癌ステージⅣを5年生きて 43

散骨の風ディレクター KYOKO

コロナ禍の若者

新型コロナの発生、感染、予防が生活の一部になって1年半、もう人々は、人と会えない生活に耐えられなくなって来ている。私たち高齢者や中年後期位の人にとっては、1年が短く変化も乏しい。しかし、子供や若者の1年は長く、変化が激しい。その1年1年がとても大事で、普通の小学校1年生も中学校1年生も20歳の人も、その1年は取り換えしがつかなく大事だ。私の青春時代は、勉強よりも友情、学校には友達に会いに行っていた。片思いの男子にも会いたかった。勉強や仕事はリモートでもできるかも知れない。しかし、直に会う交友から学ぶものは大きい。私の時代はそうやって、どれだけ多くのものを得たことか。本当に今の若い人たちを可哀そうに思う。もちろん戦時中の様に、不幸から学ぶ事も多いとは思うのだが。

メンタルヘルス

メンタルヘルスの重要性が、問題になってから久しい。コロナ禍では、問題も増えている。テニスの大坂選手の例もあるが、私も長年メンタルクリニックに通い、薬を貰っている。40代後半位までは、自分で何とか立ち直っていた。自分の悩みや愚痴を聞いてくれる友達がいたお陰で、誰かに話せば救われた。しかし50代になり、私は気が付いた。話すだけではダメなのだ。本当に理解してくれる人で無ければ、傷の痛みは経験しない人には解らない。私はその頃、いろいろと複雑な問題を一度に抱え、頭が壊れそうだった。そのままでいたら気が狂ってしまうのではないかとパニック状態だった。ちょうど心理学やカウンセリングを勉強していた時期で、カウンセリングを受けたいと何度も思った。アメリカでは当たり前のように皆カウンセリングへ行くが、日本ではやはり高額で、保険が利かない治療だから無理だった。それで私は精神科を受診した。最初の先生は、ご高齢の女医さんで、私の話を大まかに理解し、薬を出してくれた。私は自分でパニック障害だと思っていたが、一般的なパニック障害とは違う。それは極度の不安と鬱が混ざっていて、それを踏まえて仕事も行動も出来た。それで抗不安薬と抗うつ剤と何か気分が晴れるような先生も飲んでいるという薬に睡眠導入剤を処方してもらった。私は学問として、いろいろなカウンセリングの療法を勉強した。しかし、今は脳科学が進み、薬がかなり有効だという事も知っていた。それでも自分がカウンセラーの卵だったせいもあり、最初は薬を疑っていた。でもその時以来、私はずっと薬を飲んでいる。もう、飲まない方が怖い。今の私は、薬の効果の上に成り立っているのかどうかは分からない。予防薬として飲んでいるとも言える。薬を飲んでいても、落ち込む事はあるし、鬱っぽくなる時もある。でも不安症状は起こらないし、ほとんど落ち着いた気持ちで生活できるのは、薬の効果が大きいのかも知れない。しかし、私が癌や死を恐れないのは、薬の効果では無く、私の生き方だ。

治療の勧め

だから私は、積極的にメンタルクリニックなどに行くことをお勧めする。治療費は保険なら高額ではないし、薬も進化し良くなっている。それに今は、心療内科や精神科も、都会ではみんな普通に行っていて敷居は高くはない。私はカウンセリングも生業としているが、高額なだけになかなか普通の人は難しいと思う。薬とカウンセリングを併用できればベターだ。それは医師の場合、初診以外は5分位しか話を聞いて貰えないからだ。しかし、勉強していた経験から言えば、カウンセラーも相性があるので難しい。理知的な人が多く、テクニックで話を聴く人が多いのだ。私は理知的ではないから、ひたすら相手に寄り添いたいと思っている。

自殺志願者

私は前に無料どころか持ち出しで、5人の自殺志願者と話した。専門家には違法だと言われるであろうが、止めるために三重県まで行ったりした。また大阪で生活保護を受けている男性は、自殺した奥さんを「風」で散骨した人だったが、何度も本気で死のうとし、その度に助けられている。笑い話のようだが、何度目かの時は、南紀辺りの自殺の名所で、崖から飛び降りたら、海上でお巡りさん達が網を持って待っていたという。そしてずぶ濡れの彼を介抱もせず、「大阪へ行け、西成区へ行け、そして福祉に相談しろ」と言われたそうだ。彼は裸足で濡れたまま、夜の山道を一晩中歩き、大阪で保護された。彼の言い分がいい、「死のうとしたのに、夜の山の中で獣けものの鳴き声を聞き、襲われるのではないかと怖かった」と。彼は今、同じ境遇の人たちのボランティアをしている。私があげたお守り袋の1万円札に気が付いただろうか。「困ったときには、開けてみて」と言っておいたのだが。他には宇都宮のオジイサン、愛媛の女の子、天草の女の子もいた。

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