お客様の声(風の日誌)

散骨式などのエピソードを読める「風の日誌」を過去のものから全てを掲載しています。過去のものは右の目次からどうぞ。

2002年9月

2002/09/25 家の近くの海に
2002/09/15 海上の野鳥ウオッチング・・・Sさんからのお便り
2002/09/10 Tさんからのお便り
2002/09/10 Kさんからのお便り
2002/09/09 散骨(委託)の報告とSさんからのお便り
2002/09/06 鹿児島のMさんからの、お便り・・・2
2002/09/06 鹿児島のMさんからの、お便り・・・1
2002/09/05 海上の野鳥ウオッチング、そして、ピアノ演奏
2002/09/05 叶わなかった花火と散骨

2002年9月25日

家の近くの海に

 Sさんご夫婦は、千葉県I市に住んでいらっしゃる。最愛の息子さんを亡くされたのは、4年前のことだった。突然の心臓病で27歳という若さだった。ご遺骨を預かりにお宅へお伺いし、故人の部屋に作られた祭壇のお供え物の多さにその悲しみが伝わってきて、胸が痛くなった。小学生のときに描いたという額に入った上手な絵、難しそうな英語の参考書、コンピュータの本、彼が目指していた世界は、そのままになっていた。その日の朝、最後のお別れにと、大理石の重い骨壷を抱え、散骨する予定の海に近い海岸、そして「海ほたる」へとご夫婦でドライブなさったそうだ。4年間いろいろ考え、家から近い五井海岸から見える海に散骨しようと、やっと決心なさったそうだ。

 その日、海は、曇りで風も強く、今にも雨が降りそうな天気だった。東京湾の奥深くといってもやはり、波は心配だった。でも、幸い雨も降らず、かなり揺れたものの誰も船酔いせず、無事散骨を済ませることができた。外洋に比べ、水の濁りは仕方ない。それよりも毎日でも会いに行ける場所が良い、ご両親はそう思われたのだ。五井海岸沖から、海釣り公園の見晴らしの良いというレストランの建物が見えた。そこでコーヒーを飲みながら、沖を見ればいいのだ。私もそこに散骨して良かったと思った。持参されたカセットデッキから、息子さんが吹き込んだ歌が流れる。そしてよく聴いていたというCDの曲。遠ざかって行く海面をいつまでも眺めながら、その歌はエンドレスで続いた。

 因みに大理石の骨壷も海底深く沈めた。父上曰く「タコの住処にでもなってくれればと…。」アメリカ人なら大理石の骨壷、レンタルかリサイクルしそうである。アメリカには火葬する人のためのレンタルの立派な棺があるのだ。

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2002年9月15日

海上の野鳥ウオッチング・・・Sさんからのお便り

8月31日は相模湾の散骨でお世話になりました。
私のイメージどうりのイベントになりました。
『心をこめて、さりげなく、そして明るく。』

人は必ず死ぬ。残されたものには(おそらく死んだ人にも)たくさんの思いはあるけれど、死ぬことも生きることの一部としてさりげなく受け止めたいというのが、私の死生観です。
父は私の人生観の形成には大いに影響を与えているので、この自然葬という形式を選んだことをほめてくれると思います。
バードウォッチングを人生の楽しみにして、自然を通して生き方を考えるのが当たり前の父でした。同じ趣味を持つものとして、私も同様です。
既成の葬送のあり方の、必要以上の形式主義や墓地造成による自然界に与えるダメージに疑問を感じて、娘として埋葬方法を模索している時に見つけた風さんのホームページに共感を覚え、海洋自然葬を選びました。
父の死から8ヶ月後の散骨でしたが、私たち家族にはこれだけの時間が必要でした。全員が納得して散骨の日を迎えることができました。
家族6人と親しかった友人6人で熱海を出航しまた。「冥福祈念バードウォッチング」であるかのように、全員が双眼鏡を首にかけ、海上を飛び過ぎるアジサシの群れを見ながら、散骨ポイントに向かいました。
遺骨はあっけなく波間に消えていきました。あとにはいくらかの花びらが漂っているだけです。いくらさりげなく、明るくといっても、寂しさがこみ上げてきます。しかし、「親子も一期一会」です。縁あって親子になったけれど、最後は自然にお返しするのが当然です。   
散骨が終わった海面すれすれのところを、オオミズナギドリが父の魂を静めるかのように、ゆったりと滑空していたのが印象的でした。
船長夫妻の飾り気のない司式にも好感が持てました。
帰港後は、参加者全員ほっとした気分に浸り、熱海の町で生ビールでのどを潤しながら思い出話に花を咲かせました。いい供養になりました。
風さんありがとうございました。

(9月10日「Kさんからのおたより」、9月5日「海上の野鳥ウオッチグ・・・」を参照ください。)

