お客様の声(風の日誌)

散骨式などのエピソードを読める「風の日誌」を過去のものから全てを掲載しています。過去のものは右の目次からどうぞ。

2003年11月

2003/11/30 お坊さんに対する不信感と・・・2
2003/11/30 青空のSORA・・・8
2003/11/19 お坊さんに対する不信感と・・・1
2003/11/18 納骨してから見つかった遺書・・・2
2003/11/16 舟遊び・・・
2003/11/12 Hさんからのお便り
2003/11/06 青空のSORA・・・7
2003/11/06 青空のSORA・・・6
2003/11/06 納骨してから見つかった遺書
2003/11/04 Oさんからの散骨依頼書(霧の中の散骨)・・・2
2003/11/04 Oさんからの散骨依頼書(霧の中の散骨)・・・1
2003/11/01 34年前の約束・・・2

2003年11月30日

お坊さんに対する不信感と・・・2

 Kさんから、お便りを頂きました。承諾を得、掲載します。

 

 寒さも、一段と増して参りました。本日は立派な証明書を、お送り下さいまして、有り難う御座いました。

 待ったかいもあって素晴らしいロケーションで、散骨をすませました事を心より御礼申し上げます。主人が検査してました、色々な自衛艦も目にする事も出来ましたし、御二人の暖かい、お仕事振りも何よりでした。

 私もいずれ、お世話になりますが、散骨後は仕事にも復帰して、元気を取り戻して参りました。春には祖先の、お墓参りをして区切りを付けたいと思っています。有り難う御座いました。

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2003年11月30日

青空のSORA・・・8

 もう負けてはいないSORA

 SORAも、傷がすっかり治り、まだびっこを引くものの、お転婆この上ない。仔猫が10年ぶりに家に来て、こんなにやんちゃな者だったかと、あらためてびっくりする。ほんのちょっとした紙くずでも鉛筆でも、何でも遊んでしまい、部屋中飛び回って、捕まえてもスルリと腕から逃げてしまう。

 もう、我が物顔で、グリは少々閉口し、あんずもコケにされ、最早敵でもない。それでもSORAは、いつもグリが気になり、尻尾にじゃれ、後について行ったり、一緒に遊びたがる。そして、ついにグリのサンクチュアリ、聖域である我ベッドまで踏み込まれてしまった。

  しかし、このお転婆娘、疲れると膝から胸に上がってきて、ゴロゴロ、ゴロゴロ喉をならしながら、顔をなめたり、キスしたり、その甘えぶりがとてつもなく可愛い。グリは、仔猫の頃から、膝に乗ったり、抱かれたりが嫌いだったので、その辺が面白い。

 今日は、面白いことがあった。SORAではなくグリのことだが、私について来いと合図をする。普段からグリは、欲求をうまく私に伝える。ごはんのお皿が空だと、そっちに連れて行くし、水が汚れていると、それとなく手を突っ込んで、それとなく分からせる。外に行きたいときは、窓をたたく。でも、今日は違う。トイレについて来いというのだ。

 ここのところ、忙しくて気にしていながら、砂を取り替えていなかったのだ。グリは「トイレをなんとかしてくれよ」と言いたくて、私を見せに連れて行ったのだ。

 私が猫を好きな理由の1つは、グリのような頭の良さにいつも関心してしまうからだ。猫が芸をしないのも一種の頭の良さだと思う。動物本来の頭の良さとは、人の為に芸をしたり、役に立ったりということではなく、自分が生き抜く知恵、自分の快適さを求める知恵なのだと思う。SORAの甘えたり、媚びたりするのも一種の生きる知恵なのだなぁ。

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2003年11月19日

お坊さんに対する不信感と・・・1

 11月19日、ご主人の散骨をされた、Kさんの散骨依頼書です。承諾を得、一部掲載します。

 

 『散骨を希望する動機』
 千葉にお墓を持っていますが、先代のお坊さんとは特別仲がよく、年中お墓参をしていました。その方が突然亡くなって、新しいお坊さんの対する不信感があり、一人娘が他家へ嫁ついだので、色々大変な、お寺の行事等迷惑をかけたくありません。

