癌ステージⅣを5年生きて 96

散骨の風ディレクター KYOKO

オリンピックは恐い

オリンピックが始まって、それぞれの選手の応援にアドレナリンが出続け、目覚ましい活躍に感動している。だから競技が終わると、ぐったり疲れる。やはりソフトボールの選手たちの闘志、テクニックには、只々素晴らしいとしか言えない。

しかし、いつもと違っているのは、私の年齢と置かれた状況か、力を発揮出来ずに終わった人たちの無念の思いが強い。魔物がいると言うオリンピックでは、メンタルが本当に大事になる。どんなにメンタルの強い人でも、魔物は心の隙間に入って来る。年が若くて、次もあると思えれば、ただ楽しめばいい位に思えればいい。選ばれた責任など舞台に上がってしまえば忘れればいい。これが最後と言う人も最後を楽しめればどんなにいいだろう。最高位に着く人のメンタルとは、どうなのだろう。戦う前はどんなに怖いだろう。自分との勝負なのだ。みんな誰でも怖いのだ。セルビアのジョコビッチのような人は、戦乱の中で育ち、常に失う物はないと思っているのだろうか。

恐かった海

ヨットで大海を走っていて、天気が悪くなるといつでも怖かった。でも、この低気圧の風や波は、あの時ほど凄くないと思って凌(しの)いだ。あの時とは、鹿児島の火山巡りヨットレースの時の事だ。私たちは、レース派では無いから、ヨットレースには数えるほどしか出た事がない。だから船もレース用にはなって居ない。レース用の船は、出来るだけ軽く、物も最小限しか積まない。うちの船は、居心地中心だから、いろいろな物を積んである。勝とうと思えば、最低でも荷物を降ろさなければ無理だ。だからいつも参加する事に意義があり、お祭り気分だ。その時も乗りたい人を乗せ、ケーキやピザを買い、さあ楽しいぞ、と言う感じだった。最初は良かった。ところが予報が外れ、酷い嵐になった。アーチストだと言うヨット乗りも、ただお客として乗った人も皆酷い船酔いになり、マグロ(横なって動けない人)になった。私と誘った女の子も酔った。荒れると周りは全部海になり、次の瞬間、周りは全部空(そら)になる。そして、また波の底に落ちる。その波の頂上と波の底の落差が凄い。入口の戸をしっかり閉め、中で震えて寝ていると天井のハッチの上を波が川の様に走って行く。夫は孤軍奮闘である。みんなマグロになり、彼だけがずぶ濡れになり、仁王の如く闇の海で頑張っている。タオルで顔を拭いてもタオルも顔もすぐにビショビショになる。船の中は、ケーキも鍋も本もクッションもいろいろな物が落ち、修羅場と化している。レースに出ていた船は、ほとんどが途中棄権してしまった。夫の頑張りで私たちはビリながら3位入賞になった。私には、その時の海が一番ひどい嵐だったと思っている。アラスカでもメキシコでも酷い時化(しけ)にあった。でも、あの時ほどとは思わなかった。頭ではいつも大丈夫これくらいと思っても、体は正直だ、緊張し、震え、身構えている。2人で乗っていても海が荒れるといつも彼は一人で何時間でも頑張った。30日、71歳になる。今でもいろんな事が起き、不安ばかりだが、いつもこれまで大丈夫だったんだから、乗り越えられない山はないと、自分に言い聞かせる。

オリンピック選手だったら

私はどちらかと言えば、体育音痴だ。子供の頃も外で遊んだり、お転婆では無かった。だからどの種目も不得意だと思う。でも、若くて練習を積んだならと言えるのはマラソンだ。走る事だけは少し得意だった。短距離も好きだが、秒単位の練習には耐えられないと思う。だから長距離ならと思う。実際には5㎞以上走った事はない。一度42.725㎞を走って見たかった。全然走った事の無い友達が市民マラソンを完走したというので、私にも出来たと思う、8時間位掛ければ。

憧れの乗馬

でも、憧れるのは馬術だ。馬が好きで、旅先で乗馬が出来るとすぐに乗る。馬に怖さはない。でも乗ってみると高くて驚く。歩くのはすぐ慣れる。森の中の乗馬は最高だ。小枝を分け、小川を渡り、時にギャロップする。野原や眺めの良い丘もいい。カナダではやや長距離を乗り、乗馬の醍醐味を味わって虜になってしまった。ヨットやレーシングカーを別にすれば、これほど贅沢なスポーツは無いのかも知れない。乗馬クラブも高いと思うし、イメージは貴族やエリートのスポーツだ。牧場に居れば楽しいと思うが、生き物の世話は休みがないから大変だ。北海道生まれの夫は、子供の頃、馬を売っている人を見て、お父さんに買ってと言ったそうだが駄目だった。私が牧場をやって居たら、羊とヤギとアヒルと大型犬は飼いたい。猫は勿論飼う。羊の毛を刈り、毛糸を紡いでみたい。ヤギの乳を搾り、アヒルの卵を頂く。ニワトリは絶対に飼わない。大の苦手がニワトリと蛇だ。卵好きの夫は絶対に飼いたいと言うだろう。でも、私は子供の頃、ニワトリに追い掛けられたトラウマがある。それにあの鶏冠(とさか)や顔が気持ち悪い。前に鶏頭の水煮缶詰を猫用に買った時、開けてびっくり、そのまま頭が出て来た。子供の頃は、飛ぶ生き物が皆怖くて嫌いだった。でも、今は野鳥が好きになり、声を聴いては図鑑やネットで調べるが良く分からない。うちの周りは野鳥の宝庫で、いろいろな鳴き声が聴こえて楽しい。三宅島にはあったが、野鳥園などがあれば、どこにでも行って見たいものだ。

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