癌ステージⅣを5年生きて 44

散骨の風ディレクター KYOKO

6月の散骨

昨日は葉山から船で出て、相模湾を南下し、城ヶ島北西で散骨した。今年の梅雨入りは早いが、関東でははっきりしない日が続く。少し前までは、海が一番静かなのは、何時ですかと聞かれれば、6月です、と答えていた。雨が降ったとしても、風が無く、波が穏やかな日が多かったのだ。そして台風が来なかった。でも、温暖化の今、気象状況は変わり、天気予報は当たりにくい。特に昨日の天気は難しかった。長期予報では曇りで、風も波も無さそうだった。しかし、1昨日になって予報は朝の時点で、一時小雨、波風無しだった。しかし、夕方から夜にかけて雨模様が変わり、お昼前後に強雨となった。

今回2回目になるお客様は、お母様のご遺骨をお父様と同じ所へと言うご希望で、乗られる方は3人だが、皆船に弱いので大きな船を希望された。それで、海が静かで天気良い土日という事だったが、第一希望日は荒天で延期になり昨日になった。天気のことでは、始終連絡を取り合い、昨日は良いだろうという事で話は進んでいた。しかし、大雨になるかも知れないという予報に変わり、お客様は悩んだ。散骨の場合、雨がどしゃぶりで前が見えない状況か、強風高波以外は決行する。その点を理解頂き、昨日も出航した。朝には予報が外れるかもと期待したが、やはりお昼に雨は強くなった。明るくてハワイがお好きだったというお母様には、晴れが似合ったと思うが、どなたも船酔いされずに散骨が終わった事は幸いだった。

オリパラ好き

私は5年前に癌になってから、去年行われるはずだった東京オリンピック・パラリンピンクを楽しみに、それまで生きたいと思って期待していた。それがコロナで1年延び、私は非常にがっかりした。今年になったオリパラまで私は生きられないと思っていた。今年に入ったら、いつ死んでもおかしく余命だった。だから今も7月のオリパラが開催になっても私は生きているか分からない。でも、今の元気さを見ると多分大丈夫だと思っている。

オリパラと命

今、コロナで開催を反対する人が多い中、楽しみに生きているのは、私だけだろうか。アスリートを持つ両親、祖父母が来年まで生きていられる保証はない。出る予定のアストリートが来年出られる保証もない。少数派にも命は掛かっている。なぜ、具体的では無く誰かが確実に死ぬかもという可能性をオリパラのせいにするのか。オリパラをすれば必ず人が死ぬのか。どうして普段叫びもしない「命」をオリパラのせいにして叫ぶのか。私もコロナ禍を生きている1人だ。夜の外食や盛り場は出来るだけ避け、マスクと手洗い・消毒、大声を出す人の側からは逃げる。それでも病院には月2,3回行く。すいているスーパーに行く。それぞれが気を付ければ、余程運が悪くなければうつらないと思うのは、私の間違いか。

運動音痴

私は前の東京オリンピックをテレビで観た。私の中学では人気のない競技の入場券をタダで貰えた。当時は、サッカーもラグビーも人気が無く私も行かなかった。私は命を懸けて練習しているアスリートたちが大好きだ。自身は運動音痴で、小学校の時、逆上がりも跳び箱もボール投げさえできず、通信簿に1が付くのはとても恥ずかしかった。担任の女の先生は優しくて大好きだったが、出来るようになるコツを全然教えてくれなかった。たまたま隣のクラスの背が高くハンサムで佐田啓二(中井貴一のお父さん)似の先生に教わったら、金鎚の私が泳げるようになった。高学年になり、走るのは早くなった。今思えば、跳び箱も勢いよく走り、踏み板を思いっきり踏めば飛べたのだろう。すべてにそう言うコツが掴めなかった。絵もそうだった。ただ紙を渡され、描きなさいと言われてもテクニックなどは何も教えてくれず、下手な人は下手なままだった。さすがに習っている子は上手い。

純粋なアスリートと裏のお金儲け

大人になって、スポーツ観戦がとても好きになった。どちらかと言えば、文化派であったのにスポーツの嘘のないアスリートの頑張りにいつも感動し、人間の素晴らしさを感ぜずにはいられない。そしてとても幸せな気分になる。誰を応援していると言う訳では無いが、その感動を味わい生きる力に変えている。

その反面、企業やメディア、IOCを非難する声も聞こえる。選手の影の不純な人たちがお金儲けの道具にしていると言う事も。それでも人生を懸け、努力している人たちが報われなければ、私は我慢できない。 1年という時間はある意味残酷過ぎる。それで一生が台無しになった人もいるだろう。長い目で見れば、それでもアスリートだった経験は無駄にはならないとは思うが。

こんな状況になったのは、すべてが後手後手に回っている政府の責任だとも思う。つなみや原発事故同様、初めての事だからというのは分かるが、平和な日本の危機意識が低いのも問題だと思う。メディアやジャーナリズムも多数派に乗っかる傾向にあり、それもある意味怖い。

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