 故人は海上自衛隊の船のエンジン検査官でしたので、病気になってからは、海に散骨を希望していました。定年後15年で亡くなりました。元予科練でした。これで娘にも迷惑をかけないで、安心して海に眠れることでしょう。

 『どのような雰囲気で散骨を行いたいですか。特に希望すること。』
 故人は五人兄姉の末っ子で、85歳のお兄さん夫婦や、お姉さん皆年上で散骨には参加が無理なので、東京の料理屋さんで待ってもらいます。

 参加者も皆船に弱い人たちなので、薬を飲んで参加します。京都の弟夫婦は天候待ち(Kさんの散骨は「風まかせ」を御希望です)が出来ないので参加しません。特に希望はありません。

 『故人の人柄、思い出など差し支えなければ・・・』
 海上自衛官でしたので、単身赴任で、佐世保、下総、大湊等廻っていました。結婚49年目でしたが、実際一緒に暮らしたのは30年位でした。

 一月からの入退院は、三回目で亡くなりましたが、自分の人生は明るく、陽のあたる所ばかり歩いてきたと云って、休まず毎日夕食を運んだ私に、「ありがとう、明日もきてね・・」と握手していました。優しく、きちんとしていた人でした。

 入院中も土日は馬券を買わされました。万馬券を2レース的中等、喜んでいました。生きている内に良い思いをしたいと、130日程、個室に入っていました。入院生活も、散骨も、本人の希望どおり出来れば、私も幸せに思います。(教会奉仕の為と、医学の為に慶応病院に献体しました)

 昭和23年から外務省、米軍憲兵司令部通訳。その後、海上自衛隊技官二佐で定年しました。

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2003年11月18日

納骨してから見つかった遺書・・・2

 Aです。その節は大変お世話になりありがとうございました。忙しい事を理由に、メールでの打合せばかりになってしまい、ご迷惑もお掛けしたと思いますが、最後まで親身になって話を聞いて戴き、感謝の気持ちでいっぱいです。

 『散骨』という事を心の中に置いて3年、1年以上もかけて調べたり考えたりして当日を迎えました。私の気分が乗らなく、散骨の事を考えられなかった時期もありましたし、みんなの意見や話を聞いてまとめる事に、疲れたときもあったのも事実です。でも母の気持ちをくみ取った上で、父の遺言の通りにしてあげたかった・・・。私の中にあったのは、それだけでした。

 以前にもお話ししましたが、別業者さんからも情報収集していましたし、とても悩みました。やっぱり風さんにお願いしてよかったです。天候にも恵まれたあの日、風のみなさんの心配りにふれ、父の散骨を無事済ませられた事を、みんな『よかった』という気持ちになった様です。

 昨日から母と姉家族と我が家に泊まり、みんなでお酒を飲んだりしていました。(もちろん父も)みんな元気そうでした。でも母は実際の所どうなのか・・・未だに心が読み切れません。

 家に独りでいれば淋しさもつのるでしょうし、眠れない日があるのも事実です。「一緒に住もう・・・」と誘っているのですが、諸々の事情でなかなか『うん』と言ってくれません。少しずつ、ゆっくり時間を掛けて、心の元気を取り戻してくれればと思っています。

 本当にありがとうございました。

 

 A様(風 カウンセラーからのメール)

 メール有り難うございました。ご無沙汰している間に、すっかり寒くなってしまいましたね。

 散骨証明書に誤植があったようで、本当に申しわけありません。すぐに訂正し、お送りしますので、よろしくお願いいたします。額は、そのまま使っていただくようになると思いますので、申しわけ有りませんが、入れ替えはそちらでお願いいたします。

 いつも散骨をなさったご家族のことは、気になっていて、特に、配偶者や、お子様を亡くされた方は、心配しています。いろいろなケースを勉強したりしていますが、やはり最低三年はお辛いようですね。今、「高齢者の方の生きがい」についても、講習に通って勉強しているのですが、良い思い出を振り返ることと、好きなことをさらに学習やお稽古をするのが良いようですね。90歳まで生きる時代になりつつあります。そして、根気よく学習すれば、歳をとってもまだまだ、いろいろ上達や発達するそうですから。

