癌ステージⅣを5年生きて 49

散骨の風ディレクター KYOKO

生まれ変われば

私は今、本気では、前世も来世も信じてはいない。冗談には、今度生まれ変わったら、猫が良いとか、天敵のいない鳥がいいとか、言って楽しむ。前にカウンセリングの授業で、来世はオペラ歌手になりたいと書いて、隣のおじさんも同じで意気投合した事があった。しかし、人間は何になっても大変そうだ。

日本を出て太平洋を渡る時、私は来世を信じていた。例え太平洋で沈んでも、また生まれ変わるからいいと。私はとても臆病だから、荒れるかも知れない海にヨットで居て怖くないはずがない。だから、ひたすらその頃流行っていた生まれ変わりを信じたのだ。「生まれ変わりを書いた」シャーリー・マクレーンの本はベストセラーになったが、とても説得力があった。旅は好きだし、外国にも行きたいし、夫の側を離れたくない私には、それ以外の道はなかった。

私の前世

そしてバンクーバーに着き、ある日本人の女の人と親しくなった。彼女は、前世を見てくれる人を知っていると言う。インチキでは無いと思うと言う彼女を信じ、ダメもとで連れって行ってもらった。私は好奇心が強く、嘘でも興味があった。そこには予約を入れていたので、カナダ人のガッチリした髭をはやした男らしい中年の男性が待っていた。私はあまり英語が話せないので、彼女に通訳をしてもらい、カセットテープにも採ってもらった。私は自己紹介をし、生年月日を言った。彼は特に何をするでも無く、瞑想なのか、インスピレイションを述べている感じだった。まず、エジプト時代である。私は皆から税金を徴収している男だ。次にバビロン。私は踊り子で踊っている。それからしばらくして、ポルトガルで楽器を作っている。そして中国にいた。私は皇帝の第2夫人で踊り子だった。それが一番高位だと言う。その後、シンガポールで海賊をし、最後に日本で、江戸時代の前辺りか、出雲の阿国のような踊り子だったらしい。

他にもあったかも知れないが、忘れてしまった。でも、聞いていると踊り子だった過去が多く、何となく納得してしまう。昔から、音楽が流れると踊り出したくなるのだ。小さい頃にほんの少し習った日本舞踊も大好きだった。習っていた先生の急死で止めてしまったが、続けていれば才能があったのではと、勝手に思っている。それにうちの親戚には芸者が多い。しかし、その男の人に「近い未来も分かりますか」と聞くと「分かる」と言うので聞いてみた。その時私は39歳であったが、この後オペラ歌手になるという。それも本格的なプロの歌手に。そこで私は、少しがっかりした。有り得ない事だからだ。代金は200カナダドルだったと思う。嘘でも面白い経験をしたという事で満足だった。

当たるも八卦

しかし、私はもちろんオペラ歌手には成らなかったが、素敵な偶然が有り、新宿区の区民オペラに合唱として出ることになった。それも大好きな「椿姫」の舞台にだ。夫も誘い、一緒に「乾杯の歌」を歌おうよと言ったのにダメだった。私はメゾソプラノとして1年間練習に通い、当日は結婚式場払い下げの黄色いドレスのファスナーをやっと締めて纏い、若い男の子と腕を組んで、舞台の上で歌った。チケットのノルマがあり、夫は友達に食事を付けるから来てと接待にいとまがなかった。

占いは、ほんの少しだけ当たった。でも、その舞台の2日間は最高に幸せだった。主役などではない、その他大勢で舞台に出られたら気楽だし、素敵な衣装なら通行人などやってみたい。

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