「ぞうさん」が有り、夫はそれを聴いてジーンと来てしまったそうだ。うちにいる猫のゾウさんを思い出したのだ。「そうよ、母さんが好きなのよ」と言う部分らしい。うちのゾウさんは11㎏の牡の茶トラの大猫なのに甘えっ子で、私の事が好きで好きで堪らない。自分からはあまり積極的に来ない癖に、私が馬乗りになって後ろハグをすると「ゴロゴロゴロゴロ」止まらない。夫は猫のトイレ係だが、やはりごはん係の私が好かれる。年寄り雌猫のSORAは、かなり小さい頃に親とはぐれたので、すっかり私をお母さんと思っている。未だに私の姿が見えないとミャーミャーと親を探す声を出して私を呼ぶ。夫はあまり構わず見ているのが好きなのだが、ゾウさんにたまにスリっとされると凄く喜ぶ。子猫が欲しい子猫が欲しいといつも言っているが、私たちの年ではもう無理である。ゾウさんは、私が起きると私のベッドで枕に頭を乗せて寝る。私が疲れて昼寝をするときは、ゾウさんの後ろに身体を入れ、ゾウさんを撫でながら寝る。夜になるとゾウさんはいやいや隣にある専用ベッドに行く。今度はSORAが私の腕を枕にして寝る。この子たちはいつも私に癒しをくれる最高の宝物だ。

書くという事

今日いらした方は、私のこの連載を読んで下さっているので、「友だちみたい」と言って下さり、私はとても嬉しかった。私もいつもお客様と長時間話していると友だちのように思ってしまう。

私の下手なつまらない話も何人か楽しみにしてくれる人がいて、恥ずかしくも嬉しい。病気になって、最後の最後にやっと書く事を始め、勝手な事を書いているのがとても楽しい。若い時は、そのうち何か書こうと思ったり、全身仕事だったり、その時その時のしたい事、楽しみを優先して生きていた。年を取って言葉も出なくなり、表現する思考も働かないのが残念だが、書く事は自分にとっていい事だと思っている。

時間が前後して、部分的に読んだりしている方は、戸惑うと思うが、手術などの病気の話は約5年位前、外国の話などは25年以上前の事で、現在はその時とは違う事も多い。前回書いたイギリスのケーキ屋さんは、今は行列が出来ているらしい。

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