お客様の声(風の日誌)

散骨式などのエピソードを読める「風の日誌」を過去のものから全てを掲載しています。過去のものは右の目次からどうぞ。

2003年4月

2003/04/30 イルカと共に永遠に・・・4 (発見!イルカの大群)
2003/04/23 「これで、よかったですね」
2003/04/22 カリフォルニアから高齢のお兄さんが・・・3
2003/04/22 カリフォルニアから高齢のお兄さんが・・・2
2003/04/16 イルカと共に永遠に・・・3
2003/04/15 イルカと共に永遠に・・・2
2003/04/15 イルカと共に永遠に・・・1
2003/04/15 カリフォルニアから高齢のお兄さんが・・・
2003/04/05 花めぐりから思い出の町へ
2003/04/04 六十年つれそって・・・

2003年4月30日

イルカと共に永遠に・・・4 (発見!イルカの大群)

 4月28日は、23日に天候不良で延期になった合同及び委託散骨の日だった。この日は、天気晴朗、若干のうねりがあったものの風、波共ほとんど無く、最高の「散骨日和」だった。我孫子市からいらしたOさん親子と浦賀の隣町鴨居からいらしたKさん親子が乗船し、委託のHさんを含む3組のご遺骨を海へお還しする。

 青空の下、気温も程よく、穏やかな海の航行は、この仕事の幸せを倍増する。海と船と人が好きで始めたこの仕事だが、お天気に恵まれる日ばかりではない。先週は、船に弱いご家族だったため、かなり凪いだ好天気の日を選んだつもりであったが、予報は見事にはずれ、うねりと波と潮流で揺れが激しく、乗船されたUさんご家族は、半数が船酔いされ、本当に申し訳なかった。

 さて、うって変わって28日、好調に進む「オンディーヌ5」、剣崎を過ぎ、東京湾を出た辺りで、船長が沖に鳥山を発見。物凄い海鳥の数、その周辺には魚群がいるはず。そう思って、その方向に注意を向けていた彼は、「おう、イルカだ!」と叫んだ。一頭や二頭ではない、何十といる。百を超えていたかもしれない。

 船は船首をイルカの方へ向け、瞬く間にイルカに追いついた。艇速8ノット、群れにスピードを合わせる。右にも左にも、船首の下を潜るもの、海面高くジャンプするもの、黒と白の滑らかな皮膚を見せ、二、三頭、数頭づつ組になって、優雅な曲線を描き泳いでいる。あわててカメラを出すが、なかなかシャッターチャンスが定まらない。ビデオならよかったのだが、持ってきていなかった。

 しばし皆、興奮状態が納まらない。本当に久しぶり、2年ぶりの遭遇だ。2年前もゴールデンウィークの散骨の時で、帰りがけ、東京湾に入った所でだったが、こんなにたくさんではなく、一瞬のことだった。東京湾周辺で、こんなにたくさんのイルカに出会うなんて、本当にうれしくなってしまう。

 先日、イルカの好きだったHくんの散骨の日、祈りも通じず、現れなかった彼ら。でも、きっと朗報を伝えにやって来てくれた気もする。Hくんはイルカの仲間に快く迎えられ、元気に海の世界を楽しんでいるのだと。やがてイルカの群れは、海鳥を連れ、房総の方へと行ってしまった。

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2003年4月23日

「これで、よかったですね」

 4月13日、散骨されたOさんの奥様から、当社カウンセラー宛てに、お便りを頂きました。了承を得、掲載します。

 前略
4月13日は大変お世話になりました。また本日、お便りならびに、海洋葬実施証明書をお送りいただき、ありがとうございました。
心配された天気も、上々といえるものですし、船酔いの娘や孫も、その後元気を回復し、地方からの参加の、夫の弟妹も元気で、もとの生活にもどりました。
子供達も、これでお父さんの願いが、かなえられたと喜んでおります。私も心のつかえが少しおりたようで「これで、よかったですね」と遺影に問いかけています。奇しくも本日、4月20日は私どもの40回目の結婚記念日で、夫のいない初めての記念日となりました。
又いつか、夫の眠っている青い海を見たくなったら「風」の皆さまに、お世話になりたいと思っております。どうぞ、お元気でこれからも、ご活躍下さいませ。
船長さん、そして、アシスタントの方にも、くれぐれも宜しくお伝えください。ありがとうございました。
                       ON拝

