癌ステージⅣを5年生きて 94

散骨の風ディレクター KYOKO

オリンピックが始まった

1年遅れで、オリンピックが始まった。ステージⅣが分かった時、東京オリンピックまで頑張ろうと思い、生きて居たいと思っていた。去年の7月まで生きていて、五輪は1年延びた。命は伸びないから、無理だろうと思っていた。今年の3月末には死ぬと思っていた。それなのに今、オリンピックを見ている。そして体は疲れているが、内面は元気だ。選手の頑張りを見ていると元気になる。

長い長い開会式を観た。どうして長く無ければいけないのだろう。時間が長くても短かったと思える程の中身の濃い物なら別だ。

私は、世界中から来た選手の入場だけが見たい。質の低い演出のショーなど止めてほしい。日本のレベルは、あんな物なのか。長い演説をしたい気持ちも分かる。いろいろな思いが有る事も。しかし、暑い中、聴いている選手は大変だ。もっと簡潔に励ます言葉にするべきだったと思う、この1年すべての人が大変だったのだから。

4年に1回しか見られない国がある。地球のすべての国に行く事は出来ないが、全ての人に会えるのは、この機会だけだ。勿論、出ていない国を見る事は出来ないが、200以上の国を見られる。ユニフォームや国旗、民族性に多少触れられる。名も存在も知られていない様な国は、アピールするチャンスだ。カリブ海は日本の裏側だから、太平洋の島より知られていなかったりする。逆に日本を知らない人々も多い。

オリンピックが始まると忙しい。あれも観たいこれも観たい。裏番組を気にしながら、サッカーのハーフタイムに他を観たりとリモコンのボタンが「ちびる」。この言葉は、アメリカ村の同じエリアに最後まで住んでいたパンチパーマの大阪弁のおばちゃんの言葉だ。一見怖いが、本当は優しい人だ。犬を2匹飼っていて、ガミガミと文句を言って来たりするが、うちの猫の心配をしてくれたり、弱い物に優しい。そのおばちゃんが、大家さんの事を「家賃取りに来い言うの。こっちから持って行ったら下駄ちびるわ。」その大阪らしさが面白く、憎めない人だった。

サッカーとソフトボール

どの種目も観るが、注目選手の出る物が中心になる。球技ではサッカーとテニスが好きだ。野球系は攻守の交代などの時間があるので、集中出来ない。でも、ソフトボールの上野選手には畏敬の念が有り、凄い人だと思っている。長く続けて努力している人は、本当に偉いと思う。今日のソフトボールの試合、カナダ戦と昨日の女子サッカー対イギリス戦を観て思った。4年に一度出られるチームと14年待ち、次はいつあるか分からないチームの気合というか、体から出る闘志が全然違うと言う事だ。負けたカナダチーム、イタリアチーム、みんなそうなのだ。男子のサッカーにも時々思う。今、サッカー選手はハングリーではない。プロになって高級を貰える人が選手になっている。外国に行き、テクニックや身体能力も付くが、勝たなければ生きていられないという強い精神は薄い。前に北朝鮮の選手のハングリーな強さに心を打たれた。個人競技では、それ位必死の選手もいる。名誉とは何だろう。そんなものが無くたって十分生きて行ける。皆自分とは何だろうと問う、メダルを取る選手、サッカーでも死に物狂いに頑張る選手はそうなのだと思う。

オリンピックの今後

今、オリンピックに対する批判が強い。コロナ禍にというものや、委員会などの表面に出ない種々のお金の問題、1年以上経ったコロナに関しては、移らない方法を皆知って居るはずだ。かなり注意すれば移らないと思うのだが、それでもオリンピックに責任を向けるのか。大きく成ってしまった組織の中では、お金の扱いが不明朗になる。オリンピックそのものの存在意義を問われている今、問題点を洗い出し、意義のあるオリンピックを続けて欲しい、私の様なファンのためにも。

そして人間は正直だ。テレビに映る顔を見るとそれが分かる。開会式などで映る菅首相の顔は悲痛だった。心の底から疲れているのが見えた。必要以上にポーカーフェイスは保てない。凶悪犯の人だけがポーカーフェイスを保ち持ち続ける。

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