お客様の声(風の日誌)

散骨式などのエピソードを読める「風の日誌」を過去のものから全てを掲載しています。過去のものは右の目次からどうぞ。

2003年7月

2003/07/30 「第4回 水の上のジャズコンサート」 昼の部
2003/07/29 胸が張れます。
2003/07/23 寒い夏
2003/07/22 三崎で『風になりたい』
2003/07/22 子供たちのピアノと『ナポレオン』の香り
2003/07/14 へそくりと貯金
2003/07/08 ある思想家の死、サンダーソニアとチョコレートケーキ
2003/07/02 違和感がありましたが・・・
2003/07/02 海開き
2003/07/01 散骨と海模様

2003年7月30日

「第4回 水の上のジャズコンサート」 昼の部

 毎年、どうなることかと蓋を開けるまで心配な手作りのコンサートも、今年で4回目になった。

 毎回好評の生野菜を仕入れに、朝から三浦の農協や直売所を廻る。形や見掛けの悪いきゅうりやトマト、そして今年はズッキーニなども見つけて買ってみる。おまけにゴーヤを貰った。

 去年とは桁違いの人数の予約と梅雨が明けない天気が心配だった。飲み物や食材、紙皿などどれくらいあればいいのか、準備段階では全然見当もつかない。当日まで来れるかどうかはっきりしない人も結構いる。

 さて、三々五々人が集まり出し、バーベキューが始まる。空は晴れ間も出て暑くなり、火の側のマリーナのスタッフは汗だくだ。またたく間に焼きあがりの肉を待つ行列ができる。

 冷やしたトマトやきゅうりは、丸かじりの予定だったが、大きいものは切って皿に盛る。なにもかもあっと言う間に売り切れる。ビールもどんどん冷やし、ワインもどんどん栓を抜く。そうこうしている内に、紙皿が足りなくなり、慌てて近所のコンビニに買いに行く。ソフトドリンクも無くなったと言われ、これまたコンビニに駆け込む。紙皿は、ついにコンビニにもなくなってしまった。

 恐るべき消費力。完全に誤算だったが、長時間に亘る食べ放題、飲み放題など無理な話だったのだ。やはり時間は限定すべきだった。ソフトドリンクは、自動販売機から買って補充するはめになり、夕食用のピザの出前も2回に亘った。

 それでも、去年よりサックスが2人増え、迫力を増した演奏は、大好評だったし、芝生の上で昼寝している人、ピクニック風の家族、思い思いに食べたり飲んだり、演奏を聴いたりと皆楽しげで、規模は小さいながら、ニューポートのジャズフェスティバルの雰囲気に一歩近づいた感がした。

 この日空いたワインは150本、ビール等350本、それにソフトドリンク?本。
参加者はざっと200人。本当に大盛況で、皆さん有り難うございました。

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2003年7月29日

胸が張れます。

 7月14日の日誌のSさんから、メールを頂ました。承諾を得、掲載します。

 

 『散骨証明書が届きました。 私の想像より立派でした。

 写真も含め、これで親戚や友人に胸が張れます。貴社のお世話になって良かったと思っています。今後まわりに貴社を推薦するつもりです。

有難うございました。』

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2003年7月23日

寒い夏

 今朝、布団から出るのも躊躇するほど、気温が低い。曇り、少し強めの東の風、海岸に寄せるウネリもたかい。

 老犬たちとの散歩の途中、村一番の働き者、乗り合い船「かねだい丸」のオバサンとあいさつ。「ウネリでお客さん、(船に)乗り込むのに大変だった」と、防波堤越に出港して行った先に目をやる。中型の鯵釣りだ。

 大浦海岸の有料駐車場で、知り合いの農家の人へ、先日頂いたカボチャとジャガイモの礼を言う。市場では「西瓜はもって来ないで・・・」といわれるそうだ。寒さで売れないそうだ。「今年の西瓜は甘くていい出来なのに・・・」と、ボヤク。愛犬と中々来ない海水浴客の車を待つ。

