風の中の私 12
──やっぱり懲りない書く事は──
アメリカ村のアルバイト学生たち
アメリカ村のデザイン事務所では、正社員のほかにアルバイトの学生が、出たり入ったりしていました。
そのきっかけになったのは、「子猫あげます」のタブロイド判コミュニティ紙に出した広告です。早速2人の学生がやって来ました。聞けば、今年造形大学の彫刻科に入学したばかりだと言います。2人は男女のカップルで同棲しているのだそうです。そしてこれから4年もあるし、猫でも飼おうと思ったと言います。今聞けば、無責任な話ですが、2人に好感を持ったので、飼ってもらう事にしました。後に2人は結婚しましたが、結局離婚してしまいました。あげた茶トラの子猫もすぐに居なくなってしまったのです。何とも残念な事でした。
しかし、それから彼らとの付き合いが始まりました。私たちは、若い子達が好きで、すぐに面倒を見てしまいます。ご飯をご馳走したり、個展の大きな展示物を芝生の庭に置いたり、アルバイトも頼むようになりました。仕事は主にカメラマンの夫の助手です。当時の造形大彫刻科は、後に知り合いになるM先生が担当をし、和気あいあいとクラス全体で仲が良いようでした。ですから時間の空いている人がバイトに来てくれました。彫刻科の人たちは、荷物持ちには丁度よく概して力持ちです。
ある日、コダちゃんと呼ばれる新人が現れました。髪の毛はボサボサ、無精ひげをはやし、痩せて、背が高く、見た目はホームレスの様です。彫の深い男らしい風貌なのに、話し方が、「僕ねぇ、・・・」「・・・・なのぉ」女の子の様な甘ったるい話し方をします。そうかと言って、おネエ言葉では有りません。そして見るからに汗臭そうです。その日のクライアントは、お堅い事で有名なNHK学園です。でも、仕方なく彼を連れて行きました。何とか仕事は、上手く行きました。しかし、やはり、担当の方から「うちは教育機関ですからね。あの助手の方、何とかなりませんか。」と言われてしまいました。彼も猫を沢山飼っていて、ノミだらけの家に住んで居た事も有りますが、父親は裁判官という上級家庭の御曹司で、今は、立派な彫刻家になっています。私たちがニューヨークに住んで居た時に、グリちゃんの為の留守番が見つからなくて、旅費を出して来て貰った事も有ります。
別の仕事では、皆忙しく、デザイン科の男の子がやって来ました。
何となくボサっとしていて、いかにも気が利かなそうです。その日は、ウナギ屋さんの撮影でした。お店では、撮影用に見栄えのするようにいろいろとウナギを沢山焼いてくれました。余った物は当然食べられます。T君は、飢えた狼の様にウナギをむさぼり食います。そして、挙句の果ては、やはり気持ち悪いと言って寝込み、午後は仕事になりません。彼も立派なデザイナーになった事でしょうね。
一番優秀だったのは、中野のお豆腐屋さんの息子だった君ちゃんです。すぐに仕事を覚え、よく気が付き、進んで準備をしてくれて助かりました。彼にはカンちゃんと言う綺麗なガールフレンドがいました。彫刻科のクラスでは、1年生ですぐ、カップルが出来ていて、君ちゃんたちは遅かった様ですが、相性も良かったらしく、結婚して子供もでき、孫もいるかも知れません。
その君ちゃんとラブホテルの撮影に行った事が有りました。いろいろな部屋の写真を撮り、メニューの看板にするのです。当時の人気スターの名前を付けた部屋は、そのスターの雰囲気に合わせてあるのです。アラン・ドロンの部屋、エリザベス・テーラーの部屋、マリリン・モンローの部屋と言った具合です。仕事は楽しく進んだそうですが、問題はホテルを出る時でした。男二人が車でホテルから出て来るのです。居り悪く、高校生たちの帰校時間に当たり、夫は平気だったそうですが、君ちゃんはかなりバツの悪い思いをしたそうです。
最後に紅一点、写真科の1年生の女の子が、是非助手にと来ました。色白の丸顔に切れ長の眼で、黒い髪を長く伸ばしていました。彼女は八王子の女子寮に住んで居て、そのすぐ側の私たちがお世話になって居る大恩人の印刷屋さんの紹介でした。彼女アーちゃんは、最新流行のW’sの黒い長いコートを颯爽と来て現れました。無理して買ったコートの様でした。素敵でしたが、丈が長いので、もう少し身長があれば良かっただろうなと思いました。我が事務所は猫だらけ、黒いコートを守るのは大変でした。
彼女との付き合いも長くなりました。思った事をすぐ口に出して言うので、生意気にも幼くも見え、その分、突っ張っていました。
仕事先の工場では、ガテン系の職人さんたちを見て、「私、ああ言う人軽蔑します。」と言ったり、夫の4×5のカメラの被り布を被り、顔を顰(しか)めて、クライアントの前で「臭い臭い」と言ったり、とにかく物騒がせなユニークな女の子でした。イラストも上手で、デザインの仕事も手伝って貰いましたが、私たちがニューヨークに居る時は、いろいろと日本での用事を頼み、このわたの竹筒をサン・フランシスコまで持って来て貰って、ニューヨークまで旅行をした事も有りました。卒業してすぐ、フリーで仕事を始め、個性的な写真を撮るアーチストになりましたが、もう50代後半、どうしているでしょうね。
うちの事務所でアルバイトをした人は、圧倒的に造形大の学生が多かったのですが、他に武蔵野美大、多摩美、学芸大、女子美、芸大といましたが、やはりそれぞれ大学の個性は有るものですね。学芸大の女の子は、とにかくとても真面目でした。造形大の人達には、後にもいろいろと縁が有り、ヨットを教えて貰ったり、デザイン会社を引き継いで貰ったり、バンクーバーで仲良くなった魚屋のキハチロー君は、アーちゃんのクラスメイトでした。四ツ谷の桃太郎の常連で若くして亡くなってしまった建築デザイナーのオノちゃんは、アーちゃんの先輩で、彼女の憧れでした。なぜか美大系の人たちに縁が有り、その世界が狭いのか、いろいろな出会いにびっくりします。そして、お互いに個性が強いので、長く付き合うとトラブルに成る事も有り、消息の分からない人も多いのです。