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2003年4月22日

カリフォルニアから高齢のお兄さんが・・・3

 4月7日、散骨されたTさんの妹さんから、お便りを頂きました。承諾を得、掲載します。

 新緑の美しい季節になってまいりました。この度は、亡兄Tの散骨をして頂き、有り難うございました。
当初、心配と不安でおりましたが、船長夫妻の心のこもった、親切な対応のおかげで、安心して散骨にのぞむ事が出来ましたこと、感謝しております。
広い、真っ青な海、穏やかな波、素晴らしい天候の中、長兄Mと私ども夫婦で散骨出来ましたこと、うれしく思っています。
亡T兄も、大好きな兄Mの手で、散骨してもらい喜んでいると思います。有り難う御座いました。

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2003年4月22日

カリフォルニアから高齢のお兄さんが・・・2

 カリフォルニアからの電話
先日もTさんの散骨について書いたのだが、妹さんからはお葉書、アメリカのお兄様からは、わざわざお礼のお電話を頂いた。
私たちは、3,4年アメリカを旅行したり、住んだりして思ったのだが、アメリカに移住された日系の2世の方や戦前生まれの1世の方は、古い日本人の良いところをそのまま持っていらして感動してしまう。
謙虚で奥ゆかしく、礼儀正しい。それはやはり、祖国に誇りを持ち、日本人として恥ずかしくない行いをしなければという思いが、自然に身についていらっしゃるからだ。だから、どこへ行っても日本人の評判は良い。それは誇らしく、とてもうれしく、そんな方にお会いすると、自らを反省させられとても勉強になる。
カリフォルニアにお住まいのT氏もそんな1人で、今回の散骨のことでも妹さんを通じて何度もお礼の電話を頂き、先日はアメリカからご自身で電話を掛けてこられ、日本での散骨にとても感動し、弟さん(故人)も喜んでいると思うというお言葉を頂いた。
日本での強行軍でお疲れのご様子なのに、本当に恐縮してしまった。いつまでもお元気で日本人の良さを若い人たちに伝えてほしいと思った。

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2003年4月16日

イルカと共に永遠に・・・3

 Hくんの、お母さまから二通目のお便りを頂きました。

拝啓

 季節はどんどん前へと進んでいきますね。過日のHとの別れを、毎日思い出しております。

 様々な思い出の中でも、彼がイルカのビデオと本を見ていた時は、いつも笑顔で、何か口を動かしていて、「イルカと交信しているのかしら?」とよく思ったものでした。海に還って自由に動きまわれる事は、彼の意に一番添った納骨だったと思っております。

 私もこれで安心して、四国遍路に発てます。高知の海から太平洋を望み、あの大海原を思い出して、海に向かってHの名前を呼んでみたいと思っております。

 船の経験豊富な船長御夫妻に、初めから相談にのって頂き、本当にお世話様になりました。また、機会がありましたら、スワンの気分になれる油壺に寄ってみたいと思います。

                       敬具

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2003年4月15日

イルカと共に永遠に・・・2

 4月10日、Hくんのご遺骨を江ノ島沖に散骨。その後、お母さまからお手紙を頂きました。承諾を得、掲載します。

 先日は、有りがとうございました。春の嵐後の好天に恵まれて、白いオンディーヌと、青い海に聖さを感じ乍ら、往路は心の中その儘に、少しの波あり風あり、富士山にも見送られ二時間、散骨現場に。

 時に穏やかに、時に激しく体を揺らせてリズムを取っているのが好きな子でしたから、リクエスト曲の流れる中を、その場に「スー」と静かにイルカの様に綺麗に潜っていきました。花びらが、何時までも、いつまでも見送ってくれている様に思えました。

 イルカになりたかったあの子は、海に受け入れられたんだという安堵の胸の内を映す様に復路は穏やかな大海原となり、息子の好きだった船を一ぱい見ながら、滑るように走るように、「もし」乗っていたなら、さぞ喜こぶだろう・・・にと、少々複雑な思いものせて美しい油壺へ。

 お蔭様で一同、帰りの電車でも話が弾みました。丁寧な海洋散骨のあり方に一同も納得し、あの日イルカの声のCDを聴きながら、息子はもうあの辺りをクルクル廻って泳いでいると思っております。

 仲睦ましい魅力的な御夫婦と、初々しく気配りある好青年に感謝を込めて、まずは御礼まで。

 「友なりし 遺骨の重み受け入れて イルカは優し 春の江ノ島」

 「春海に イルカになりて聴くUFO  花にまもられ 新入生なりし」

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2003年4月15日

イルカと共に永遠に・・・1

 春のある日、お訪ねしたその家の前庭には、薄いピンクの愛らしい杏の花が咲いていた。私は最初桜の花だと思っていたのだが、教えて頂いて、初めて杏の花を認識した。昔、長野県の杏の里、更埴に何度も行きながら、ついにその花の咲くときに居合わせなかった。

