お客様の声(風の日誌)

散骨式などのエピソードを読める「風の日誌」を過去のものから全てを掲載しています。過去のものは右の目次からどうぞ。

2004年5月

2004/05/21 Oさんからのお便り
2004/05/21 「オンディーヌ」のような人・・・2
2004/05/21 「オンディーヌ」のような人・・・1
2004/05/19 ゼラニウムとレクイエム・・・4
2004/05/17 苺とみかんと讃岐うどん
2004/05/06 葉山に住み、葉山に眠る・・・2
2004/05/06 葉山に住み、葉山に眠る・・・1

2004年5月21日

Oさんからのお便り

 5月9日の合同散骨に、ご子息が参加された、Oさんさらお便りを頂きました。承諾を得、日誌に掲載します。

 

 この度は、大変お世話になり有り難うございました。

 私も、少し体調が思わしくなかったので、主人を見送る事が出来ず残念でしたが、息子と甥が、最後まで良くしてくれまして、助かりました。

 息子から、全て聞きました。細かいお心遣いしていただき、嬉しく思います。これで、お天気が良かったら最高だったと、言ってました。

 この間、近くまで車で行って、散骨された方向に、手を合わせてきました。本人の、希望どうりしてあげられ、喜んでいる事と思います。ありがとうございました。

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2004年5月21日

「オンディーヌ」のような人・・・2

 5月9日の合同散骨に参加された、Sさんからお便りを頂きました。承諾を得、日誌に掲載します。

 

 とても素敵な、海洋葬実施証明書をお送り頂き、ありがとうございました。

 亡き母の強い希望だった、海への散骨。あまりにも馴染みのない「散骨」で、どうなる事か不安でしたが、波間に消えていく母の遺骨を見ながら、「母は、地球に還っていくのだなぁ」と実感。散骨はとても自然な事だと、しみじみ思いました。

 「合同散骨」には、最初、少し抵抗がありました。でも、大海原へ、たった一人還る母を思ったとき、他の方とご一緒だったことで、母は寂しい思いもなく、安らかな気持ちで、海に還れたのだ思い、合同散骨でよかったと思いました。

 風さんの細やかな、お気遣いのもと、母を無事、海に還すことができ、本当によかったです。ありがとうございました。

 最後に、海に還っていった母の冥福を祈るだけです。

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2004年5月21日

「オンディーヌ」のような人・・・1

 5月5日の合同散骨は、低気圧の通過で風、波とも強い為、5月9日に延期になった。しかしこの日も、予報より早く天気が崩れて、出港するときは、小雨模様となってしまった。

 Sさんは、お母様の散骨のため、ご家族と妹さん、親戚の方など6名で参加された。お母様は、クリスチャンだったそうで、讃美歌をお流ししたのだが、ご遺影のお母様は、若いときの写真だそうだが、楚々とした感じの綺麗な方だった。

 参加された親戚の方の話では、故人の旦那様は、昔大学の卒論に「オンディーヌ」について書かれ、高校の学園祭でもそれを上演なさったという。上演にあったっては、先輩にあたる劇団四季の浅利慶太氏の所に押しかけ、協力をお願いしたというのだ。

 「オンディーヌ」は、先日も劇団四季の新しい劇場の柿落としに上演された、四季にとっても一番大事なレパートリーの一つである。フランスの劇作家、ジロドゥによって書かれたこの戯曲は、ドイツの民話「ウンディーネ」が元になった水の精の悲恋物語だ。

 年配の方は、ご存知かもしれないが、オードリー・ヘップバーンも舞台で演じており、日本では、加賀まりこと北大路欣也が日生劇場で上演して評判になった。私は、どちらも観ることができなかったが、なんといっても亡くなった影万里江さんのオンディーヌが一番好きだ。もちろん、本家本元のマドレーヌ・オズレは、どれほど素晴らしかったか、もう写真でしか知るよしもないが。

 Sさんのお父様は、ご病気が長いらしく、お会いすることもできなかったが、お互いに青春をジロドゥに懸けた者として、その話を聞けただけでも懐かしく楽しかった。

 因みに、Sさんのお母様は、「オンディーヌ」のイメージにピッタリの素敵な方だったのだろう。海に還るのは彼女の希望だったそうだが、正に相応しいエンディングだ。

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2004年5月19日

ゼラニウムとレクイエム・・・4

 4月16日の合同散骨に参加された、Kさんの長女Sさんからお便りを頂き、日誌への掲載の承諾を頂きました。

 

 先日は、いろいろお世話になり、ありがとうございました。

 当日は台風の影響で、海にうねりがあるという予報でしたので、母と二人、いろいろ心配しながら出かけていきましたが、思いもかけず穏やかな海に恵まれ、父との思い出の数々を話しながら、無事、散骨を終了することが出来ました。

 海上に漂う花々を見ながら、釣り好きで、何度も訪れた海に抱かれて、父はさぞかし満足してくれただろうと思いました。

 季節が移り変わるごとに、寂しさや悲しさは、薄くなるということはありませんが、それでも、生前からの強い願いを、かなえられたということで、私達も、少し安心を得た気持ちがいたします。

