風の中の私 17

──やっぱり懲りない書く事は──

ニューヨークの友だち

初めてニューヨークを訪れたのは、1988年位だったと思います。その時、ニューヨークは恐い所だと思っていて、他には摩天楼の下からビルを見上げるのは、どんな気分だろうと思っていました。特に憧れも、予備知識も無く、1度は行ってもいいと思っていた場所でした。
知人の2人にそれぞれ、ニューヨークの知り合いを紹介してもらいました。1人は女性で、結婚して向こうで働いていました。彼女には、お土産にぬれ甘納豆を持って行くと喜ぶと教えて貰い、早速買って飛行機に乗りました。友だちの友だちと言うのは、難しいものですね。何か困った事が有ればと言う時の、顔繋ぎでもありました。ですから、お会いして挨拶をし、お土産を渡して、紹介者の消息などを話して別れました。5日程の滞在でしたから、ニューヨーク見物に、川べりから出ているヘリコプターに乗りました。マンハッタン上空を15分、低空で飛ぶので、直ぐそばにビル、そしてまたビル、摩天楼を抜け、セントラルパークの広い緑、ガリバーになったような感覚で街を見て、それはとても面白しい見ものでした。
マンハッタンは、街を歩いているだけでもエキサイティングで、その魅力にすぐに嵌ってしまいます。洒落たお店が多く、ショーウィンドも魅力的です。歩いていて恐い事は何も有りませんでした。ただ、地下鉄とハーレムには行かなかったのですが。

最後の夜、紹介されたもう一人の友だちの家を訪ねました。ローワーイーストの静かな住宅街にあるアパートです。2丁目のゲイバーのマスターの紹介でしたから、やはりゲイのカップルです。前にも少し書いた沖縄出身の宝石デザイナーKちゃんです。彼のパートナーJさんは、魚を食べないので、3人で日本レストランにお寿司を食べに行きました。食後、Kちゃんが「ねえ、あんたたち、赤提灯に行かない。」と言うので、私たちは和風居酒屋を想像して付いて行きました。ところが着いた所は、飾りっ気のない古い感じの庶民的なバーで、カウンターが有り、奥にはビリヤードが置いて有ります。カウンターの中には、年増のちょっと太ったママがいて、カウンターの端には猫が座っています。私は嬉しくなってしまいました。猫の居るバーなんて初めてです。そこは、ポーランド人がオーナーで、ポーランドの移民の人が沢山来ているバーでした。ポーランドから来た移民の人は皆大変だったようです。仕事もタクシーの運転手さんやブルーカラーの仕事が殆どで、お医者さんや、学者さんでもそうなのです。
アメリカのバーは、どこでもそうですが、飲み物とお金は引き換えです。そして最後にチップを置いて帰ります。私たちとKちゃんはすぐに気が合って、昔からの友だちの様でした。夫はゲイの人のノリにはすぐ嵌(はま)るので、短い時間でしたが、それは楽しい邂逅(かいこう)でした。

彼とは会うたびに親しくなって、ニューヨークに行く楽しみの一つは、彼に会う事でも有りました。最近は、日本でもおネエさんがブームですが、共通しているのは、頭の良さと、毒舌、皮肉、嫌味、普通と違う物の見方でしょうか。普通人の私には、それが面白くて、彼のペースに巻き込まれてしまうのです。そして、カモだと思われ、すぐに彼の作品を売りつけられます。安価な物で、素敵なリボン付きの箱にハートが入っているデザインの小さな銀のペンダントは、いくつも買って友達にプレゼントしました。ゴールドの蝶々のイヤリングも買いました。でも20万円以上のサファイアのネックレスや指輪は買えません。私は宝石など持った事も無く、欲しいと思った事も有りません。アクセサリーは、所謂ファッションジュエリーで、デザインが気に入って買った、宝石とは無縁の物ばかりです。私が買わないと「日本で売って来てよ、京子ちゃん」と強引です。私の友だちも宝石を買うような人は1人も居ません。それでも押し付けられてしまいました。

彼と会った年の最初のクリスマス、彼が友達の家のパーティに行くから「一緒に行きましょ」と言います。「行ってもいいの」と聞くと「いいのよ、行きましょう」と言われ、付いて行ってしまいました。勿論、ゲイのパーティです。そこには10人位の日本人の人が居ました。「あーら、お久しぶり、こちら北田さんご夫妻」と紹介されたと思います。でも、皆男女のカップルなど興味無さそうです。勝手に飲んだり、食べたりしている内に、また別のお客がやって来ました。するとそこで、仲の悪い人通しが顔を合わせてしまい、とたんに喧嘩が始まります。今まで優しそうにおネエ言葉で話していた人が、突然ガラリと変わり、「何だとう、この野郎、もう一遍行って見ろ」です。顔つきもすっかり男です。恐いので、私たちはすぐに退散しました。
でも、そこで新しい友だちが2人出来ました。音楽家のコウジさんとジュリアンことカツミちゃんです。みんなカツミと呼んでも、「ジュリアンと呼んでー」と言います。彼は、ウェイターをしていましたが、とても勉強熱心で、馬鹿にされたくないと努力していました。ゲイの人には、馬鹿な人はとても軽蔑されて、付き合って貰えないのです。ですから、皆普段から、教養を磨き、気転が効くようにしているのです。Kちゃんも読書家で、彼の家のバスルームには、いつも「細雪」が置いて有ります。私の好きないい雰囲気の小説ですが、とても分厚い文庫本です。彼も何度も読んだそうですが、読む本が無くなると読むのだそうです。私たちも読み終わった本は、彼にプレゼントしました。日本の本を貰うのが一番嬉しいそうです。

私たちはヨットで旅行中、旅先で会った人たちに一言ずつ書いて貰い、写真を撮って貼ったゲストブックを作っていました。ヨットがニューヨークに着いてから、彼らの家に持って行きました。KちゃんとJさんは、興味深そうにそれを眺め、始まりました。一頁ずつ、「これ、出来る」「出来る」「悪いけど出来ない」「ダメ、この人出来ない」人の品評会です。彼らときたらいつもそうです。特にKちゃんは、レストランでも道を歩いていても、「ねえねえ、見て、あの人出来る」などと言います。私は呆れてしまいますが、いつもそんな事ばかり考えているのかしら。それでも彼は「人たらし」なのでしょう、すぐに出会った人を彼の世界に引き込んでしまいます。私も一時日本から、毎日のように、夜中に彼に電話を掛けていました。夜中に1人で居ても日本では電話など出来ません。その点、ニューヨークはお昼です。Kちゃんは人の話を聴くのがとても上手いのです。夫と喧嘩をしたり、いろいろな愚痴を親身になって聴いてくれます。「ああ、どうしよう、京子ちゃん、おいで、こっちにおいで」などと心配してくれたりします。それなのに残酷で、本気にするとしっぺ返しが来ます。夫と3人で飲んでいる時、私がちょっと愚痴ると、「ねえ、トオルさんもこれだから大変よねえ」などと言って、一気に真っ逆さまに突き落とされます。

私の知人のお医者さんの若い奥さんも彼に嵌ってしまって、随分宝石を買ったようです。上品な世間知らずの奥様に「いきなり、ねえ、あなた週何回」などと聞くのです。最初は戸惑っても、だんだん彼のペースに乗って、夫の事など話し出したりして、愚痴を言い、懐いてしまうのです。Kちゃんは女装では有りませんが、ちょっとマツコのようなタイプとも言えるかも知れません。でも、彼は20歳位の時は、美青年で女の人と結婚もし、子供までいるのだそうです。不思議なものですね。

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