アッツ島玉砕・・・3


米軍が奪還上陸後、残した軍需物資の残骸(1992年7月5日、船長撮影)

1943年5月29日、山崎大佐の守備隊は玉砕した
日本側戦死者、2638名、捕虜27名、29名という記録もあるが、この二人は別の任務で玉砕戦には参加しなかった
その任務とは「残置諜報」に近いもので、下級士官と下士官は「玉砕の様子を、日本軍司令部に記録し報告するため残された」
三か月後追い詰められ、「戦闘工兵の丘」を遠望できる岩尾根で投降した

「戦闘工兵の丘」は、山崎大佐たちの最後の戦場だった
丘にはいまだに、たくさんの遺骨が埋まったままである

キーンさんは、日本軍の玉砕手法は、大正時代以降に出てきた考え方だと云っていた

捕虜となり、日本では軍神として葬儀を済ませ、靖国神社に祀られている方のインタビューで
「私は、生存して、祀られていても、私はこのままでいい・・・戦友たちと離れたくないから・・・」とテレビ画面で筆談していた

今までに、「戦友たちの眠る、南の海へ散骨してくれ」「私の教えた青少年パイロットのほとんどが、特攻機で戦死した・・・私も彼らの居る海に散骨を希望する」という方たちからの依頼もあった

戦争はいけないことだが、家族を思い、友人を思い、故郷や国家を思って戦った人たちを忘れてはならないと思う

船長

コメントは停止中です。

オフィシャルサイトに戻る