癌ステージⅣを5年生きて 85

散骨の風ディレクター KYOKO

肝臓転移4回目

2019年4月、4回目の肝臓手術をした。その年の始めに腫瘍マーカーで再発しているらしいと言われ、いつもの事前検査になった。東大病院は、それぞれの検査が混んでいるので、予約を取るのに時間が掛かる。手術も混んでいて、3カ月後の手術となった。手術が終わるたびに、もうこれで終わったという気持ちになるので、転移が見つかるとがっかりする。それでも肝臓手術は慣れたものだと思っていた。しかし、肝臓でも場所によっては手術が出来ない。肝臓癌で亡くなる方は少なくないのだ。今回は太い血管に近いため、難しいと言われたが、きっと大丈夫と気分は楽観的だった。

今回の手術も、やはり前の縫い目の下の癒着を剥がすのが大変だったそうだ。術後の説明では、5百円玉大の癌が左右の静脈に食い込んでいたと言う事と、輸血はしないで済んだと言う事を聞いた。そして抗がん剤治療の事を消化器内科の先生と相談するように言われた。

私は前回ほど痛みが無く、気が付いたら2人部屋の廊下側ベッドにいた。隣にはすでに窓側ベッド待ちの人が、他の部屋から入って来るらしい。どんな人が来るのだろうと心配していると、50歳位の女の人が来た。病院ではほとんどが同じレンタルのパジャマを着ている。よほど個性が強い人でなければ、どんな感じか形容の仕様がない。とにかく特徴がないのは、相部屋としてはいいと思う。

隣の患者

最初のうちは、特に会話する事もなく互いに静かにしていた。看護師さんの言葉だけが聞こえる。私は痛みのコントロールが上手く行っていて、順調に回復していた。間仕切りのカーテンを閉めているから互いの様子は分からない。しかし、隣で話をしている看護師さんのきつい言葉が気になっていた。何か厳しい事を言っているのが聞こえて来る。「本は、読みましたか。しっかりと心して読んで下さいよ」などと聞こえる。私はしばらく黙っていたが気になって、少し時間が経ってから、彼女に声を掛けてみた。「看護師さん、厳しいですね」と。すると彼女は、「ええ、手術までにこの本をちゃんと読んでいないといけないんです」と言う。私は手術に対しての心構えかと思い「大変ですね、どんな手術ですか」と聞いた。ここは肝臓病患者のフロアーだから、肝臓が悪いのは分かっている。「私は癌の肝臓転移4回目なんですよ、手術は終わったんですけど」とも言った。彼女は「私は生体肝移植なんです。夫の肝臓を貰うのですけど」と。「それでこの本には、如何にドナーの人に感謝しなければ、いけないのか、命の尊さ等が書いてあるんです」と言う。「とても長くて全部読むのは大変です」とも言った。そして手術前に1カ月、手術後も2カ月以上は入院するそうだ。近々旦那様も入院して来る。

生体肝移植手術

私は先ほど廊下ですれ違った、男女のカップルの事を思い出した。2人ともパジャマを着ていて、抱き合うように歩いていた。とても嬉しそうで、「良かった」というような事を言っていた。そうだったのか、彼らも生体肝移植手術を行い、上手く行ったのだ。そういえば東大病院では、生体肝移植の手術に力を入れていて、スケジュールなどから、その手術は優先されている気がしていた。

この手術は、元気な人から肝臓を分けて貰うのだから、条件が厳しい。自分の意志で進んで肝臓を提供する事、血液型などがレシピエント(移植される人)と合致する事、それにドナーの肝臓の状態が良い事、65歳以下の人などで、ほとんどのドナーは家族だ。それにしても大変な覚悟がいる。ドナーも仕事を休み半月以上の入院になる。費用も高い。保険が無ければ2000万円は掛かるし、保険が有って3割負担でも大変な費用だ。

私と彼女は暇なので、よくおしゃべりをした。ほとんど私が話していたと思う。それでも彼女は、私の話を興味深く聞いてくれた。私とは違い、まともな家庭の良妻という感じの方だから、自由過ぎる私の話に一々驚く。私は肝臓手術の先輩として、術後の口の渇きの取り方や病室での過ごし方なども話した。肝臓は切っても切ってもトカゲの尻尾のように再生するが、家族2人で入院するのは家庭としてのリスクもあるし、絆は深まるだろうが、並々ならぬ思いがあると思う。テレビドラマの様なそんな大変な手術の人が、私の隣に居るとは思わなかった。私は退院してから、彼女に口の渇きを止めるスプレーと暇潰しの刺し子セットをお見舞いに持って行った。生体肝移植手術は数多い手術では無いだけに、大学病院としては、研修医に学ばせる良い機会であり、力を入れるのも分かる。

私はO型だけど、私の肝臓などもう誰の役にも立たない。

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