カウンセラーの手記

尊厳死は簡単ではない

ある事を聞いた。尊厳死協会に入っていたにも関わらず、それが実行されるのがとても大変だったという事である。
現代医学が進み、人は中々死なない。情報化も進み、健康で長生きするのは良いことである。しかし、多くの人は意識なく、植物のような状態での生存を望んでいない。はっきりと意思表示し、家族に伝えている人は多い。眠った状態で動けず、たくさんの管につながれ生かされている事を不本意と思う。それでも家族の気持ちとすれば、心臓が止まらないうちは死ではなく、温かい肉体に愛を込め奇跡を願う気持ちもある。

高齢者の死と尊厳

しかし高齢になり、本人が進んで尊厳死を望み、意思を形に残せば家族も同意せざるを得ない。それは難しい事ではないと考えていた。書面に残し、担当の医師に言っておけば済むだろう位にしか思っていなかった。
先日「風」で散骨為さった方は、尊厳死協会に入っていたにも関わらず、それが長い事認められなかったとご家族の方は言う。もう植物状態であるにも関わらず、病院を3か月毎に転院させられたと言うのだ。今、入院は3か月しかできない。3か月経つと病院で、もう次が用意されていて、早く移らないと部屋が塞がってしまうと急がされる。「尊厳死協会に入っていて本人がそれを望んでいます」と言うと、医者から「あなたは患者様を死なせる気ですか」と言われ取り合ってもらえない。そんな事が1年近く続き、尊厳者協会に協力を求め、それでも色々大変だったと言う。尊厳者協会そのものも結構お金が掛かるのだとも。尊厳死と安楽死は違う。生まれて来るのは選べないが、死に方はある程度選べるのが現代ではないのか。私は恐ろしく思った。

(2020/07/08)