船長の思い出「江川靴店」


船長こと私の夫から、先日、ホームページで紹介したお手紙に関連して、投稿がありました。

「江川靴店」

父親の散骨をされた娘さんの話を聞き、

ある靴職人のことを思い出した。

41年前、私は銀座の老舗「好日山荘」の店員をしていた。

憧れの有名クライマーが店長、

店主は日本の岩登りをリードしてきた温厚な方だった。

顧客は登山界の名士が多く、

欧米から輸入された高価な憧れの登攀用具に囲まれているだけで

私は幸せだった。

月2回登山靴の修理納品があった。

よれよれの帆布の大きなリュックサックに

修理された登山靴を何足も詰め、その人は現れた。

2週間前に持ち込まれた疲れた登山靴は、真新しい靴底に変わり、

乾いて硬くなっていた革には薄くミンクオイルが塗られて靴は蘇っていた。

丁寧な仕事ぶり、年下の者にもさんづけで話す江川さんに

その人柄が感じられた

今の私くらいの年齢だったのかも知れない。

江川さんはその足で浅草の革問屋で修理素材を買い付け

好日山荘へ戻り、狭い事務所で持参した弁当の昼飯を済ませた。

そしてまた、リュックサックに壊れた登山靴をつめ、

青梅の仕事場へ帰っていった。

私たちは江川さんの仕事ぶりに敬意を感じていたので、

泥だらけで持ち込まれた靴は水洗いをして渡した。

着飾った人たちが楽しげに行きかう銀座の「並木通り」を

質素な服装で大きなリュックを背負い、有楽町駅へ向かう後ろ姿が今も思い出される。

ある日、高齢で授かった自慢の一人息子が

高専に入学し、山岳部に入ったと嬉しそうに話した

「息子に山のことを、いろいろ教えてください・・・」といわれた。

高専の夏合宿に参加した子息は新潟の山で滑落し、死亡してしまった。

「私の仕事のせいかな・・・・」とポツリといった。

江川さんの後ろ姿は少し縮んで見えた。

急ぎの修理は、岩登りのゲレンデ「鳩の巣」(青梅線)の越沢バットレスの帰路に青梅線の小さな駅近くの「江川靴店」に取りにいくこともあった。

小さな店舗に紳士靴、婦人靴、運動靴、下駄、雪駄などが並び

直ぐ奥の作業場で、江川さんはもくもくと手を動かしていた。

店に入ると優しそうな小柄な奥さんがお茶を出してくれる。

作業場の前には額に納まった息子の写真が

はにかみながら微笑んでいた・・・・。

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