癌ステージⅣを5年生きて 79

散骨の風ディレクター KYOKO

イコンを探して北欧&バルト3国 1

イコンと聖書

最後のチケットは、イコンを探す事に決まっていた。夫は、ニューヨークのアンチックショップで、12㎝四方のガラスに入ったイコンに出会い、何回かその店に通い、高いとは思ったが買った。それからその魅力に嵌りはまり、アンチックの店のオーナーに、何処へ行けば安く手に入るのかを聞いた。イコンとは、ロシア正教の宗教画で、お茶の水のニコライ堂などには大きい物が飾ってある。ロシアからは持ち出せないそうで、取り敢えずフィンランドに行った。夫は前から聖書に興味を持ち、信者ではないが旧約聖書を愛読していた。そしてもし、自分が信じるとしたら、グノーシス派だと言っていた。それは教会も神父も要らず、神についてシンプルに哲学的に語る事を旨とする派だ。グノーシス派では、イコンは認められていないが、夫は信者ではない。

首都ヘルシンキ

フィンランドには、別の目的もあった。ここには日本にも多く輸入されている人気のヨット「ナウティキャット」の造船所も有るのだ。その名前は、船乗り猫とでもいう意味だろうか。北欧の船だけに冬でも快適に乗れる設計で、高価だから新艇で買おうとは思わなかったが、興味があった。着いた日は首都ヘルシンキの中央のホテルに泊まった。路面電車が通っていて、日本の地方都市のような装飾の無い普通の建物が多い。デパートを見ても古い感じで、何となく面白みのない静かな町だった。帰ってから何回も観た「かもめ食堂」は大好きな映画で、ヘルシンキの日本人食堂が舞台になっている。ほのぼのとした人と人との交友が描かれていて面白い。しかし街の魅力はどうだろう。住んで居る人の事は深く分からなかったが、真面目そうに感じた。

次の日、レンタカーで北へ2時間位走り、ナウティキャットの村に着いた。途中のドライブは森と湖の国と言うイメージでは無く、農村という感じだった。造船所がこんな内陸にあり、なぜ海の側にないのだろうと思っていたが、この村の住人は殆どがナウティキャットに関わる職人たちで、海辺への移動は村中が移るも同然になるから出来ないとの事だ。造船所では、日本人の裕福な夫婦と見られて、丁寧に英語で中を案内してくれた。私たちはスマイルだけが得意だ。フィンランド語はヨーロッパでも変わった言語だと言う。ハンガリー語、バスク語もそうらしいが、ちょっと東洋的な雰囲気があるのかも知れない。ヨーロッパの歴史は、西から東へ、東から西への民族の移動、侵略など日本に居てはとても分からない複雑さがある。司馬遼太郎の本の中で、悪魔にバスク語を習わすぞと言ったら、悪魔が「それだけはお許しを」と言ったと言う話がある位ほかのラテン系の言葉とは違っているらしい。

エストニアへ

ヘルシンキの港からエストニアのタリンまでは近い。フェリーで2時間だ。だからヘルシンキでは、フェリーに乗ってでも物価の安いタリンへ買い物に行く人が多い。一番の目的はやはりアルコール類だ。フィンランドは消費税のせいか物価が高い。

いよいよバルト3国最初の国だ。私たちに予備知識はない。言葉もそれぞれ変わる。「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」の3語は、どこへ行っても言えるようにしたが、次の国へ行くとすぐ忘れた。昔、香港に行った時は、「トイレはどこですか」も必死に覚えた。どちらにしても6か国語旅行会話は持って歩いた。バルト3国では、ロシア語は通じるが嫌がられるのでご注意下さい。

絶景の眺め

タリンはエストニアの首都である。私たちは、旧ソ連の国営ホテルに泊まった。古い大きな建物で新市街にある。部屋は殺風景で広かったが、バスタブは茶色の水しか出なかった。でも、最高だったのは、窓からの眺めだ。いつもは泊まる時に予算があったので、眺めを気にしたことはなかった。今までに泊まった所では、ニュージャージー州のアトランティックシティの部屋の眺めが一番良かった。海岸淵に建っていて、大西洋の景色が雄大で素晴らしかった。でも、タリンのホテルから見えたものは、正にゴウジャス、旧市街の眺めは幻を見ているような美しさだ。中世の町そのものがそこにある。少しくすんだレンガ色の瓦屋根で統一されて、そのまま残っている。私は圧倒されてしまった。ずっと眺めて居たかった。夢の世界だ。ここに来られた事が本当に幸せだと思った。偶然泊まった旅のホテルでの素晴らしい眺めなど、予想すらしていなかった。お陰ですっかり考えが変わった。今度からは価値ある景色なら眺めの良い部屋を取ろう。でもここに勝る場所があるだろうか。山や海、川など自然の素敵な所はあるだろう。だが、見る位置が問題だ。ここの旧市街の景色、それも私たちのいたこの部屋からの眺めが一番のように思えた。

イコンを求めて

エストニア人は背が高く金髪で青い目、美男美女が多い。新市街は市電が走っていて、私たちは帰りに来た時、それに乗って日本レストランに行った。それは悲惨な感じだった。日本に行った事があるというエストニア人がやっていたが、お寿司ではなく、変な家庭料理のような物とラーメンだった。「No thank you」と言いたかった。

2日目には英語のガイドを雇った。言葉も地理も分からないので、概おおよその事が分かればと思ったのだ。若い女性のガイドさんは、観光ガイドというより友達のようだった。目的の第一はイコン探しだ。まず、アンチックショップに連れて行ってもらった。イコン専門店ではないが、数枚見せてもらい、夫は気に入ったのを見つけた。店頭にあるものは、二流品で、上等な物は2階や地下室に隠すように置いてある。市内で同じような店を数件廻った。イコンの良さは、私には分からない。最初にニューヨークで買った物はイエス像に銀が被せてあるもので、顔がピョートル大帝に似ていた。ここで買った物は25㎝×35㎝位の木で出来たものでマリア像や十二使徒等だった。一応英語で値引き交渉はしたようだ。

そしてランチに良さそうなレストランに連れて行って貰った。そのお店は地下にあり、漆喰の壁が良い雰囲気を出していた。そこのエストニア料理は、野菜などのシチューが、素材の味が生かされていて美味しかった。その後行った海辺の城跡は人影も無く、雑草を踏みしめて、柱と柱の間を歩けば、中世の趣が漂う心地よい異空間だった。

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