風の中の私 5

──やっぱり懲りない書く事は──

夏と共に去りぬ

31日午前0時過ぎ、時雨ちゃんは逝ってしまいました。最後まで、ウロウロ場所を変えたり、食事を覗いたり動いていました。なんとも言えない喪失感とやるせなさでいっぱいです。

時雨ちゃんは、いつもお腹を空かせて鳴いて居たことに今頃気付きました。いつも、何か欲しそうにニャーニャー鳴いていました。それが日常で、それほどに魚貝が欲しかったのが分かりませんでした。どの猫でもお腹が空けば、キャットフードを食べます。彼女もそうでした。いろいろ好みがうるさくても、常に10種類位用意してあげているので、置いてある何かは少し食べているだろうと思いました。夜は汁の多めのウェットフードも上げていました。でも、3匹とも汁中心で、実は残すのです。ゾウさんは、残った実に鰹節をまぶしてあげると食べます。

時雨ちゃんは、それまではゾウさん用の肥満猫用ドライフードを比較的好んで食べていました。そして、私たちの食事の時には、私の膝に乗って来て、長い尻尾を立て、お尻を私の口の前に持ってきます。わざとでは有りませんが、それは困るので降りて貰います。テーブルの上を見せて、「ね、魚はないでしょ」と言うのですが、いつもしつっこかったのです。だんだん痩せて行っても、あまりドライフードを食べなくなっても気が付きませんでした。
SORAが病気になってからは、時雨ちゃんはいつも一番元気という雰囲気だったので、気を付けてあげられませんでした。その頃は、歯槽膿漏がかなり悪化していたのでしょう。きっと、食べると痛いので、本当に好きな物しか食べたくなかったのだと思います。歯槽膿漏も口内炎も全然気が付きませんでした。食べている時、痛そうではなかったのです。ただ、口臭が少しあると思ってはいました。
豆アジを食べた時もガツガツ食べ、痛そうには見えませんせした。

いよいよ病気が悪くなった時も便秘だと思ったくらいでした。最初に退院した時、帆立や鰯をあんなに食べたのは、痛さより食い気が勝ったのだと思います。食べ終わり、歯ぎしりをしていて、口の中が痛いのだと分かりました。もっと早く気付いていたら、冷凍にして置いてでも魚を食べさせてあげられたのにと悔やまれて仕方が有りません。私は、老猫に本当に無知でした。自分の老いにも無知でした。65歳位までは、1歳年を取っても1歳増えたと言う感覚でしたが、今、1歳増えると言う事の大きさ、負担は想像を絶しました。本当に老いとは残酷な物だと思います。物忘れは激しいのに、記憶力はまだ大丈夫で、今も日々学んでいますが、脳の老化より、肉体の老化は甚だしいものです。でも、集中力と思考力も衰えています、気力で補っていますが。
夏の終わりの淋しさが身に沁みます。

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