 でも、うつ状態が長く続くようでしたら、心療内科の受診やカウンセリングをした方が良いと思います。抗うつ剤も多少副作用はあるようですが、有効なようです。私も、少しうつで、明日心療内科に行こうと思っています。

 先日、「自殺防止センター」の世界大会に出席して、フィンランドなどの先進国(福祉的)に比べ、日本の現状を見ていると、どうしても暗くなってしまいます。

 Aさんのメール、散骨をなさるご家族の気持ちがとてもよく分かり、とても参考になりました。もし、よろしければ、前半の部分を匿名で、「風の日誌」に掲載させて頂けないでしょうか。

 また時々メールでもください。お母様、ゆっくり元気になると思います。

 では、こちらこそ有り難うございました。

風   

 

 お忙しい中、早速のメールありがとうございます。(Aさんからのメール)

 奥様(カウンセラー)からのメールを読ませて戴き、心の中が落ち着く自分がいます。お仕事の方も忙しいのに、みなさん(我が家も)へのご配慮には感謝の気持ちでいっぱいです。
うちの母も奥様からの手紙を読んだ時に『自然と涙がこぼれた』と申しておりました。(文章が苦手で『どんな風に書いたらいいのか・・・』と悩んでいて、返事を出せないままになっているそうです)

 色々な方がいて、それぞれの最期があり、それぞれ想いを持った家族友人がいて、それは決してひとくくりには出来ない事ですから、風のみなさんはとても難しいお仕事をなされていると思います。とても大変でしょうけど、頑張って下さい。

 私も散骨証明書を基に、近い場所へ散骨して欲しいと思っています。いつかまた、お世話になる時がきますので、その時まで・・・

 『風の日誌』の件、私の下手な文章でも、散骨を考えている人に少しでもお役にたてるのなら、よかったら使って下さい。またメールします。 みなさんお体にお気をつけて・・・

 P.S. 仕事も他も忙しく、毎日バタバタとすぎていて、お礼が大変遅れまして申し訳ありませんでした。

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2003年11月16日

舟遊び・・・

 9月20日に散骨された、Mさんからお便りを頂きました。当日は、北の風10メートルでしたが、マリーナからほど近い、金田湾は意外に静かな海況でした。掲載の承諾を、メールで頂きました。

 

9月に、父Mの散骨をしていただいたWMと申します。

 先日、母の手紙をHPに掲載したい、というお電話を頂きまして、「本人に聞いてから折り返し電話します」とお答えしたのですが、連絡が遅れまして申し訳ありませんでした。

 母の方は、勿論OKです。お役に立てるなら、と喜んでおりました。

 また、私の方からも先日の船長ご夫妻、またアシスタントの方には本当に細やかなお気遣い頂いて、お礼を申し上げたいと思います。

 海洋葬、ということでしたのに、まるで家族で楽しく舟遊びをしてるかのようにリラックスさせてもらいました。父も、湿っぽい事が大嫌いな人でしたので、楽しくお見送りできたことを喜んでいるかと思います。有難う御座いました。

それでは失礼します。

 

 拝啓

 日時の過ぎるのは早いもので、あっという間に、11月になってしまいました。返事が遅れて申しわけありませんでした。

 ずっと忙しく、やっと少し落ち着きました。急に寒くなると、主人がいない家がやけに、冷えているような気がいたします。

 その節は、本当にありがとうございました。お陰で、良い思い出になりました。その前の葬儀は親族や知人の為で、遺族にとっては、ただ疲れるだけでしたが、やっと、夫を見送ってあげられたという思いです。

 私が死んだら、娘たちが同じ場所に散骨してくれそうです。それまで待ってくれると良いんですが。

 一緒に船に乗ってくれた人たちも、私と同じにするそうです。これから、寒さが厳しくなって来ます。お身体に気お付けて、お過ごし下さい。

 敬具

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2003年11月12日

Hさんからのお便り

 11月3日、濃霧の合同散骨に参加された、Hさんからお便りを頂きました。承諾を得、掲載します。若くして亡くなった、Hさんの弟さんは自死でした。

 

