お客様の声・風の声 2004年10月
2004/10/26 奇跡的な天気と家族で奏でる音楽葬・・・2
2004/10/26 奇跡的な天気と家族で奏でる音楽葬・・・1
2004/10/16 嵐と共に
2004年10月26日
奇跡的な天気と家族で奏でる音楽葬・・・2
さて、Kさんのお姉さんは、プロのピアニストなので、彼女がピアノを弾き、みんなで賛美歌を歌うということで、いろいろ準備をなさってきていた。
ご希望の海域まで、Kさんとお姉さん、その旦那様、息子さんでリハーサルをなさる。今回は、正にKさんご一家の手作りの音楽葬なのだ。
逗子沖に着き、海洋葬が始まる。今にも降りそうな空であるが、幸い雨は降ってこない。私は開会の辞を述べ、後はKさんにお任せする。Kさんは全員に楽譜を配り、賛美歌の合唱が始まった。「また会う日まで」など2曲を全員が歌い終え、いよいよ皆さんで、ご遺骨を海にお還しする。
その間は、CDに寄る映画音楽で「ニューシネマパラダイス」などをお流しする。小さい花が好きだったというお母様に色とりどりの小花を捧げ、コーヒーを供し、再び演奏が始まる。
Kさんのお姉さんと息子さんのピアノ連弾に旦那様、Kさんのギターによる四重奏、そしてKさんのお姉さまのピアノソロで「G線上のアリア」が素晴らしい。お孫さんの「猫ふんじゃった」のおまけもつく。
それから「若者たち」の大きな譜面が窓に貼られ、コード楽器を全員が手に持ち合奏、合唱して音楽は終わった。最後にお父様の挨拶で式も終わり、船が復路に向かうと雨が強い勢いで降り始めた。
こんなにフルにピアノや船を使ってもらって、充実した海洋葬ができたのは、初めてで、私にとっても素晴らしい体験となり、奇跡的な束の間の雨上がりとともに素敵な1日だった。
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2004年10月26日
奇跡的な天気と家族で奏でる音楽葬・・・1
Kさんから電話を頂いたのは、彼のお母様が亡くなってすぐのことだった。お母様が生前から散骨を希望していたので、そのためにはどうすれば良いかというご相談である。
散骨を希望される方は、葬儀はしなくていいから、とにかく海に還してほしいという方が多い。Kさんもその遺言通りしようとしていたのだ。
一番シンプルに散骨をする場合は、まず24時間安置後に役所から火葬許可書を取って火葬して頂く。Kさんはご家族だけで、ご自宅でお通夜をなさりたいということで、それに適した葬儀社をご紹介した。その場合も必要なものは、棺だけで、後はオプションである。
Kさんは祭壇と、ご遺影、お線香やお花をオーダーなさった。僧侶は呼ばず戒名も付けない。一般的な葬式はせず、散骨の海洋葬だけをなさることにした。
Kさんのお父様は、生前に奥様から散骨の意思を聞いておらず、お墓もあるのだからとしばらくは戸惑っていらした。
2日後火葬場に出向き、ご遺骨をお預かりし、海洋葬の打ち合わせをした。早い方が良いということで、初七日過ぎに散骨が決まった。船のピアノを使い、ギターも持ち込みたいというご希望だった。
船の上での音楽葬が決まり、天気だけが心配だった。今年は初夏から台風の上陸が多い上に、秋になって雨も多い。大人数のご乗船で、演奏をするには海上穏やかで、雨も降らないという条件でなければ難しい。
そしてその当日、22号台風は免れたものの、朝から雨模様となった。小雨になることを期待して、Kさんたちと楽器を船まで運ぶ。皆さん揃って出港すると、どんよりとした曇り空だが、雨が上がりはじめた。
20分ほど走った辺りで、物凄い鳥山に出会い、何千羽というミズナギ鳥が飛ぶ中を船は通り抜ける。鳥たちは、鰯の群れを追い、くちばしに魚を咥えている物もいた。こんなに凄まじい数の鳥は初めてで、みんな興奮気味だ。
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2004年10月16日
嵐と共に
あんずは、三毛とトラのハーフのメス猫だ。ももちゃんという姉妹がいて、アメリカ村(東京・立川)の家の前で15年以上前に拾った。ももちゃんは、だいぶ前に亡くなり、あんずは通算100匹を越すアメリカ村時代の最後の猫になった。
歯が全部無くなっても、ドライのキャットフードを食べ、病気一つせず、淡々と生きていたが、台風22号の日に突然亡くなってしまった。
その日、朝起きて見るとあんずの姿が見えなかった。しかし、それほど気にも留めず、そして忙しさに紛れて、気が付いたとき、冷蔵庫の傍で壁をこするような音がした。それであんずのことを思い出し、冷蔵庫と床や壁の隙間を除いたが見えない。冷蔵庫を少し動かし、もう一方の隙間を見ると、そこからあんずは、フラフラになって出てきた。
急いで毛布にくるみ、ソファに連れていったが、もう長くないのは明らかだった。老衰なのだ。その前の日まではおとなしくソファの上で寝ていたし、さらに前の日には、ひざの上に乗りたがっていた。糖尿病のグリに手がかかり、あんずの食欲が落ちていたことには気が付かないでいた。どこも苦しそうではなく、本当に静かに少しづつ死に近づいていったのだ。
毛布に包まれていてもしばらくして、また、家具の後ろに隠れたりしていた。猫は死に目を人に見せないというが、やはり本能的にそういう習性があるのだ。また、毛布に戻し、安らかな臨終を見守ることにした。
外の嵐は、だんだんと激しさを増してきた。40メートル近い風が吹いているのか、雨戸を閉めてもガラス戸が壊れそうな勢いだ。停電になるかも知れないと思い、懐中電灯とロウソク、マッチ、ラジオを用意し、夕食の支度を早めに始めた途端、電気は消えてしまった。
台風は、猛烈なスピードで走り去り、それと共にあんずの命も尽きてしまった。
晩年、少しの暇を見ても人のひざに座りたがり、忙しいときなどうっとうしいと思ったりもしたが、逝ってしまうとやはり、部屋の中に穴が空いたようでとても変だ。
あんずも剣崎沖の小太朗の側の海に還したい。
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