 大浦海岸の海の家、開店しているのは一軒、準備中の一軒ものんびりやっている。海岸の散歩から道路に上がって、もう一軒の人も出勤してきた。「今日も、お客さん少ないだろうナー・・・」と。

皆が梅雨明けを待っている。

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2003年7月22日

三崎で『風になりたい』

 夏休みが始まり、ここ松輪も海水浴客や地元の子供たちで賑やかである。

 去る20日、三崎港にある市民ホールで、手作りのコンサートが行われた。油壺ボートサービスの女社長、日高さんと歌手の峠恵子さんの主催による第1回目のコンサートである。いろいろ段取りや打ち合わせ不足などあったとの事だが、まずは盛況のうちに楽しく終わった。

 まぐろ料理の試食と峠さんの歌に興味を持って、会場「うらり」に行くと目の前の岸壁は、二重三重にヨットやボートが横付けになっていた。友人や顔見知りの船も来ている。

 私たちの船も前日ここに留め、散骨のご家族をここからお乗せしたのだが、漁協と三浦市により、岸壁が開放され、以前より留めやすく整備されていた。私たちも船で猫を連れて行こうなどと言っていたのだが、朝方の雨に挫け、軟弱にも車で行くことになった。

 コンサートの予備知識が無かったので、カーペンターズを歌う峠さんを聴くのだと思っていたら、ハワイアンやエレキバンド、デュオなど盛りだくさんで、中々峠さんは出てこない。年をとるとあまり好きではない音楽をじっと聞くのは、結構つらいものがある。

 さて、峠さんの登場である。長身に花柄のパンツルックがかっこいい。彼女はなかなかの冒険家で、男の人たちに混じってヨットでのニューギニア探検・登山隊に参加して1年間船で暮らしたという。虫や爬虫類も好きらしい。

 カーペンターズの歌が得意で、森永やデズニーランドなどのコマーシャルソングも歌っている。そして三崎に住んで1年だそうだ。

 今回は彼女の作詞・作曲(日高さん原案)できたてほやほやの『赤い電車に乗って』という三崎をうたった歌も披露してくれた。三浦に住人になった私達、お気に入りの風景が目に浮かぶ、素敵な歌だ。

 そして、最期に賑やかにサンバと言って、始まったのは、『風になりたい』!私の目からは、思わず涙が出て止まらなくなってしまった。

 『風になりたい』この歌を知ったのは、本当につい最近のことである。先日、日誌(7月14日)に書いたKくん、お母さんの散骨のために1年間お金を貯めたKくんのお母さんに捧げた歌が『風になりたい』だった。その歌は、もう私にとって、Kくんのお母さんの歌であり、短かった彼女の人生、自ら命を絶ってしまった彼女の人生を思わずにはいられないのだ。

 Kくんが学生のころ、学園祭でこの歌をバックに踊り、それを見ていた彼のお母さんは、それからこの歌がカラオケの18番になったという。彼女の束の間の幸せが垣間見える。そして、彼女は、この隣の入江油壺での散骨を望んでいたのだ。

 峠恵子さんの「風になりたい」、きっとKくんのお母さんにも聞こえたと思った。

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2003年7月22日

子供たちのピアノと『ナポレオン』の香り

 19日、群馬からいらしたSさんの散骨は、理想的な海日和に恵まれ、三世代のご家族によるアットホームな雰囲気で行われた。5人の十代のお孫さんたちのお陰で、ご希望通り明るい和やかな海洋自然葬になった。

 女の子たちは、船上のピアノで『エリーゼのために』や井上陽水の『少年時代』などを交代で弾いてくれ、男の子たちは、船のマイクを使い、皆を笑わせる。元気で仲の良い家族の見送りは、故人にとって何よりの供養だとあらためて思う。

 ご病気になり、入院なさると好きだったお酒も飲めなくなり、大切にとってあった高価なお酒が残ってしまう。今回も大事にとってあったというブランデー『ナポレオン』を皆さんで献酒なさった。芳醇な香りは、きっとこの時の良い思い出に繋がるに違いない。