 Hくんのお母様は、とても美しい人だった。電話で何回かお話していた時のイメージにぴったりの上品でおっとりした、そしてとてもお若く見える方だった。思わずあこがれてしまうような素敵な方である。

 三十三年間いつも一緒だった重度障害を持った息子さんが亡くなったのは、去年の8月のことである。彼女にとっては、健常者の子以上にかけがえない息子さんを亡くした悲しみは、如何ばかりだったことか、本当に計り知れないが、お宅にお邪魔し、彼の部屋を見せていただいたとき、思わず涙が出てしまった。水が好きで、イルカにことのほか愛着を感じていたらしい彼の部屋には、ミニチュアの滝や、船の絵などがたくさん飾ってあった。

 彼の死後、その埋葬に関しては、いろいろなことを考えられ、『イルカのいる海』に散骨しようという結論になったようだ。それも彼のお骨の1片も残さずに。障害を持って生まれたの彼の体をバラバラにしたくない、あの世でちゃんと五体満足に永遠の生を生きられるように。散骨するにあたっても、どこに依頼するか、いろいろお調べになり、弊社のホームページも何度も、繰り返し見て下さったそうだ。

 電話で、イルカのいる海との依頼を受け、船長は、インターネットや地元の漁師、仲間のヨット乗り、いろいろ当たり、結局近い場所ということもあって、江ノ島沖ということになった。

 私たちは、長年ヨットに乗っていて、日本近海いたるところでイルカに遭遇している。遠くは小笠原諸島、八丈沖、伊豆大島沖はもちろん、相模灘、東京湾でさえ会うことがある。2年前の5月、散骨を終えての帰路、東京湾に入ったところにイルカが現れ、そのとき乗船していた若い姉妹は、本当に大喜びだった。

 でも、それから2年、残念ながら散骨の時には、イルカには遭遇していない。船長は昨年夏、伊豆大島沖で鯨を見かけたというのだが。それでも、いろいろな情報から、親子のイルカが江ノ島沖を回遊しているようだ。

 4月8日、お釈迦様の日が第一希望だったが、その日も第二希望の日も風が強く、何とか、第三希望日の10日に船を出すことができた。そしてその日は待った甲斐があって、海は穏やかでおまけに空気も澄み、富士山が良く見えた。

 ご希望だった「ユーモレスク」の曲も前の日に見つかり、好きだったというピンク・レディの「UFO」(それも彼女たちの若い時の声で)そして「G線上のアリア」とお掛けする。そして最期に昨日偶然見つけたイルカの声が入ったクラシックのCD。

 お母様は、きれいにむいたグレープフルーツやおにぎり、お茶そして、桜を始めとする花々を持参され、ご遺骨と一緒に海に還された。彼が生前に自分で録音したというテープもお持ちになられ、彼の思い出と共にそれも流す。シャンソンあり、ポップスあり、演歌あり、クラシックあり、不思議にいろんなジャンルの曲が入っていた。

 残念ながらイルカとの遭遇は、ならなかったが、帰路油壺の入江でブイに舫をとり、お弁当をいただいた。春のこの入江も、薄いピンクの木々や新緑に囲まれて、その長閑さにため息が出てしまう。

 イルカさん、彼をよろしくお願いします。そして、お母様がいらしたら彼の様子を報告してくださいね。

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2003年4月15日

カリフォルニアから高齢のお兄さんが・・・

 アメリカ合衆国は、地図で見ても分かるように、広大な面積の国であり、人種も様々、出身国、宗教も多種多様である。だから、お葬式や埋葬に関しても一概には言えない。全体を見れば火葬率も低く、散骨をする人も決して多いとは言えない。

 大きく分ければ、東部、中部、西部、南部になるが、南部、中部は、まだまだ土葬がほとんどだ。それでも西部、カリフォルニアなどは、逆に圧倒的に火葬が多く、散骨も盛んである。私たちも5年くらい前にカリフォルニアの葬儀大学や葬儀社、斎場、火葬場、霊園などを訪ね、いろいろ勉強し、散骨もして来た。

 今回、散骨をしたTさんのお兄様は、カリフォルニア在住で、去年奥様を亡くされ、一部をサンフランシスコで散骨されたという方である。今年はTさんの七回忌にあたり、奥様の一周忌もある。それで、お兄様は日本に戻り、故里で奥様の納骨と一周忌の法要をなさり、ご供養に四国八十八ヶ所のお参りをなさって来た。

 弟のTさんは、亡くなられたときには、離婚なさっていてお子さんも有ったが、ご遺骨はお寺に預けられたまま行き場がなかったのだ。そのことをTさんの兄妹は大変心配し、散骨をお決めになった。終戦のときに、山手線でばったり復員途中の弟さんと会ったことが、胸に深く刻まれていて、弟さんのことを本当に心配なさっていたのだ。

