癌ステージⅣを5年生きて 40

散骨の風ディレクター KYOKO

少し長い言い訳

今日で40回になる。なんでこんな詰まらない散骨と関係ない文章を書いているか、少し言い訳をしたい。よく「言い訳などするな」と言うセリフを聞く。だが、私は言い訳が好きだ。何でもとことん話し、聞き、納得してほしいし、納得したいからだ。大抵の事件の場合、犯人が捕まれば、その動機の部分は語られないままその事件が忘れ去られる事が多いが、私はその動機に興味が有り、犯人からじっくり聞いてみたいと思う、言い訳を。

検索サイト

私の場合は、わが社のホームページを検索サイトで少しでも上にしたいと思い、書くことも好きだから、恥をしのんで書いている。普通の人が散骨をしようと思った時、ほとんどはインターネットで検索をするだろう。その場合、少しでも上に居なければうちの会社の存在など知られる事もなく、他社と比較されようもない。私たちが始めた頃には、葬儀社で散骨をしている所や「葬送の自由を進める会」以外に散骨屋などなかった。今でも散骨専業は少ないと思うが、副業や異業種参入などを入れれば何百とある。昔は優良企業が上位にいた。しかし、今はやはりお金だ。上位にあげますと言うIT企業も多く、うちも一時使ったことがある。でも今は、評価ロボットの基準も良く分からず、それでも毎日HPを更新している方が評価をされると思い書いているのだ。

サンプルとしての私

それでも私と同じように、重い病を抱えている方に希望と元気をあげられたらと言う気持ちが強い。いつまで生きるか分からない私だが、今日はとにかく元気に生きていて、その元気を生み出す物が何だか分からない。私の性格もあるかも知れない、この生き方が良いのかも知れない。いろいろな私が集まって私は生かされている。本当を言えば内向的で、考え方も決して明るくも軽くもない。どちらかと言えば、とても重く、ペシミストでストレスのお風呂にどっぷり浸かっている。それなのに楽天的にも信じてもいない神様に愛され、私は大丈夫と思っている。

私のおしゃべり

とにかくそんな訳で、私は文章を書き続ける。下手で詰まらなくても、めちゃくちゃでもアラビアンナイトのようにしゃべり続ける。普段でも私はおしゃべりだから、何時間でも何でも話し、キリがない。今、亡き師二宮フサ先生の翻訳した「無冠の王妃マントナン夫人」を読んでいる。上下2巻で、文庫本の左右の余白が5㎜しかなく字がぎっしり詰まっている。こんな本は初めてだ。彼女が70歳の頃に出版され、頂いてから何年も経つのに読めないでいた。内容は、ルイ14世の正室であった彼女と、その時代の社交界が描かれている。16世紀の知らない人の名前が次から次へと出て来て大変だ。その中のサロンのようなものがあったら、私は毎晩ワインを飲み、しゃべり続けた事だろう。

前の記事次に続く