 前略

 やっと冬の気配が感じられる季節となりました。弟、Yの海洋葬の折には、大変お世話になりまして、ありがとうございました。

 それぞれの生活に追われ、何年も交流が無かったのが、まだ早すぎる死という形で姉弟の絆を確認させられたのは淋しい事でした。

 ただ、「風」の海洋葬はスタッフのさりげない、そして細やかなお心使いに、私の想像していた以上に心に残るものでした。弟もきっと心安らかに、自然に還って行けると思いました。

 そして自分達の時も・・・と兄と話した次第です。

 ごめんくださいませ。

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2003年11月6日

青空のSORA・・・7

 SORAの強敵は、古猫のあんず。16歳を越えているというのに、すこぶる元気なお局的存在。グリ(10歳)は、10キロの巨漢で、お殿様的にあまりSORAに関知しない。

 といっても、本当は、少し気にしていて、私達に当たったりする。SORAは、なんとなく、グリが気に入っているようで、尻尾にちょっかいを出したり、そばに行って寝たり、挨拶のキスをしにいったりして、中年(老齢?)のおじさんをからかっている、おしゃまな小娘のようだ。

 SORAは、懸命にあんずを避けて、私達が居ない時は、ソファの中に隠れたりしているが、時々鉢合わせては、お局のあんずに追い詰められている。もう数ヶ月したら、立場が逆転してしまうだろうな、と思うと老猫あんずも哀れである。

 グリは、「ミスター カナディアン グリズリーベアー」という本名通り、人間には乱暴だが、頭もお行儀も良く、本当は、優しい性格なのだ、と2匹の猫が増えて分かった。彼の唯一心からの憩いの場は、私達のベッドだ。グリのために置いてある、白い毛のショールと私をセットにしてお母さんだと思っている。枕元でグリの喉を鳴らす音を聞くと私も本当に癒される。

 SORAは、屈託無く遊んでいて、お腹の上で寝てしまうが、その姿にやはり癒される。ペットというのは、本当にその存在だけで人に幸せを与えてくれるものだ。

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2003年11月6日

青空のSORA・・・6

  SORAを拾ってから一月が過ぎた。体重は1キロを越えて、全身バネの様な筋肉が付いた。最初は抱き上げると、背骨の一個一個のパーツがはっきり分かったのに、今はしなやかに逞しい背筋を感じる。立派なウンコを見ても健康そのものである。

 右の後足は相変わらず頼りなげだが、本人?は気にしていない。リハビリで健常者?並の体にしたいが、さて、仔猫のリハビリは・・・・?

  ペットショップで「仔猫のお遊びセット」を購入した。一番のお気に入りは、小さい毛皮の付いた釣竿、次は、鈴のような音の出る白鼠である。飛びつき、捕まえ、キックし部屋中飛び回る。いつもは動かない右後足も、興奮のあまり使っている。リハビリだ!

 もう一つのトラウマ、騒音と物騒な気配である。

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2003年11月6日

納骨してから見つかった遺書

  もう1ヶ月が過ぎてしまったが、茨城県からいらしたGさんの散骨があった。Gさんは、お気の毒に交通事故による突然の死だった。

 奥様もお嫁にいらした2人のお嬢様も、あまりのことにしばらくは、ショック状態が続いたらしい。もう3年前になるのだが、奥様は未だにお辛そうである。

 Gさんは、何か予感でもあったのか、元気な時に遺書を残してあった。しかし、誰も知らず、それは死後大分経って見つかった。ご遺骨はすでに納骨が終わっていた。遺書の中に散骨という文字を見つけたとき、ご家族は本当に戸惑ったことと思う。そしてそれを実行に移すまでもいろいろ迷い、悩まれたのだ。

 次女のN子さんは、資料を取り寄せてからも慎重に、半年くらい考え、弊社に下見に来たり、船にも見学にいらした。そして日取りを決めて後は、メールで前日まで綿密に打ち合わせが続いた。

 「富士山が見えるきれいな海へ」ということで、船は相模灘へ出たが、海上は穏やかで、風も弱く、生憎富士山は顔を出さなかった。

 この日のこだわり、油壺で食べたサンドウィッチとプリンは如何でしたでしょう。

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2003年11月4日

Oさんからの散骨依頼書(霧の中の散骨)・・・2

  父上を亡くされたOさんからの散骨依頼書です。承諾を得、一部を掲載します。

 

