癌ステージⅣを5年生きて 100

散骨の風ディレクター KYOKO

私たちの恩人

私たちがこれまで幸運に恵まれ、ここまでやって来れたのは、いろいろな皆さまに助けて頂いたお陰です。お世話になった皆さま、本当に有難うございました。その中で、特におフミさんとシロさん夫婦へは深い感謝の気持ちでいっぱいです。私が今まで生きて来られたのは、本当にこのお2人のお陰です。

シロさんは夫と同じ旭川の出身で、同じ高校に通いながら、その頃は、会う事も無く知ることも有りませんでした。それが東京に来て、夫の妹から紹介され、知ることになりました。私たちが素人ながら、デザイン会社をやって来られたのも、一重に彼のお陰でした。突然、カメラマンになった夫の仕事を増やすため、私が写植を習う機会を与えてくれたのも彼でした。写植なんて今は死語ですね。写真植字の略ですが、印刷が活版から今のPCの時代になる前は、全てにそれが使われていたと言っても過言では無いでしょう。最盛期には、その1台1千万円する大きな機械が5台有り、時代遅れになり、捨てるのに1台30万円掛かりました。スーパーのチラシから会社のパンフレット、NTTの電話帳まで、印刷の前の段階、版下にするまで、徹夜は日常茶飯事でした。

憧れの女性

始めて彼の国分寺の家を訪ねた時、玄関を入ってすぐ、その磨き抜かれ、ピカピカに光っている廊下を見て、私は本当にびっくりしました。いつも汚い我が家とは、比較すべくも有りませんが、個人のお宅でここまで綺麗なのは初めてです。その家事をするおフミさんの素敵な事。女子美を出ているだけに、センスは抜群です。デザイナーのシロさんと共に働いていらして、その事務所も家もいつも訪ねるのが楽しみな素敵なセンスに溢れています。おフミさんは飾りっ気がなく、天衣無縫、優しくて、自然で、温かくて、おおらかで、品があって、明るくて、私はたちまちその魅力の虜(とりこ)になりました。姉さん女房なのに、いつも控え目にされている事にも人柄を感じました。私たちの共通点は子供が居ない事ですが、働き者の彼らは堅実ですべてが私たちとは逆でした。キリギリスのような私たちはいつも彼らの支援を受け、困ったときのシロさん頼みでした。本当に本当に有難うございました。お2人の存在は、私にとって、正に神様以上でした。

芸は身を助ける

私たちがヨットで日本を出る時、私はやはり悲壮な覚悟をしていました。太平洋の荒波や海での事故より怖かったのは、アメリカでお金が無くなる事でした。頼る人も居ず、言葉さえ巧みでないのに、西海岸で路頭に迷ったらどうしようと思っていました。それで、出発直前、急遽三味線を習いました。1曲でいいから弾き語りが出来れば、アメリカでパン位買えるだろうと思いました。芸は身を助けるです。私は楽器が苦手でしたが、歌うことは好きでした。それに長唄や小唄のセンスが私の体の中に有りました。祖母は芸者だったような気がします、親戚は芸者ですから。日本の節回しが自然に身についていて好きでした。でも、三味線の音合わせが出来ず、言葉に出来ない音階は、絶対音感がないというコンプレックスで、今も弦楽器は恐怖です。それでも1カ月で1曲マスターし、お気に入りの着物と三味線を船に積みました。夫はたこ焼きも売ろうと言って、小さなたこ焼き器も買いました。そして、「俺は居合をやる」とか「空手の形をやる」とか言って空手着も積みました。本当に一寸先は闇です。東京の会社が倒産する事も十分に考えられました。それに私たちは親不孝者でしたし、どちらの家にも頼る財力は有りませんでした。

心の支え

そんな出発直前、おフミさんが「お金に困ったら、いつでも言って来て」と言ってくれたのです。びっくりしました。何と有難かった事でしょう。彼女は女神様に見えました。その一言に私は今でも救われています。友達はみな、「お金だけはダメ」と言います。実際、友達との貸し借りは友情を壊しかねません。私は1度を除いて、お金を貸すときは上げるつもりで貸していました。いろいろと10万円から60万円位は貸し、実際に返って来た事はありません。それに困っている人に頼まれると、NOとは言えない性格で、無い時はカードで借りても友達に貸しました。私は借りるとしても、絶対に返すという強い覚悟で借ります。友達に迷惑だけは掛けたく有りません。

アメリカに渡り、実際にはすべてが運よく行き、私が三味線を弾く事も有りませんでした。逆にニューヨークで家まで買えてしまったのですから。でも、そのおフミさんの一言がなかったら、私はどんなに辛い思いをしたでしょう。今でも本当に私の心の支えです。いくら感謝しても足りない思いです。

また、彼らは理想の夫婦であり、彼らの生活も憧れです。今はリタイアして長野に住み、愛犬とそれぞれの作家活動を楽しんでいます。森の中には、母屋の隣に彼ら手作りの3匹の子豚に出てくるような小さなレンガのお家もあります。お互いに尊敬しあい、思いやり、いたわり合っている彼らはなんて素敵なんでしょう。彼らの事を考えるだけで、いつも心は満たされます。

本当に有難うございました。

100回を迎えて

何も先の事を考えず、生きている証(あかし)のようなつもりで100回にもなりました。現代を逆行するような長く、切れ目なく、写真も無い文章なのに、付き合い励まして下さった方もおりました。ただ、自分の足跡の一部を私と夫のために確認する意味も込めて2人で楽しんでおりました。私は、本当に徒然草のように段々物狂おしく、書く事のアドレナリンに任せ書いて来ました。書く事の難しさ、自分の至らなさを知るいい機会になりました。納得のいく文章など書けた試しが有りません。ちゃんとした文章にするには、大変な時間が掛かります。村上春樹氏は、見直し、校正に1年は掛けると言っています、比べようも有りませんが、彼の文章が好きです。

これで止められるとは思いませんが、違う形で書き出すだろうとは思っています。しばし夏休みを取り、新しく始めたいと思います。

付き合って下さった皆様、本当に有難うございました。

私はまだまだ生きそうです。でも、時々駄目かもと思いますが、2㎏減った体重が、また元に戻り、痩せる事すら出来ません。食べていると生きるんですよね、動物は。太るだけでなく、地球の時間を楽しんで行きたいです。

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