癌ステージⅣを5年生きて 64

散骨の風ディレクター KYOKO

3度目の肝転移

2月に手術をして半年、もう転移らしき物が肝臓に見つかり、CTに始まり次々と検査を受ける。抗がん剤の治療をしていたにも関わらず、こんなに早くガンが育つなんて。MRIの機械は昔と随分変わった。今でも閉所恐怖症かどうか聞かれる。私は閉所恐怖症ではない。トンネル恐怖症と言うのもあるのだが、それでもない。カナダに居た時、知り合ったカナダ人の車に乗り移動した事がある。その時、「この先にトンネルがあるけど大丈夫?」と聞かれた。その人はそんな恐怖症の人を知っているのだろう。私はまだ会った事がない。でも60年前、バスで上高地へ行くトンネルは、掘ったまま岩がデコボコとむき出しで長く狭く怖かった。途中の道も舗装されていなくて狭く、バス同士がすれ違う時にはガードレールも無く、下の谷底へ落ちそうでもっと怖かった。トンネルには怪談話も多く、それも嫌だ。大体はバイクに乗った人が抜き去ってこちらを見ると骸骨だったとか顔が無かったと言う話だが。幽霊は苦手である。出遭った時は、そうだとは思わないものかも知れない。夫は昔、夜にヨットで東京湾を走っていた時、目の前をたくさんの男の人が歩いているのを見たと言う。ヘルメットを被り、全員がスコップを担いでいて労働者風だった。何かの工事が有り、海で死んだ人たちかも知れない。私は幽霊を信じないと言うより、私は絶対遭わないと決めている。そうでなければ生きていられない、物凄く怖がりだから夜中にトイレにも行けなくなる。でも、人の話は一応信じる。たまに霊感が強い人が居て「ほら、あそこにもいた」などと、よく言われたが、嘘をついているとは思わない。その人には見えるのだ。ある人には妖精が見えたらしい。

MRIとPET

MRIに初めて入った時は、やはり恐ろしかった。25年位前だが、その頃は全身で、狭い天井が迫っている筒のような物に横たわって入る。手にはナースコールを握っている。薄暗い光があるが、ほとんど棺(ひつぎ)に入った気分だった。その時は時間も長く、30分以上だったような気がするが、「絶対動かないで、咳もしないで下さい」と言われ、大いに緊張した。中では電波で磁石を振動させる電子音が定期的に鳴り出す。今は棺というほどスッポリ入らず、体の半分は出ていて時間も短い。PETは薬物を投与し、膀胱を空にしてやはりMRIのような機械に入るが音はしない。MRIより安静にして待つので時間が長いが気は楽だ。両方とも大変高額な機械だから、特にPETがある病院は少ない。保険はきくが検査代も高い。

手術後の絶叫

私は10月の始めに肝臓の再手術が決まった。主治医は金子順一先生で安心して任せられる。私も3度目だから慣れたものだと言うはずだが、慣れているのは気持ちだけで、細かい手順はいつも聞かなければ分からない。だいたい嫌な事はすぐ忘れる性質(たち)なのだ。気持ちとしては、肝臓なら減らないから、何度でもどうぞという感じだ。

そしていつもの様に手術は終わった。ICUから直接自分の個室に戻ったが、それからが大変だった。我慢できない痛みが続く。、私は出産の痛みは知らないのだが、最高級の痛みだ。とにかく痛くて叫びまくった。そのフロアー全部に聞こえるのではないかと言うほど大声で叫び、喚(わめ)いた。昔ブロック注射をした時、とても不愉快な嫌な痛みを経験した。2度としたくないと思うほど嫌だった。今回はそんなものではない。私は我慢強い、しかし痛みに弱い。もう絶望的な気分だった。看護師さんたちは、「変ねぇ、痛み止めも入れているのに」という感じで、すぐには処置してくれない。結局、強い痛み止めを追加されて、何とか治まった。後から外科部長の先生が来て、「ああ、これは骨も削ったんだな」とカルテを見て言った。骨を削るとやはり痛いものらしい。私の傷口は脇の方へ少し伸びていた。肋骨まで行ったのだ。原因が分かり、痛みが取れれば、元気なものだ。今日のお昼ご飯は何かなとメニューを見に行く。

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