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2002年9月10日

Tさんからのお便り

 その節は、いろいろお世話になりました。
 私共にとって、2002年8月15日は、命日に次ぐ記念する日となりました。孫達も心に深く刻み、生涯、忘れない事と思います。
 これで、故人の希望した広い海原で、のびのびとしている事だろうかと思います。
 やつと、私の務めもすみ肩の荷もおりました。ありがとう御座いました。
 追伸
 お食事も、とても美味しゅう御座いました。

かしこ

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2002年9月10日

Kさんからのお便り

 「海洋葬実施証明書」拝受いたしました。
 額に納められた、相模湾を見っめたら感無量でございます。怪我の治療よりも、加齢の速度の方が早いものですから、すべて娘夫婦に任せ、当日も、いろいろお手を煩わせる事になりましたこと、お侘び申し上げます。

 好天に恵まれ、船の名前が「オンディーヌ」。それに故人が毎日稽古しても、上達しなかったピアノを、孫娘が葬送に代えてくれたことも、嬉しゅうございました。ほんとうに、ありがとうございました。
(9月5日の日誌「海上の野鳥ウオッチング・・・」を参照下さい)

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2002年9月9日

散骨(委託)の報告とSさんからのお便り

『散骨(委託)の報告』

MS様
 この度は、「有限会社 風」に散骨をご依頼下さいまして、誠に有り難うございます。ご主人様のご遺骨は、8月31日午後、相模灘の中央部にて海にお還しいたしました。
 この日は、快晴で、夏の名残の暑い日でしたが、空気は澄み、海も素晴らしい藍さでした。このところ、台風の影響で大きなウネリがあるせいか、海の感じは、まるで太平洋の真ん中、黒潮に乗っているようで、水も例年よりずっと綺麗なブルーです。
 松居慶子のピアノ「ディープ・ブルー」の流れる中、水溶紙に包まれたご遺骨は、りんどうや桔梗、菊など季節の花とバラ、ガーべラ、ゆり、カーネーション、かすみ草など色とりどりの花に囲まれ、しばし海面を漂い、やがて静かに深海へと沈んでいきました。
 ご苦労の多かった晩年をおくられたご主人、きっと深い海で安らかな眠りに就いていらっしゃると思います。
 M子さんは、その後如何ですか、お寂しい気持ちはしばらく続くと思いますが、長く生きれば、それだけ沢山の良いことにも出会えると思います。お幸せになってください。
 では、海洋葬実施証明書が出来上がりましたので、ここにお送りいたします。
 M子様のご健康とお幸せをお祈りして。                 
        
                              有限会社 風

『Sさんからのお便り』

 朝夕は、風がかすかに、秋のささやきを運んでくれています。
 本日(9月5日)海洋葬実施証明書が届きました。モダンで品格のあるもの、ダンディーだった主人も喜んでいると思います。
 私が乗船できなかったことは、とても心残りですが、その時の様子が目に浮かぶような、お優しいお手紙を添えていただき、目頭が熱くなりました。
 今、私は海洋葬であったことを、本当に良かったと思っております。幾多の偉大な方々も、海にお還りになりました。その中で、きっと主人は、お叱りを受けていることでしょう。
 私の墓参は、何時でも、何処でも、海辺に行くことです。そうすれば主人の声が風にのって聞こえて来ると信じています。母なる海に抱かれて、今、安らかに眠りについたと思います。
 何から、何まで本当にお世話になり有り難うございました。早々に息子達に報告したいと思います。
                             MS

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2002年9月6日

鹿児島のMさんからの、お便り・・・2

『9月1日に父上の散骨(委託)をされたMさんより、お便りを頂きそれを「風の日誌」へ掲載をお願いしたところ、承諾と「附記」の文章も頂きまた。』
私の拙文でよろしければどうぞ「風の日誌」にお使いください。日誌欄に余裕があれば附記として付け加えてください。(適当と思われゝばの話ですが・・・。)

附記
 私は鹿児島の者ですが、県外に住む兄がおり我々が結婚する以前に父は死亡、双方の子達は祖父を知らず鹿児島を遠く離れて住んでおります。
 父は生前元気な頃「墓はいらない。海にまいてくれゝばよい。」と申しておりましたが、当時まだ自然葬の考えが社会的に定着しておらずお寺に預けました。五十年たった今、自然に還したいと思った次第です。
 母は私の弟が生まれる筈であったとき死産、産後の肥立ちが悪く半廃人となって親どうしの協議による離婚、私は終戦後12歳のとき韓国から引き揚げたあと、引き合わせる人がいて一人の女性と会いました。そのときはじめて、自分にそのような母がいたことを知りました。母の母、私にとっての祖母が付き添っていて祖母から教えられて、目の前の少年がわが子とようやく解かると云う状況でした。その母も父に四年おくれて他界、実家の墓にはいっています。
 私は70歳、妻はあそこが痛い、ここが痛いと云いながらも67歳で元気、子の顔を見るとき親としてたいして力になってやれなかったかも知れないが、ここまで元気でやってこれて良かったと胸のうちで思っています。
 インターネットで自然葬を調べ「風」のことを知り、この四月東京にいる息子一家のところに行ったとき、「風」の船長ご夫妻とお会いしました。このご夫妻になら安んじて散骨をお願いできると思い、兄の同意をとり散骨を実施していただきました。
                    T.M.

