風の中の私 6

──やっぱり懲りない書く事は──

秋が来て

私が子供の頃、母親に妹と私とどっちが好きか聞いた事があります。2人姉妹だからと言う事で、ライバル視したことは有りませんが、愛情だけは別でした。母は当然「どっちも同じよ」と答えます。「ソフィの選択」のようにどちらも同じ様に愛していたでしょう。私には子供が居ないので、何人かの子を持っていたら平等に好きだったかは分かりません。子供は勝手に「お母さんの方が好き」などと言ったりします。

時雨ちゃんは、一番目立ちたがり屋でしたが、人気は3番目で、
その事が、最愛のものを失ったのとは違う、悲しさで傷ついています。でも、多分自分の中では、最善に近くしたと思っています。
世の中平等でも、何でも比較し、優劣、好悪を付けるのが普通です。それでも平和に波風立てず治まっているのが社会です。でも、時々、大きく捻じれ、問題が起きます。嫉妬や憎しみが怒りを生みます。でも、法が有り、秩序が守られます。

そんな社会で、私は目立たないように目立たないように生きて来ました。なるべく嫌われないように、居るか居ないか分からないように存在していました。クラスでも大人しい子でした。目立たない方が都合良かったとも言えます。私の内面を育て、自分の意思を貫くには、生き易かったのです。
夫は逆です。目立ちたがり屋ではないのに、その個性で目立ってしまうのです。私が自意識過剰なのに対して、彼はそんな自意識を持ち合わせず、考えるより先に行動しているイノシシです。常にアクティブで、目立って生きていましたが、そんな事を考えもしなかったようです。

結婚して私たちは、目立つようになりましたが、私はいつも夫の陰にいました。だから、カップルとして目立っても、夫がいないとどこでも私が北田の妻だと気が付かれない事が多い人生で、私はそれが心地よく生きて来ました。だから誤解されている事も多いと思います。これを書くようになって、「京子さんって、こんな人だったんだ」と思われているでしょう。

いつでも私自身は、偽ることなく生き、自己主張する場があればして来ました。只、何人かの中では、しない事が無難だと思い、それは私にとって正解だったと思います。ここまで無事に敵も作らず生きて来られたのですから。でも、死に近づいてから急に主張したくなったのでしょうね。もう、恐れる物はないと言いたいところですが、今の世の中、悟っても悟っても無限大に危機は有りますね。
夫もゾウさんもシグちゃんが居なくなって寂しがっています。

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