 この日は、三崎港からのご乗船で、三崎は丁度お祭りの最中だった。海のない県から来た子供たちは、夏休みが始まり、城ヶ島に泊まったが、お爺様のご遺骨を海に還し、思い出に浸り、海に遊び、きっと一生の思い出になったことと思う。

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2003年7月14日

へそくりと貯金

 今年の梅雨は、雨が少ないのに日照時間も短いという。昨日、前線の停滞で、天気予報は、それぞれの気象予報会社、それぞれの人で皆言うことが違い、当日になるまで、どんな天気になるのか、いま一つ分からなかった。でも、蓋を開けてみれば、小雨模様ではあったが、意外にいい海の状態だった。

 その日がだめなら、10月まで出来ないかも知れないということで、気を揉んだが、雨もそれほど強くならず、KSさんのご遺骨は希望通り無事海に還された。 思春期のお嬢さん2人を残されて、突然の病死、母としてさぞ心残りだった事と思う。お嬢さんたちは、制服姿もあどけなく、その寂しさや悲しみには胸が痛くなる。

 ご両親の看護や家族に尽くされ、お茶がご趣味だったという故人には、妹さんがお抹茶を点て、献茶された。故人に捧げるときは、茶碗にお湯を入れ、そこに抹茶を落とし、そのまま混ぜないのだそうだ。ほんのりとお茶の香りが広がった。

 帰り道、故人と同じ名前をつけた漁船(K丸)に偶然すれ違い、遺族は目を丸くした。生前に散骨の意志を口になさっていたKSさんが亡くなられてから、ご主人が探し物をされていて、やはり偶然彼女のへそくり30万円を見つけたという。多分散骨代として用意なさっていたのだろう。お気持ちが偲べる。

 6月18日に散骨したKくんのお母さんの散骨費用は、一人息子の彼が1年間貯金したお金で支払われた。就職が決まり、収入が安定したことをお母さんはとても喜んでくれたという。彼は、お母さんが離婚した彼のお父さんにも、再婚した新しい義父にも頼らず、その式を一人でしきり、新しい親戚の人々を呼び、やはり故人の遺志に従い無事散骨を油壺沖で終わらせた。実の父親である元夫も現在の夫もそのとき、来なかった。彼女は50歳、自死だった。彼は、完全に一人になった。

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2003年7月8日

ある思想家の死、サンダーソニアとチョコレートケーキ

 一介の人がこの世を去るとき、後に何が残るのだろうか。沢山の遺品?財産?写真?人によっていろいろあるが、心に残る言葉、影響を与える教えを残せる人は少ない。そして数々の思い出を人々の心に残し、その思い出が語り継がれていく人はうらやましい。

 その人は、昭和という時代を激しく生きた人だったらしい。その思想は決して主流にはならなかったが、そのユニークな人柄が、お弟子さんたちの言葉から偲ばれる。豪放磊落なイメージが浮かんでくる。お宅にお邪魔したとき、空っぽの部屋が目に入った。かつてそこは、蔵書の山だったそうな。その本は全部引き取られ、彼の文庫が設けられるという。

 通されたお部屋には、可愛らしいオレンジのサンダーソニアの花が花瓶に生けられていた。奥様は言う、「彼はこの花が好きで、名前を知っている唯一の花なの」大き目のオレンジのスズランというか、ほうずきのようなというか、独特なかたちの可憐な花である。

 散骨は、体の不調な奥様に代わって、お弟子さんたちがいろいろ動き、進められた。船に乗るのは無理ではないかと心配された奥様も、当日は乗船でき、無事ご遺骨は海に還された。広い海をどこまでも伸び伸びと行くように、ベートーベンの「第九」、八代亜紀の「舟唄」そして「インターナショナル」が流れ、百合とサンダーソニアの花が水面に浮かぶ。お酒は「飛良泉の山廃」、それに赤ワインも。圧巻は「トップス」の生チョコレートケーキだ。丸ごと海へ還す。

