風の中の私 4

──やっぱり懲りない書く事は──

晩夏の仕事

先週は天気に恵まれ、充実した仕事が出来ました。

火曜日は、私も久しぶりに船に乗り、合同・委託散骨の海洋葬を葉山沖で執り行いました。航行中は海上の涼しい風を浴び、素晴らしい夏の午後でした。この日は、委託の方のご遺骨が多く、音楽も多彩でした。古今亭志ん生、三遊亭圓生の落語有り、鳥羽一郎「兄弟船」、美空ひばり「川の流れのように」、「大いなる西部」、プッチーニ「トスカ」、モーツァルト「レクイエム」、それぞれの思いを感じました。落語を聞きながら日本酒を味わっていらした方、演歌に焼酎、クラシックには、ブラックコーヒーなど、ご生前の楽しみが分かります。

葉山での散骨は、「風」にとっては特殊で、葉山スタイルの小さな花束を沢山作ります。普段は花の部分だけにするのですが、ここでは、茎を付けなければいけません。他社さんは、大きな花束を1つポーンと投げているようですが、花の茎や葉は自然に戻りにくく、ゴミとなり浮遊するのが目に見えます。それに見た目も美しく有りません。それで、「風」では、茎を短くし、小分けのブーケにしています。その方が、花だけを浮かべた時に近く可愛らしく美しいのです。ただ、準備は大変です、普通の3倍の時間、6,7時間掛かります。

24日も赤いバラの花束有り、向日葵に紫の花束、ブルーの花束、エンジ系の花束、涼しげな洋風花束など、いろいろご用意しました。空は雲が多く、暑くても太陽が見えないのが幸いで、波は静かで涼風程よく、帰りには富士山がほんの少し頭を出し、素晴らしい散骨日和、私の心も久しぶりに充実し、とてもいい1日でした。

土曜日は、房総勝浦まで行って来ました。外房での散骨は、波の高さが気になります。勝浦の先では、サーフィンをやっている位ですから、散骨の敵は波とも言えます。しかし土曜日は、理想的な海でした。水清く、波静か、風も弱く、夏の終わりの太陽だけがギラギラと頑張っています。私たちは前日夜からホテルに泊まっていました。コロナで人出は少ないようでしたが、ホテルは、かなりの人が泊まっていました。朝、持って来たピンクのバラ等を花だけにしてアレンジし、準備を終えると早めにチェックアウトして港に向かいました。まだ、2時間有ります。港兼マリーナは、鯵釣りの子供連れが少しいる程度で、いつもの夏とは全然違うようです。私は炎天下を、港の海中の魚等を見て時間を潰しました。時々、風が通ります。車以外の日陰は有りません。それでも暑さはそれほど気になりませんでした。

午前11時少し前、近くの別荘からお客様が見え、岸壁から乗船され、出港しました。港を出るとそこはもう太平洋です。こんなに静かな房総の海は、あまり見た事が有りません。小さな男の子3人が乗っていますが、これなら安心です。全然揺れません。大人の人達は、自撮りをする人もいて、それぞれ船を楽しんでいます。岬を廻り、彼らの別荘が見えて来ました。さて、散骨です。10袋に分けられたご遺灰を銘々にお渡しし、海に入れて頂きます。小さな男の子は、お父さんに手伝って貰っています。水に入った袋は溶け、ご遺灰が白く広がり、いろいろな形に変化しながら、解け沈んで行きます。美空ひばりさんの「川の流れのように」が流れています。ピンクのバラの花が、海上に浮かんで綺麗です。お祖母(ばあ)様の好きだった焼酎も海に捧げます。鐘を鳴らし、黙とうになりました。一番年上の男の子が泣いてしまいました。私は一瞬何が起きたのか分かりませんでした。おばあちゃまが、居なくなってしまった。そんな涙を見たのは、久方ぶり、随分前の事でした。人の死と言うより、別れが分かる年の子でした。それは本当に悲しそうに、さめざめと泣いていました。私も瀕死の時雨ちゃんを思いました。喪(うしな)うと言う事の悲しさが身に沁みます。

勝浦から帰って、入院中の時雨ちゃんを引き取り、昏々と眠りました。ご飯を食べて、また眠りました。2日間そんな感じでした。暑さと長距離で疲れました。夏の疲れもどっと出たのでしょう。でも、いつもこんな調子、寝れば直る私の体。どうしてこんなに丈夫なのかしら。まだまだ働けと天から言われているようです。

前の記事次回に続く