アッツ島玉砕・・・5


Massacre Bayから見るNavy Town(画面右端の白い隊舎)
左端の高いアンテナはロラン塔

アッツ島出発の朝の写真である、滞在中、島の全容は霧と低い雲で見ることはできなかった
右の岩稜が左に下った辺りが「戦闘工兵の丘」だ
岩稜からは米軍の上陸地点も、戦闘の行われた地点もみわたせる・・・残置の二人はここから見下ろしていたのだろうか

ネービー・タウンの桟橋からは、コーストガードの補給船の荷揚げ作業の音が響いていた
「司令官殿へ・・・滞在中の支援に感謝します!」と無線で呼びかけると「オンディーヌの安航を祈る!」とスピーカーが鳴った

我々は、多くの英霊(日米で3188名が戦死)、日本兵の遺骨が眠る島に黙祷した

船長

アッツ島玉砕・・・4


戦闘とは、彼我共に、情報収集、偵等で完璧と思われる作戦計画が練られ実施されるが、計画どおり事は進まない
補給、増援が続かない日本軍

寒気による凍傷のほうが、戦闘による損失を上回った米軍
私たちが上陸した海岸には、ルピナスの花が咲き、青狐が餌を探し回っていた

コーストガード(米海軍に準じる組織)の隊員と黒犬は、日章旗を掲げたヨットを歓迎してくれた
水、燃料の補給、熱いシャワー、ディナーへの招待、ビールのプレゼント、司令官の案内で、日本軍の慰霊塔で一緒に黙とうを捧げてくれた
わずか4日間の滞在だったが、感じる事の多い日々だった
まだ回収されない遺骨の沈む海底から錨を揚げた

船長

アッツ島玉砕・・・3


米軍が奪還上陸後、残した軍需物資の残骸(1992年7月5日、船長撮影)

1943年5月29日、山崎大佐の守備隊は玉砕した
日本側戦死者、2638名、捕虜27名、29名という記録もあるが、この二人は別の任務で玉砕戦には参加しなかった
その任務とは「残置諜報」に近いもので、下級士官と下士官は「玉砕の様子を、日本軍司令部に記録し報告するため残された」
三か月後追い詰められ、「戦闘工兵の丘」を遠望できる岩尾根で投降した

「戦闘工兵の丘」は、山崎大佐たちの最後の戦場だった
丘にはいまだに、たくさんの遺骨が埋まったままである

キーンさんは、日本軍の玉砕手法は、大正時代以降に出てきた考え方だと云っていた

捕虜となり、日本では軍神として葬儀を済ませ、靖国神社に祀られている方のインタビューで
「私は、生存して、祀られていても、私はこのままでいい・・・戦友たちと離れたくないから・・・」とテレビ画面で筆談していた

今までに、「戦友たちの眠る、南の海へ散骨してくれ」「私の教えた青少年パイロットのほとんどが、特攻機で戦死した・・・私も彼らの居る海に散骨を希望する」という方たちからの依頼もあった

戦争はいけないことだが、家族を思い、友人を思い、故郷や国家を思って戦った人たちを忘れてはならないと思う

船長

アッツ島玉砕・・・1


昨日、TBS報道特集で「アッツ島玉砕」の番組を観た
八月になると、太平洋戦争関連の番組が多くなる

「アッツ島」は私たち夫婦にとって忘れられない場所である
1992年7月4日、米国独立記念日に、ヨット「オンディーヌ」にのりアッツ島に到着した

Attu Island  Murder Pt.の奥、Casco Coveに投錨するオンディーヌ

日本軍が占領したこの島の奪還作戦に、日本に帰化したドナルド・キーンさんが情報将校として参加していたのは知らなかった
軍事文章の翻訳や、捕虜の尋問のためだった様だ
この体験がキーンさんを、日本文学の研究者に向かわせたとのことだ

このホームページの「猫のグリとヨットの旅」の中に、その時の我々のリポートが詳しく載っている

いまだ多くの英霊の遺骨が眠るこの島の事を、前のリポートとは違う視点で何回か書いてみたい

船長

改葬・・・4


北朝鮮墓参のドキュメンタリー番組の事である
黄色く変色した、埋葬者リストと埋葬場所の地図が有った
埋葬者リストに1~4の数字が並ぶ
死亡者の年齢だった

満州国・国務院・国道局の役人だった父は
戦後処理で、現地に残された
母は三才と一才半の二人の姉を連れ日本へ向け歩き出す
母は妊娠していて、私は腹の中にいた
途中、下の姉は栄養失調と、チフスで死んだ
野原で火葬し、骨を拾い腹巻に収めた
母は、上の姉と、下の姉の遺骨、腹の中の私と共に帰国した
父はシベリアにも取られず、昭和22年10月に帰国した
私は生後半年の赤ん坊で父と会ったわけだ

あのリストを思うと、私たちは幸運だったかも知れない
父も母も亡くなり
あの戦争の事は、何も語らずに逝ってしまったが
今は、下の姉と父母は天国で一緒だろう

歴史の一部としての人々の運命
個々の家族が巻き込まれた運命
まだまだ、それは終わらない

海外に埋まったままのご遺骨
帰って来てもらいたい
でも、あの多くの犠牲に見合う
立派な国、日本になったのだろうか・・・

船長

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