お客様の声(風の日誌)

散骨式などのエピソードを読める「風の日誌」を過去のものから全てを掲載しています。過去のものは右の目次からどうぞ。

2004年11月

2004/11/17 電話が鳴ると・・・
2004/11/17 茨城、大洗沖への散骨・・・2
2004/11/17 茨城、大洗沖への散骨・・・1
2004/11/16 横浜沖へ針路変更
2004/11/11 沖縄・ほうずき・海人
2004/11/11 沖縄・久米島・委託散骨・・・2
2004/11/11 沖縄・久米島・委託散骨・・・1
2004/11/11 札幌の石橋圭子さまからの手紙
2004/11/09 父の散骨・・・1
2004/11/09 台湾の四姉妹

2004年11月17日

電話が鳴ると・・・

まだ若かったお嬢様を亡くされた、Oさんからのお便りを、承諾を得、掲載します。

 

風御夫妻様

過日は大変お世話になりました。

日中は、サラ・ブライトマンのCD、夜は火葬後の収骨の時に流した、快眠のCDを聴く毎日です。

今、娘が家にいない事には慣れましたが、電話が鳴ると一瞬、娘からと思い込んでしまいます。

11月3日、ガーベラと供に娘の遺骨が、青い海へ散っていった様子が、美しくも悲しくもあり、涙です。

来年の11月3日、風車の公園から散骨ポイントが見渡せると、教えて下さいました場所へ行く予定ですが、すぐにでも行きたい気持ちです。

一日に何度も何度も、ありがとうの言葉を述べる娘でした。私共にとって100%満たされた、娘の最後の姿でした。

                 感謝

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2004年11月17日

茨城、大洗沖での散骨・・・2

Kさんからのお便りを,承諾を得、掲載します。

この度は、夫Sの散骨にあたり大変お世話になりました。また御丁寧な報告書、並びに証明書と写真を、お送りいただき有難う御座いました。

散骨当日の暖かな海の様子が目に浮かぶ様です。夫は生前より折にふれ「墓はいらないから、海にでも骨を撒いてくれ・・・」と申しておりました。

その時は何時も何気ない会話の一つとして聞いておりましたが、急逝し、何の心の準備もないまま、葬儀をむかえることとなってしまいました。本当に夫の言葉どうり墓をつくらなくてもよかったものか、また実際に散骨できるものかもわからず、一時迷いもありましたが、O葬祭さんを通じて散骨できることを知り、夫の言葉どうり、執り行うことに決心致しました。今となれば葬儀は、夫にしてあげられる最後のことなのだと実感しております。

残念ながら乗船しての散骨には立ち会えませんでしたが、皆で家の庭の、夫の記念樹として植えた桜桃の木のまわりに遺骨を撒き、線香を立て供養致しました。

夫が望んでいたとうりに墓を作らず、大洗の海に散骨できたことに家族一同、心から満足しています。そして何より最初から最後まで、私共の気持ちを大切に汲んで下さいました貴社に、出逢えたことを喜ばしく思っております。

散骨を貴社にお任せしたことで私共も、そして多分、S本人も平穏な気持ちで、心の一区切りをつけることが出来ました。あらためて数々のお心遣いと御足労に感謝申し上げます。

朝晩の冷え込みが厳しい季節となって参りました。皆様、お体をどうぞ御自愛下さいます様、そして、多くの方が心鎮かに葬儀に臨まれますことを願っております。

本当に、有難う御座いました。
                          草々

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2004年11月17日

茨城、大洗沖への散骨・・・1

Kさんへの報告。

拝啓

この度は、弊社をご利用頂きまして誠に有難うございました。

今回のご主人様の海洋葬、自然の中での葬送のため、どうしても天候に左右され、皆さまの予定通りに行かず、ご参加になれなかったことは、本当に残念なことでございました。また、奥様には散骨を決定されるまで、そして散骨が実施されるまで本当にいろいろお心穏やかでは無かったことと深くお察し申し上げます。