 当日、足の悪い母のために膝掛けをかして下さり、優しいお心遣いをいただきました。本当にありがとうございました。

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2004年5月17日

苺とみかんと讃岐うどん

 Kさんの家では、大変なことになっていた。Kさんの出産とKさんのお父様の臨終が2日違いで起き、「おめでとう」と「ご愁傷様」が行きかい慌しい一週間になってしまったのだ。

 そんな時、やはり優先されるのは、生きている方である。新生児と幼児を抱え、Kさんはてんやわんやである。Kさんのお父様の散骨は、委託で代行させていただくことになった。

 電話で、いろいろとご希望を聞くと、花は赤と橙と白のものを用意してほしいと言う。「父が、最後に病院で、苺とみかんと讃岐うどんを食べたいと言っていたので、その代わりの赤、橙、白なんです。」それを聞いて私は、何とか用意しなければ、という思いに駆られた。

 散骨前日、お花は、ガーベラ、バラ、カーネーション、カスミソウなどで、色は揃った。キリンのラガーも用意できた。お天気を心配したり、連絡をとったりしているうちに、私はすっかり苺やみかんを買うのを忘れてしまっていた。もう夜も遅く、都会と違って、田舎では開いている店もない。

 次の日の朝、コンビニで讃岐うどんは見つけた。苺は無理だ・・・。と、思っていたら、金田湾の前、何でも売っている小さなパン屋さんが、なんと開いていた。店に入ると苺があった。みかんはもう時期はずれで、八朔かオレンジになってしまう。仕方なくオレンジにさせていただく。

 私(カウンセラー)の母は、亡くなる前の日、ひな祭りのお祝いにホスピスで出たマグロのお刺身を美味しいといって少し食べた。なにかそれは少し、救われた思いのする出来事だった。

 船で、うどんを茹で、お供え用に少し取り分ける。Kさんのお父様、せめて、天国で、召し上がってください。苺とオレンジと讃岐うどん、ビールもありますよ。

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2004年5月6日

葉山に住み、葉山に眠る・・・2

 4月24日、葉山沖に散骨をされた、Nさんの妹、Yさんからお便りを頂きました。日誌への掲載の承諾を頂きました。

 

 この度は、故Nの散骨証明書を、お送り下さり、ありがとうございました。

 また、先日の散骨の折には、大変お世話になりました。今も、姉が逝ってしまったことが信じられない思いでございますが、散骨が滞りなく済み、遺族一同安堵いたしました。

 貴社の、ご親切なご配慮に感謝申し上げます。
                           かしこ

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2004年5月6日

葉山に住み、葉山に眠る・・・1

 Nさんがマリーナに船を見に来られたのは、3月10日のことだった。葉山で一人暮らしのお姉さまが、いよいよ危ないというのだ。本人が葉山沖の散骨を望んでおり、兄弟も皆賛成しているという。衣笠のホスピスも予約し、入院の順番を待っているところだが、間に合わないのではないかと心配していらした。兄弟は、埼玉や東京など遠くに住んでいるが、交代で看病に来て、散骨の会社もあちこち尋ね、調べていたようだ。

 それから10日位経ってNさんから申込みの連絡が入った。詳細は聞かなかったが、4月17日に散骨したいとのことだった。その時はお亡くなりになったのかどうかをお聞きできなくて、まだ状況がよく分からなかった。ホスピスは間に合わなかったのか、いよいよ悪いということなのか。申込書を頂いて、3月12日にお亡くなりになったことを知った。Nさんが船にいらして2日後だったのだ。

 予定の4月17日は、素晴らしい天気で暑いくらいだったが、小笠原近くにあった台風の影響で、海上は波浪注意報が出ていた。結局乗船予定の葉山マリーナの入出港は無理と判断し、散骨は翌週に延期になった。葉山マリーナを利用しての散骨は、今回が初めてである。Nさんのご兄弟、親戚が皆船に弱く、出来るだけ乗船時間を短くしたいとの希望で、葉山沖に一番近い葉山マリーナを利用することにしたのだ。

 葉山マリーナは、ロケーションも良く、レストランやショップもたくさん有り、普段船に乗らない人にとっても楽しめそうな場所である。但し、ハーバーとしては、水路が狭く、入り口に浅瀬もあり、南風が強いと高波がおきるので、他所からの船にとっては、好んで行きたいマリーナとは云えない。大分前に散骨で利用した逗子マリーナでは、散々な目に逢い、それから逗子には行かないのだが、湘南のマリーナは、雰囲気は素敵なのだが、概して皆狭く、船の取り回しが大変だ。佐島マリーナのように大きな船は入れない所も多いのだ。

 24日も前日には、判断に苦しむような天気だった。それでも昼間の数時間は、一時的に風が治まりそうだということで、出港時間を1時間遅らせて実施することになった。予報どおり風は朝まで止まず、浦賀出港の頃は小雨まで降ってきた。おまけに冬に戻ったような寒さである。マリーナを出てすぐに、マリーナのスタッフから電話が入る。いつも天気予報を見てくれるCさんで、心配してくれていたのだ。

 しかし海上は、思ったより悪くなかった。葉山マリーナへの電話でも、向こうの海は凪とのことだった。北風の時は、湘南側の海は比較的穏やかだが東京湾は悪く、その辺が難しい。

 葉山では、Nさんたちご兄弟が揃っていた。

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