癌ステージⅣを5年生きて 42

散骨の風ディレクター KYOKO

うれしいお見舞い

今回は、手術が多臓器に渡っていたせいか退院まで2週間掛かった。その間に順天堂大学病院の元看護師で系列の学校の講師をしている友だちがお見舞いに花を持って来てくれた。しかし、師長さんに「花はダメです」と言われてしまった。百合など香りの強い花はダメなのも分かるが、東大病院では全部ダメなのだ。私は花を見ると心が晴れるので、本当はいつも飾って置きたい。でも、友だちのお見舞いは嬉しい。早速、タリーズへ行ってカフェオレを飲み、おしゃべりをする。話し相手が居ないから、たっぷりおしゃべり出来るのが本当に楽しい。彼女は私があまりに元気なので驚き、喜んでくれた。私は本来重度の死ぬ一歩手前の病人なのだから。彼女は病院に勤めてから、子供も2人いるのに出世魚の如く出世し、肩書の名前がどんどん変わった。とにかく努力家で、外国の大学の通信教育を受け、論文を書き、ドクターの資格を取った。病院でもかなり偉いらしい。現役看護師長の頃は特別室担当で、小渕元首相や赤塚不二夫氏なども担当したらしい。散骨の仕事を始めた時には、上智大学の死生学、デーケン先生の講座にも誘ってくれ、衣笠ホスピスに勤めていた彼女の友だちの女医さんも紹介してくれた。

病院と食事

私は病院食に飽きると夫とタリーズにパスタを食べに行き、15階の精養軒にもパジャマで洋食を食べに行った。15階だけあって、景色もとても良い。晴れていればスカイツリーも見える。私はずっと自営業で土日も夜も無く年中忙しかったから、主婦らしい事はほとんど出来なかった。だからいつも外食で、味にはうるさいと思うが、東大病院の食事は決して不味くはない。高松では2病院に入院したがどちらも甘かった。だいたいお醤油が甘めなのだ。お雑煮にあんこのお餅が入っているお国柄だ。私はこのお雑煮は嫌いではない。横須賀の病院は美味しくなかったし、関東労災病院も推して知るべしである。東大病院では、自分のベッドでも食堂でもどちらでも食べる事が出来たが、関東労災病院では食堂に行かなければならない。だいたい個室が無く、個室を望んだ私は、「社会性が無い」と師長さんから怒られた。それでもラッキーに2人部屋で片方が空いていた。だから夫が伊勢丹で買って来るご馳走を2人で部屋で食べていた。いつでも食欲があるから、内臓を大分取ったのに全然体重が落ちない。

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