癌ステージⅣを5年生きて 92

散骨の風ディレクター KYOKO

恐るべきフォーマルディナー

パレルモを出港した夜は、フォーマルディナーだった。しかし、個々に時間が決められてはいても、自由席なので、私たちは少し覗いて見学に回った。船中央にあるモールのらせん階段の上から見ていると、それぞれがドレスアップしていて面白い。日本人でも着流しの人もいるし、きっちりと訪問着を着ている人もいる。中国人、ロシア人、アメリカ人、フィリピン人、ドイツ人、ブラジル人、世界のありとあらゆる所から、数多(あまた)の人が集っている。タキシードに派手なイブニングドレスのカップルもいれば、スタイル自慢とばかりに脚線美を出している人、年甲斐も無く可愛いお姫様スタイル、ハリウッドのスター並みに紫のタキシードを着た人、真逆にアロハやTシャツもいる。思い切り宝石で飾り尽くした小太りのマダム、皆決め込んで楽しんでいる。この非日常は、日頃の自分へのご褒美なんだろうと思った。私も若ければ、素敵なドレスを着て見たかもしれない、人にどう思われようと。METオペラハウスの幕間では、ロビーでシャンパンを片手に、本当の紳士淑女が溢れ、その異空間は目の保養だった。

嘘とポーランドとピアノ

地中海クルーズと言えば、思い出す人がいる。ニューヨークで日本レストランを経営しているIさんだ。彼はそのクルーズでめかし込んで、可愛いポーランドの女性と知り合い、結婚したのだ。その経緯(いきさつ)とは、船内で彼は、日本のお金持ちを演じていた、はっきり言えば、彼女は騙された。彼は単なる日本レストランのウェイターだったのだ。それでも結婚してから運が向いて来て、アパートの立ち退きが有り、大金を得た。そして日本レストランを開く事が出来たのだ。子供も生まれ、一応幸せに暮らしている。彼女はポーランド、ショパンの国の人だ。音楽が好きでピアノも弾ける。だから、私たちが日本に帰る時、うちに在ったグランドピアノを彼女にプレゼントした。実は、そのピアノ、5万円で買ったものだ。NYでは、日本人が帰国する時、ピアノを売って帰る人が多い。だから、売るたびにピアノの値が下がり、5万円になったのだ。グランドピアノだから、置く場所が大変だ。私たちも自宅には置けず、事務所に置き、そこでパーティなどをしたものだ。残念ながら私はピアノが弾けない。夫は子供の頃に習っていたが、もう弾けなかった、ショパンが大好きなのに。

地中海の荒れた海

私は夜の海も好きだ。晴れて星が見える日ばかりではないが、夜中にイルカに遭う事もあるし、波がしらに夜光虫が見えることもある。

遠くの島の灯台が見える事も。地中海、ここは本当に歴史の海だ。「風」で散骨をした東京女子大の名誉教授だった二宮さんとは生前から付き合いが有り、彼女が戦後の第一回給費留学生に選ばれ、船でフランスへ行く途中、マニラ湾で沈んだ沢山の船のマストがまるで十字架の様に見えたと言う話しを聞いて感動した。地中海の様な狭い海域では何千何万もの船が沈んでいるのだろう。

私は、なぜか地中海には特別の思いがあった。ヨーロッパとアフリカと言う異文化に挟まれ、それぞれに距離が近い。私はヨーロッパの歴史と文化が好きだ。そこにはいくつの国や島があるのか。できれば隈なく行って見たい。地中海も海は海、日本の周りと変わらない海だった。真ん中に出てしまえば周りはすべて水平線、何も見えない。風が上がって、波が高くなって来た。地図の上では、大きな湖の様でも海は荒れる。ヨットだったら、大慌てで忙しく動いているだろう。こんな大きな船では、ほとんど揺れも感じない。正に大船に乗った思いとは、これだろう。ジャンボの飛行機にも乗り、超大型船に乗っている。どちらも物理的に分かっていても、浮くのが不思議だ。

地中海、海、海、また海

連絡が入り、マルタ島には寄らない事になった。強風と風向きが悪く船が入港出来ないというのだ。楽しみしていたマルタ島に寄れないなんて残念。夫はキリスト教の歴史に興味を持っていて、マルタ騎士団やテンプル騎士団、十字軍の事もよく勉強していた。この島でのオスマントルコの戦いや共和国として存続している遺跡の島は是非寄りたかった。今回ただ1つの地中海の島国である。マルタ騎士団は今でも存在し、独立した国の様な形で、医療奉仕などしているらしい。テンプル騎士団は滅び、フリーメイソンになった。ヨットでアラスカに居た時、同じくヨットのカップルで、フリーメイソンだと言う人に遭った。私たちは、それを聞いて複雑だった。何となく良いイメージがなく、秘密結社だと言う事しか知らなかった。最近は、アメリカの要人の多くが属しているらしいと知ったが。私には、S・キューブリックの遺作「アイズ・ワイド・シャット」のような秘密の儀式がある組織というイメージだ。

とにかくマルタ島バレッタには寄れず、1日中船で過ごす事になった。予定では、次の日に地中海クルーズで1日船だったので、結局2日間船に居ることになった。海の上に長く居るのは好きだが、慣れないクルーズ船では落ち着かない。同じレストランに何回か行くので、ウクライナから来ているウェートレスさん、マレーシアのボーイさん、フィリピンのウェイターさんとは顔見知りになった。私も一時、船で働けば世界を廻れると思ったが、若くないとスタッフの部屋に居るのは大変そうだと思った。海側の部屋では無い人は、窓の無い船室では退屈だと思うが、それなりに予定を決めて、ショーをいくつも見たり、麻雀もカジノも海の見えるバーを利用しているのだ。私たちは強風の中、デッキを何回も歩き回った。モールの店も見たし、船中をウロウロした。本場の地中海料理が食べたかったのに、食事にはうんざりした。思いはバルセロナに向け発信する。サグラダファミリアに入る予約を英語で電話し、何とか取れた。ガウディのグエル公園も予約だが、時間が合わない。自由時間は半日だ。私たちはオプションツアーのモンセラットを諦め、バルセロナで1日を過ごす事にした。

もう欲張らない、サグラダファミリアと旧市街を歩ければ良い。

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