 『散骨の動機(長女・記入)』
 父がまだ元気なうちに、母と散歩をしている時、何度か「俺が死んだら、大部分の骨は海にまいてくれ。狭い墓には、少しだけ入れてもらえれば、十分だ。」と話していたそうです。出来れば、父の遺志をかなえられればと思い、申込みました。

 『故人の人柄、思い出など差し支え無ければ、お願いします。』
 生まれた地は逗子、その後、祖父が海軍軍医だった為、幼い時は、軍港のある土地(横須賀、佐世保、舞鶴、呉等)を転々としたそうです。

 また、本人も戦中、江田島の海軍兵学校にて、厳しい訓練を受けたそうですので、海にはとても縁があったと思います。

 終戦の翌年には、東京大学(帝国大学)薬学部へ入学を果たし、又、就職した後には、弁理士の資格や薬学博士号を取得し、本当に努力の人でした。

 真面目で、誠実、志は高く、純粋で、己に厳しい人であったと思います。また、自分が犠牲になっても他人の喜ぶ姿を見るのが好き、という心優しい面もあり、父の温かい笑顔はいつまでも私達の中に生き続けることでしょう。

 病に苦しみ、闘病も辛かったと思いますが、「痛い」とか「苦しい、辛い」と愚痴を云ったことは、ほとんど無く、とても、我慢強い、気骨のある人でした。

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2003年11月4日

Oさんからの散骨依頼書(霧の中の散骨)・・・1

  11月3日文化の日、晴天を期待するも、濃霧の朝をむかえた。

 風も無く海面は文字どうり、油を流したようである。灰色の海面に色とりどりの花びらが美しかった。

 レーダーが船影を捕らえる。霧の中から静かに「潜水艦」が現れた。艦橋の士官が双眼鏡で此方を見ていた。引き波を残して、又、霧の中へ消えて行った。

 Oさんの父上の散骨のシーンである。海軍にゆかりの、ご一家の散骨に霧の中から「潜水艦」の登場、不思議な気分にさせられた。幻覚かと思った。

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2003年11月1日

34年前の約束・・・2

 Iさんから、お便りを頂きました。承諾を頂き、ここに掲載します。

 

 心地よい陽射しの中で、これを書こうとしています。先日の散骨に際しましては、大変にお世話になりました。

 34年前の、先妻との約束をやっと果たすことが出来て、満ち足りた気持ちに浸って居ます。しかもこの事を、今の妻と息子の三人ですることが出来た事に、言い知れぬ平安を感じています。

 この事を実現させて下さった、船長ご夫妻には、心から感謝申し上げます。資料請求の段階から最後まで、親身になってご配慮頂いて、とても初めてお会いしたとは思えない温かさを感じました。

 「風」のお働きが、船長ご夫妻の手によって、何時までも続けられます様に、お祈りいたします。出来ることなら、私達夫婦の散骨の時も、お願いしたいと思っていますので、宜しくお願いします。

 今年一月に初めてパソコンを買って、妻がインターネットで、貴社を知って、お電話しました。実は、他社も一、二社検索しましたが、「風」さんに決めて本当に良かったと思っています。全てがラッキーでした。

 私が所属しています教会(キリスト教)では、「自分の葬儀についての希望」を事前に申告する様にしていますが、私の経験と合わせて「風」さんの資料も紹介したいと思います。

 お礼が大変遅くなって失礼しました。実はあの後、自分の通院やボランティア(腹話術)等で落ち着かず、今日になってしまいました。「風の日誌」に、Iさんとして、私どもの事を書いて下さり、重ね重ね、船長ご夫妻の温かいお心に与かり、感謝です。これからも時々、ホームページを読ませて頂きます。

 ここからは見えませんが、今日も相模湾は、静かに輝いている事でしょう。本当に、お心のこもった温かいセレモニーを有り難うございました。「風」さんの上に、神様の祝福をお祈り致します。

P.S.・・・散骨証明書も有り難うございました。

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