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2002年9月6日

鹿児島のMさんからの、お便り・・・1

9月2日に、1日の散骨の様子についてメールをいただき、今日は「海洋葬実施証明書」をご送付いただき誠にありがとうございました。誠実に散骨をしてくださるかたにめぐりあえて幸いでした。
証明書もデザインが良く和みの感があります。(私ごとき素人が口にすることではないかも知れませが。)
証明要件を充たした紙片一枚を想像していたものですから、散骨位置もわかるようになっていて、品の良い額にはいっていて恐縮します。
早速兄に報告させていただきます。本当にお世話になりました。 ありがとうございました。

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2002年9月5日

海上の野鳥ウオッチング、そして、ピアノ演奏

その日も、夏らしいギラギラした太陽で始まった。場所も熱海である。29日の合同散骨の日は、あいにく台風15号の影響で延期になったが、この日は、海も大きなうねりはあるものの、比較的穏やかで、海の色も澄んでいた。

この日の散骨は、81歳で亡くなられたご主人の遺志で、関西からいらした長女ご一家を始め、皆様終始明るく、朗らかだった。ご高齢の奥様の乗降船が心配されたが、それも無事済み、船酔いの方もなく、もう少し長い航程でも良かったようだ。乗船している時間に関しては、お天気や皆様の体調などで、長すぎると言われたり、もっとゆっくりしたかったとか、いろいろで難しい。それに大勢お乗りになるとそれぞれ個人差もあり、苦労するところである。

さて、今回のご家族、ご親戚は、本当に和やかで、珍しいことに奥様以外11名全員が双眼鏡を首から下げている。そして1人が沖に鳥を発見し、指差すと全員が一斉に双眼鏡を向ける。故人は「日本野鳥の会の東京代表」をしていたという。自然と野鳥を愛した故人のご遺骨は、西表島にも1部散骨され、戦前住んでいた千島列島のパラムシル島にも機会があれば散骨したいという。

カモメやミズナギドリ、コアジサシの群れなど、そして私には名がわからない野鳥たちに送られ、お孫さんの弾く船上のピアノで「ニューシネマパラダイス」のメロディ流れる中、ご遺骨は自然の中に還っていった。

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2002年9月5日

叶わなかった花火と散骨

Tさん姉妹は、非常にお父さん思いである。
もちろん、散骨をなさる方のほとんどは、故人の遺志に添うべくご両親や、配偶者、身内を大事になさっている人たちだ。
でも、彼女たちほど熱心な人は初めてである。お父様の散骨を如何に思い出深いものにするか、細かいところまでいろいろ気を配られ、再三相談された。季節も丁度よく、場所も熱海でということで、散骨と花火を組み合わせるアイデアに決まった。

夕暮れ、陽が沈む頃散骨をし、夕食を船でとるなどして、その後ゆっくり海上の花火を観ようということだった。第一希望、第二希望とも日曜日が花火大会で、大いに期待していたのだが、両日とも台風の影響で中止せざるをえなかった。

8月の花火大会の最終日は、生憎平日で、彼女たちやご親戚のスケジュールには合わなかった。やむなく最後の日曜日の午後に散骨だけということになった。長く気を揉んだ甲斐あって、その日は、お天気、海洋条件とも申し分なかった。水面も穏やかで、鮮やかなブルーの海に色とりどりの花々、そしてご用意された三輪の蓮の花、ご遺骨は静かに水底深く沈んで行った。

彼女たちが用意した音楽はフィリッパ・ジョルダーノの唄う『私のお父さん』、そして『アベマリア』へと続く。その情感溢れるソプラノは、その場にぴったりで、本当にジーンと胸に迫るものがある。ご実家で作っているという静岡の地酒で献杯、そして黙祷をし、お別れは終わる。穏やかな水面を見つめている皆様の様子は、いつまでもそうしていたいようだった。

マリーナに帰り、皆様とお茶にする。お父様の思い出話に花が咲き、彼女たちが作ったという手作りの写真と詩が収められた冊子を見せていただく。セピア色の若かりし頃の父上、そして、年譜、詩、送る言葉。本当にお父様への思いが溢れている。それは49日に親戚の方々に配られたという。

2日後、熱海で夏の最後の花火大会があった。マリーナの真上に空中ナイアガラの花火があがる。私たちは、プライベートに友人たちと花火を楽しんだ。そして、T姉妹のお姉さんも、仕事を終え、東京から急いで駆けつけてくれた。

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