 日本での忙しいスケジュールの中、80歳のご高齢にも関わらず、毎日、西へ東へと移動され、その日以外は空いていないという散骨指定日、お天気が心配されたが、本当に穏やかないい日和に恵まれ、無事に散骨を済ますことができた。

 四国の弘法大師生誕の地である善通寺のお札と、戒名の書かれた紙をご遺骨にお付けして、彼が長く暮らしたという茨城県大洗の沖を通るよう、黒潮の支流にお流しすることができた。

 終わってから、千葉市在住の妹さんを通じて、何度もお礼の電話を頂いた。イラクの戦争中で、帰りの飛行機も心配されたが、無事お帰りになったようだった。私たちは、日本での散骨体験をとても喜んでいただけたことが大変うれしかった。さぞお疲れになったことと思うが、いつまでもお元気にお過ごしいただきたいと思っています。

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2003年4月05日

花めぐりから思い出の町へ

 この季節、いろいろなお宅への訪問の道中、桜並木を始め色とりどりの花や新緑を愛でるのがとても楽しい。カーナビを頼りに知らない町々を訪ね走って行く。海岸線を通り、山の中を走り、町を抜ける。さわやかな風にいろいろな香りが乗って来る。

 その日は、町田から練馬へ向かって走っていた。丁度お昼を過ぎて、お腹が空いてきた。お蕎麦でも食べようということになり、通り道でお蕎麦屋さんを探すことになった。三鷹市を走っているときである。そういえば、この先、三鷹駅の北口に手打ちのお蕎麦屋さんがあったはずだ。「延壽庵」。懐かしい。

 何年前、もう、30年近く前、食べに行ったそのお店。そう、私たちは、武蔵野市に住んでいたのだ。結婚して半年は、西落合の四畳半のアパート。トイレも台所も共同。お風呂は銭湯、「神田川」の世界である。本当に神田川も近く、銭湯帰りは、いつも私が待たせたのだが。部屋の中も小さい冷蔵庫と白黒のテレビだけ、2段ベッドが付いていた。

 料理など家庭科の授業以外作ったことのない私は、共同の台所で本を見ながら食事の支度をするのが恥ずかしかった。流しの前には、「お湯は使う量だけ沸かしましょう」と書かれていて、なるほどと思ってしまった。洗濯機もなく、その頃はコインランドリーなどなく、シーツを絞るのに一苦労、2人で端と端を持って絞ったものだが、それでも1階に住む人から苦情がきて、「のしイカ」状になる絞り機だけでも欲しいと思ったものだ。

 そんな生活から、武蔵野市緑町の庭付きのアパートに移った時は、本当に夢のようだった。トイレにお風呂、キッチン、湯沸かし器、もちろん洗濯機も置けた。6畳1間なのに、庭が同じ位あり、私たちはそこを家庭菜園にし、きゅうりやなす、トマトなどを植え、夏の盛り、その収穫した野菜の美味しかったこと。若くて、何も心配がなく、夢いっぱい、幸せいっぱいの頃である。

 「延壽庵」に入り、おそばを食べる。昔の味は忘れてしまったが、その日のおそばも美味しかった。青梅街道に出るべく、北裏方向へ走るとゴージャスな桜並木に出た。その当時、桜の記憶はない。若木が30年経って、大きくなったのかもしれない。

 北海道の彼の実家の庭に、結婚してすぐ八重桜を記念植樹した。それから30年その木を見ていなかった。1昨年、彼の父親の納骨(一部散骨)に北海道へ帰った際、思い切って、今は貸してあるその家の前まで行ってみた。花の時期ではなかったが、今はもう、古くなったその家の庭に、太く大きな桜の木が涼しげに立っていた。

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2003年4月04日

六十年つれそって・・・

 3月16日に散骨(委託)されたYさんから、お便りを頂ました。承諾を得、掲載します。

 故H・Yには、御丁寧なる散骨を行って戴き、誠に有難うございました。
体調が悪く現地へ行けなく、写真を見て、またまた涙致しました。六十年近く、苦楽を共にし過ごした様々な思い出が、走馬灯の様に思い出されました。今は少しは気持ちも落ち着きました。

 朝、床で目がさめた時が、一番辛いです。朝夕に遺影に声をかけても、返事をしてくれませんで、ニッコリと私を見ています。私がメソメソしていては、主人も心配でしょうから、頑張って行こうと思っております。

 『すまし顔 遺影のアナタ 今何処(イズコ)』

 『花園に 白球飛ばす いとし君(テニスが好きでした)』

拝。

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