 「頑固爺さん」と言われる彼の意外な一面が浮かび、うれしくなる。「人間ってこうなんだよなー」と思わず微笑む。

 彼は、いろいろな思い出を残しこの世を去った。その思い出は、お弟子さん達により、ながく語り継がれそうだ。叶わぬことであるが、生前、お会いしてみたかった。

 船長付記
 「吉田松陰」の研究者だった、T先生。「散骨船オンディーヌ5」が出港した浦賀港は、吉田松陰ゆかりの地、運命的つながりを感じます。

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2003年7月2日

違和感がありましたが・・・

 6月23日、合同散骨に参加されたAさんから、お便りを頂きました。日誌への掲載を承諾頂きました。

 前略
 本日、「散骨証明書」受け取りました。

 その折は大変お世話になりました。主人の考えで、散骨することになり、違和感がありましたが、広がる洋上の中に散る母を思うと、土に返ると同じ思いがいたしました。

 有り難うございました。御礼申しあげます。

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2003年7月2日

海開き

 7月1日、「海開き」である。この日、生憎、都内へ出かけていて立ち会えなかった。今朝、大浦海岸に散歩に出てみると、浜に下りる階段の目の前に、見張り台、海に向かって右に二軒、左に一軒「海の家」も準備完了。例年だと五軒ならぶそうだが。

 このうち二軒は、顔見知りなので、友だちが遊びに来たら、どちらに紹介すべきか難しい。美味しそうなメニューも豊富だ。この集落への移住を紹介してくれた「大浦丸」のメニューの最後は「トコロテン 200円」、ダイエット中の私達も、これなら、散歩の度に、一休みできそうだ。(「佐助丸」も宜しく・・・)

 海に向かって、右側にやや大きめの遊泳区域、左側に小さな遊泳区域がある。その間に、潮が引くと海草に覆われた岩場が現れ、水溜りに小魚が泳ぐのが見える。砂浜の左右は断崖になっており、その右には縄文時代の遺跡の洞窟もみられる。

 平日は、プライベートビーチのように静だし、一目で見渡せる海岸は、子供たちが迷子になることも無いと思う。是非、お出かけ下さい。

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2003年7月1日

散骨と海模様

週末、大阪湾での散骨が無事終わりました。ホームポートを離れての散骨で、参加される人数も多かったので、心配しましたが、現地の船の方の協力もあって、とにかく無事終えることができました。

生憎の雨に風もやや強く、うねりがあったので、かなりの揺れで、船酔いの人がでるのではと、気を使いましたが、みなさん大丈夫だったようでホッとしました。今までの経験では、これ位揺れると、10人に1人は気分が悪くなられていました。今回は、初めて僧侶の方も乗られ、正式に読経をされたので、大揺れの中、ご住職さまも本当にごくろうさまでした。

お天気の関係で、半年越し、散骨が持ち越しになっている方がいます。参加される方のスケジュールの調整でお日にちが、かなり先になったりで、その度、天候とうまく合いません。海での散骨の場合、もちろん、安全がなにより優先します。それでも、今回のように、遠方からの参加者が多かったり、ホテルの予約、レストランやバスの予約などが有る場合、注意報くらいでしたら、無理して出られないことはありません。但し、散骨というセレモニーにふさわしい状況にはならないこともしばしばです。

ですから、ご参加の方、特に人数が多い場合、お子さんやお年寄りがいたり、船に弱い方が多い場合は、風は6メートル以下で波も1メートル以下でないと少し厳しいので、出港を見合わせることもあります。屈強の男性が多く、日ごろ釣りなどで船に乗りなれている方ばかりなら、多少海上が悪くてもそれほど問題はないのですが、10名くらい集まるといろいろな方が混ざっていらして、判断に困ります。

大切な散骨ですから、できるだけ良い条件で船を出し、いつまでも良い思い出として心に残ってほしいと思っていますから、天気の判断を下すのがいつも一番難しく頭の痛い仕事です。これからは、今までの経験を元に、ある種のスケールを作り、お乗りになる方とよく話し合い、出航の条件など決められたらと思います。

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