癌ステージⅣを5年生きて 57

散骨の風ディレクター KYOKO

猫の脱走 ニューヨーク編

28年位前になる。私たちがヨットで大西洋からハドソン川に着き、マンハッタンに住んだ頃だ。ホテルを転々としていた私たちは、アパートを買うことにして、いろいろ見て回った。すると思いがけず、裏庭付きのアパートが売りに出ていた。5階建て地下付きの1階だ。間取りも2人で住むのに丁度良い2DKで、裏庭は部屋よりかなり広い。ドルが80円台だったから、値段も手ごろで東京よりかなり安かった。大分古くて配管など心配だったが、ニューヨークは町全体にヒーターが流れていて、取り敢えずは安心だ。それと管理費がかなり高く、それは東京の家賃並みだった。だから買い手が居なかったのだ。それに書類審査や現地の保証人や住人達の代表との面接がある。弁護士も必要だ。

庭付きアパート

何とか条件をクリアして、一緒に旅した猫のグリに広い庭を与える事ができた。庭には大きな木が有り、周りを木の塀やレンガなどで囲まれている。ここは82丁目アムステルダムSt.とブロードウェイの間、自然史博物館の側だ。セントラルパークまで2ブロック、アッパーウエスト、カジュアルな住宅地だ。マンハッタンのビルの裏は、ほとんどバックヤードがあるのだ。夏にはセントラルパークから蛍が来て、リスも年中遊びに来る。野鳩なども来る。

本当はグリちゃんを放し飼いにしたかったが、奥のレンガの壁を上りそうで心配だった。だから紐をつけて出していた。それでも頓馬な野鳩を捕まえたり、リスに馬鹿にされ、鼻を叩かれたり庭を楽しんでいた。グリが怪我させた野鳩は獣医さんに連れて行った。タダで治療してくれたが、「もう、やったらダメだよ」とグリは釘を刺されてしまった。

東京⇔ニューヨーク

その頃、私たちは東京とニューヨークを月に1回往復していた。

25日にスタッフにお給料を払うためだ。留守の間のグリの世話は、知り合いになった独身の日本人にバイト代を出して、家に泊まりに来て貰った。最初の子は、ドラマ―でグリニッジビレッジなどで前座をやったり、バーでバイトしていたりした。その子はあまり猫の事を知らず、1度「グリが変な声を出すんですけど大丈夫でしょうか」と東京に電話をして来た。グリは去勢していたが、やはり盛りが付くと変な声を出して鳴いたのだ。

バイトは何人か変わり、感じのいい女の子が見つかった。ところが、ある雪の日、私たちが家に着くと、彼女が慌てて「グリちゃんがいなくなっちゃったんです」と泣きそうだ。私たちもあせった。大事な大事な夫の親友だ。夫は日頃グリに「俺たち男はなぁ」と言って可愛がっていた。私たちは荷物を置き、気違いのように探した。両隣の家に行き、うちの猫を見なかったか聞き、裏の家にも行った。裏の家は留守だったから、庭のレンガプラス木塀を越え黙って侵入した。さすが元クライマー、軽く越えて行ったが、見つかったら銃で撃たれても仕方がない。雪の積もった庭を探し、やっとそこにグリを見つけた。もう、言葉にならない位嬉しくて、ホッとした。こんな異国の都会で、言葉も上手じゃないのに。でも、私たちが帰ったその日で本当に良かった。1日違っていたらと思っただけでもゾッとする。次の日に裏の家へ行き、庭を荒らした訳を言い、許してもらった。

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