癌ステージⅣを5年生きて 91

散骨の風ディレクター KYOKO

5年生存率

私はいつも5年生存率の事を思っていた。大腸がんステージⅣの人の12%が5年生きるのだ。自分がその中に入れるのかどうかは、全然分からない。運がよければということで、88%は3年で死ぬのか、4年か分からない。5年しか生きないと言う事も。だから、生きている内に行きたい場所があった。本当はモロッコもトルコもギリシャも沢山あるのだが、ここだけという意味では、バルセロナのサグラダファミリアだ。この不思議な建物は、この目で見たかった。そしてバルセロナの街も。

初めてのツアー旅行

私は、バルセロナに行きたかったが、地中海を船で行きたいとも思っていた。友だちはヨットで地中海も回ったが、私たちは行く事が出来なかった。それにヨットも良いが、客船も良いなと思っていた。あんなにヨットの旅にお金が掛かるんだったら、豪華客船世界一周も出来たなと思っていた。それぞれの経験は雲泥の差だ。勿論ヨットの方が数倍良いと思う。旅は質だから。それに夫は大勢での船旅など嫌いな人だ。

それでも私が、手頃な値段と日程で、ローマからバルセロナまで行くクルーズ船を見つけた。若い時と違い、病気でもあるから、手作りの旅は無理だし、ツアーコンダクターが居た方が、急に具合が悪くなっても安心だと思った。夫も私のためとバルセロナやマルタ島が入っているので、私の説得に乗ってくれた。

イベリア航空で

猫たちを日野の義妹に頼み、12月の半ば、私たちは成田からイベリア航空に乗った。私は手配がいい、ツアーでも座席を予約できるかどうか、イベリア航空に問い合わせた。OKである。それも運のいい事に行きは、非常口の窓側2人席が空いて居ると言う。但し追加料金を若干取られた。帰りの分も頼むと同じ席は1席しか空いて居ない、諦めて2列目の席にした。

成田からローマまでは、天気も良く窓からシベリアの景色が良く見えた。グーグルアースの画面と見比べながら、バイカル湖から来た川だろうかとか、緑や家の多さを見て。機下かの町を想像したりした。

この大陸の上を飛ぶルートは、地球の形を見ながら移動している事が、実感できてとても感動的だった。予想通り、非常口の席は荷物を置けないが、足が伸ばせて快適だった。久しぶりの長距離エコノミークラスだ。考えれば、あの9.11のNYテロから外国へ行っていなかった。空港での荷物検査などが厳しくなり、また、散骨の仕事をしてからは、猫たちも居たし簡単には長期旅行が出来なかった。もう、スペイン語も忘れてしまった。その代わり、ポケトークを買ったが、設定にてこずった。イベリア航空なので、一度マドリードに寄ってからローマに行く。

2度目のローマ

ローマは1度来ていたので、それ程期待していなかった。でも、今回来て、ローマの素晴らしさを改めて感じた。それは自分の成長とも関係があると思うが、同じ物を見ても見る角度が違ったと思う。前はこれがローマか、という程度にしか見ていなかったのだ。今回は、イタリアと地中海の歴史、文化、時の流れがとても興味深かった。それとガイドのおばあさんが魅力的な人だった。イタリア人なのに日本語が上手で、それぞれの場所の歴史や逸話を分かり易く話し、案内してくれた。彼女は日本で、長い事先生をしていたと言う。コロセウムに行ったのは、朝だったので人は少ないが日陰の寒さに参った。今回の旅ではローマが最北で、これから少しずつ南に行く。20人位のツアーでほとんどが私たち位のカップルだった。だからバスもゆったりで、説明を聞きながら見る窓外の景色は、さすが遺跡のメッカと言う感じで、興味深かった。スペイン広場、トレビの泉と定番を廻ったが、冬だから観光客も多くは無く、それぞれの良さを再発見した。ローマは、本当に街全体が遺跡だと言う歴史の重さを感じ、どこに行っても発見が有った。トレビの泉では冬なのにジェラートを食べ、泉の彫刻を丹念に見た。ここはおまけだと思っていたのに、今回来てイタリアがとても好きになった。

