癌ステージⅣを5年生きて 89

散骨の風ディレクター KYOKO

ちょっと贅沢な暮らし

前回、晴海の家の事を書いた。散骨の仕事を始めて間が無い頃である。私たちは、晴海に出来た公団住宅に応募した。32階建てだったと思う。そのペントハウス、中庭付きを選んだ。倍率は覚えていない。しかし、母と同居しようと思っていたので、高齢者同居枠が優先で、見事当たってしまった。晴海ふ頭側の運河沿いだ。眺めが良いのは勿論だが、隅田川の花火は少し見える程度で、お台場の観覧車が見え、ディズニーランドの花火が小さく見えた。高層だからベランダはない。窓からの風は凄い。お風呂場には浴室乾燥機が付いていた。ごみは、その頃分別では無かったので、一気に地下まで行くダストシュートが廊下に付いていた。駐車場も地下にあった。

ここの素晴らしい所は中庭だ。一坪くらいでは有るが庭だ。私たちは猫足のバスタスタブを買い、観葉植物を置き、そこを露天風呂にした。温泉で無くても、温泉の素を入れ、新鮮な空気を感じ星が見える。お湯を引くのにお風呂場も近かった。またまた夢が一つ叶った。一度高層住宅に住んでみたいと思っていたのだ。この建物は、揺れにも強かった。上層と下層はあまり揺れず、中層が多少揺れるらしい。母を誘ったのだが、前にも書いたが、妹の事を心配して同居はしなかった。それで1室は散骨の事務所にした。その頃は、同業者も居ないに等しく、仕事もそれ程多くは無かった。だから家賃が高いこの部屋に住むのは掛けにも等しかった。この前に住んで居た代々木のマンションは、ここが当たったので1年は居なかった。だからこのマンションにも長く住めるとは思わなかった。私は身を持って、体験がしたいのだ。私たちの生活は引っ越しの伴うホテル生活の様なもので、経済的に許せばそれも憧れた。

ペット不可、グリ同居

公団だから、ペットは不可である。でも、私たちはグリを連れ込んだ。グリはヨットで旅をし、ニューヨークの一流ホテルにも泊まった。泣かないし、粗相をしない。爪も爪とぎで研ぐ。船にも車にも汽車にも飛行機にも乗れる優良猫だ。ただ、グリにも欠点はある。太り過ぎと場合によっては少し乱暴だ。人見知りはしないが、知らない人に構われるのが嫌で、3人怪我をさせた。そのうち私ともう1人は点滴を受けた。嫌がる事をしなければ、手は出さず爪も出ない。爪を切っていなかった私もいけないのだ。

グリはアラスカの桟橋やNYのセントラルパーク、四ツ谷でもリードを付けて夫と散歩をした。四ツ谷の1車線道路では、トラックなど大型車が来ると夫が合図をすれば、夫の足の側から離れなかった。だから、飼っていてもペットが居た痕跡はない。その時便利だったのが、ダストシュートである。猫の砂も空き缶もみんな他のごみと混ざり、分からなくなってしまう。残された問題は1つ、グリの移動だけだった。いつも籐のバスケットに入れ、エレベーターに乗り、地下駐車場に直行して車に乗せる。人に会わなければ問題は無いし、会っても鳴く事はまずない。でもいつも、エレベーターの中では、心の中で鳴かないでと祈っていた。前にフェリーで北海道へ行った時もそうだった。船内ペット不可だから、私はカバンに彼を入れ、乗船口でチケットを渡した。車と同乗者は別だったのだ。その時も、動かないで鳴かないでと祈った。

それでも船が好き

この建物はトリトンスクエアーに隣接していて、レストランやお昼のお弁当販売などが利用しやすく便利だった。勝どきの駅も近く、今ほど混んでいなかったので地下鉄も利用した。それに何と言っても築地が近い。銀座も歩いて行けた。安いお寿司屋さんは探したが、高級店とは無縁だった。この頃は殆ど稼ぎが無いし、グリを連れて船に行く事が多かった。その時は、散骨用に買った船で、ヨットでは無く、中古のモータークルーザーだったが、家にあったピアノが置けた。そして、パーティにも丁度良く、船用のガラスのワイングラスをたくさん揃えた。しかし、とても薄くてデリケートなので、いくつかはすぐに割ってしまった。手吹き風のデザインが気に入っていたので、仕方がない、安くは無かったが。2階建てのその船は内装も木が使われた高級な作りで、後にヨットに買い替える時もほとんど値が下がらずに売れた。グランドバンクスと言う良い船だったが、ヨットと違いエンジンが故障したら走らない。ヨットは風だけで走る。それにこの手の船は速度は速いが、エンジン音がうるさく話が出来ない。そして高波に弱い。ヨット乗りの夫には、やはりヨットが一番だった。

年末ジャンボ宝くじ

私たちは欲張りだった。いろいろな物を持っていて維持するのは大変だ。晴海に住んで居た頃は、アメリカ村の家もまだ借りていた。船も有る、車もオートバイも猫も犬も複数居て、家賃だけでも両方で50万円を超えた。先の事を考えない訳に行かない。夫はいつも経済に楽観的だ。私はいつも悲観的だ。全然収入が無い場合の事を考えて、少なくても半年先の事は読む。年末になって考えた、そろそろここも移動時期かなと。もう、十分楽しんだ。素敵だが長居をしたい場所とは思わない。随分いろいろな友達を呼び、眺めも楽しんだ。仕事には、もっと海に近い場所の方が便利なのだ。後にそれが正解だった事を知る。地震でエレベーターや水が止まったら大変だった。

クリスマスが来た。仲の良い友達夫婦を招き、ディナーを食べた。その時、宝くじの話が出て、私は「当たらなかったらどうしよう」と言った。みんなで笑った。「普通は、当たったらどうしようって言うのよ」。私は真面目に考えていた、当たらないのは100%ではないと。早まっては行けない、大晦日まで待ってみよう。

当たっていれば、今、私はここに居なかった、それだけは確かだ。

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