例のイタリア客船

昼頃、チビタベッキオの船着き場へ行った。オペラ「トスカ」で、「チベタベッキオ」と言う言葉が何回も出てくるが、海の玄関という役割を果たし、恋人たちには希望の出口を意味していた。港では横浜でも見かけるような大型ビルディングの様なクルーズ船が待っていた。3000人近くが乗る船だから、乗るのにも時間が掛かる。顔写真を取られ、クレジットカードと一緒になったボーディングパスが渡される。船外に出る時、乗る時は勿論、中でのIDになる。中に入ったら迷子にならないように、自分の部屋と居る位置を常にチェックしなければいけないだろう。この船は、例の座礁した無責任な船長の船と同じ会社だ。あんな事故があった後だから、しばらくは気を付けるだろうと勝手に考えた。

部屋は海側でベランダがある。私の期待はこれだけだ。海さえ眺めて居られればそれでいい。夫も人が多いのが嫌なら部屋に居ればいいと思っていた。ゆっくり本も読める。夫が最も嫌がっていたのは、タキシードを着るフォーマルディナーである。あらかじめ確かめて置いたが、タキシードでなくても良いそうだ。当然、夫はタキシードを持っていないし、着た事もない。前に葉山で毎年12月に、木村太郎さん主催のプチクラシックコンサートがあった。それも最初はタキシードでと書いてあったが、普通のスーツで行った。今回もジャケットとネクタイしか持って来ていないし、本人はネクタイもしないつもりだ。私もちょっとシックな黒のスーツだ。ニューヨークに居た頃は、オペラを観に行くのにドレスを着たり、着物を着たり、非日常を楽しんだが、今ではすっかり太って、洋服を買うのも嫌になった。それにめかし込む機会もない。

船内の食事

船内にあるモールは人で混んでいるが、私たちには外のデッキと部屋以外行く場所が無かった。プールもジムもシルクドソレイユやミュージカルショーも興味が無かった。カジノもゲームもビリヤードも関係ない。騒がしいのが嫌だ。せめて美味しい料理でもと思ったが、ステーキハウスはまあまあだが、日本レストランのお寿司はレベルが低い。朝夕2食はツアーで料金に入っていたが、モーニングとディナーを1度ずつしか利用しなかった。夫が人の多いのを嫌がり、別料金でも他のレストランに行ってしまう。朝はルームサービスだ。朝食のバイキングは難民食堂の様で、いろいろな種類の料理があったが、一度で懲りた。中国人たちのトレーは、乗り切らない程の料理を乗せ、果物やパンは沢山持ち帰っている。レストランは6か所位しかないので、選択肢が限られイタリアンかパブの様な所に行ったりして食事をした。

歴史の宝庫シチリア島

船に一泊してシチリアのパレルモに着いた。シチリアの事は、マフィアとオレンジ位しか知らない。でも、南イタリアは初めてだし、地中海の島に来たという満足感でいっぱいになる。やはりイタリアはすべて古い町の雰囲気が漂い、遺跡だらけで私にとても合っていた。パラティーナ礼拝堂の中は、渋く荘厳で、キリスト教美術の最大傑作と言われているらしい。中では、警察官と軍隊の人達のクリスマスのミサが行われていた。夫は自衛隊にいたので、軍隊の人などに話しかけ、勲章の話などをして楽しそうだった。19世紀に造られたマッシモ歌劇場は「ゴッドファーザー」の中でも使われた。劇場内はアールヌーボーの装飾で優美且つ豪華、入れなかったのはとても残念だ。でも外観だけでも見られた事はとても良かった。やはりオペラの本場は違う。METのオペラの方が好きだが、NYとは違った趣の劇場は魅力に溢れている。ツアーでは、シチリアのスーパーマーケットがコースに入り、イタリア式の買い物をさせてくれた。チーズや加工肉の計り売りに興奮している人もいたが特別な事は無かった。バスを降りて自由時間に町を歩いた。ロンドンで食べた懐かしい焼き栗を食べながら、ウィンドショッピングをし、ある工芸土産物店に入った。そこでは、奥で作って居る所を見せてくれた。職人さんの雰囲気が古い時代の感じのままで、写真を1枚撮らせてもらった。そこではシチリアのシンボルの3脚巴紋、トリナクリア(3本の脚の中にメドゥーサの顔が描かれている他)が面白くて、石膏の小さい物を買った。それと一緒に彼が集めているエンゼルも。味のある落ち着いた町に古代フェニキア、カルタゴ、アラブ、ノルマン、フランス、スペイン東西南北から異国に侵略された時の流れを思い眩暈(めまい)を感じた。

因みにマフィアらしい人には遭わず、皆良さそうな人々だった。

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