さて、10月24日にご家族に代わり、茨城県大洗海岸の沖合いにて恙無くS様のご遺骨が海に還されましたこと改めてここにご報告させて頂きます。

24日は好天に恵まれ、休日の那珂湊界隈は、いろいろなイベントが催されており、沢山の人で賑わっておりました。気温も高く秋とは思えない陽気でしたが、船に乗って海へ出ると、北からの風が冷たくそしてすぐに太平洋という外海だけに穏やかといっても波はかなり高く、日本近海でも有数の荒海を実感いたしました。

やがて海岸から沖合い5㎞ほどの海域に至り、バッハの「G線上のアリア」が流れる中、明るい色とりどりの花々と、茨城の地酒を添えて水溶紙に包まれたご遺骨を丁重に海にお還しいたしました。

同封のお写真と証明書をご参照くださいませ。S様のご遺骨は黒潮の本流に乗り、北から太平洋を廻り、ハワイやカリフォルニアを通って地球一周なさることと思います。茨城の海は勿論、どこの海にいらしても皆さまの思い出の中にいつも甦ってお出でになることでしょう。

では、これにて失礼いたしますが、皆さまのいろいろな思いなど、同封しました葉書にてお寄せ頂ければ、今後の参考に致したいと思います。日毎寒くなります折から、くれぐれもご自愛下さいませ。

敬具

平成16年11月1日
有限会社 風

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2004年11月16日

横浜沖へ針路変更

横浜港を正面から望む海域に、お父様の散骨をされた娘さんから、お便りを頂きました。承諾を得、掲載します。

 

証明書届きました。ありがとうございました。

想像していた証明書より立派なもので驚いてしまいました。早速母に見せて父の仏壇に飾りました。色々お世話になりありがとうございました

早いもので父が他界して5年が経ちました。2年前、父の遺言を見つけ散骨して欲しいとの希望が書かれていましたが、決心するのに長い年月を費やしてしまいました。色々迷った末、父の望みに答えることが供養になると決心し、お願いする事にしました。

出航場所が横須賀で三重県から遠方という事もあり、いろいろと心配をしていましたが、船長ご夫婦の優しさに触れ穏やかに式を迎える事ができました。

しかも父が横浜で生まれ育ったと会話した事で急遽、散骨場所を父の自慢の故郷の横浜に変更して下さった上、さらに父が若い頃、長年勤めた職場の見渡せる場所へと配慮していただきました。

父の好きだった小林旭の歌が流れる中、天国へと旅立った父の笑顔を見たような気がいたしました。父も横浜の変わりように驚くと共にさぞ懐かしがって居た事と思います。

そして散骨した事を喜んでくれたと思います。これも全て船長ご夫婦の心遣いのおかげと心から感謝しております。本当に色々お世話になりありがとうございました。

よろしければ「風の日誌」に掲載いただければ幸いです。

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2004年11月11日

沖縄・ほうずき・海人

台風24号の影響で4日遅れの沖縄・久米島入りとなった。民宿で旅装を解き食堂へ降りて行くと「海人(ウミンチュー)だな!!」と声が掛かった。漁師でもある宿の主人である。

海人(ウミンチュー)とは、海で生業をたてている人をさしている。散骨もたしかに海人である。太めで日焼けした私(船長)を見て、同類と認めてくれた宿の主人の言葉が嬉かった。

翌日、Hさんのお母さんの散骨である。Hさんは医学関係のジャーナリスト、お父さんはリタイアされた医師、二人立会いで久米島東方のハテノ浜南海上へ向かう。

パステル色の海面はリーフ(珊瑚礁)を抜けると一気に紺碧の海に変わる。真紅のバラ、赤いハイビスカスの花弁に混じって数個の「ほうずき」が海面に浮かぶ中、ご遺骨の海水の溶けていく様子はいつまでも見ることができた。青インクの様に見える海水は完璧に透明なのだ・・・。お父さんがポケットから数個の「ほうずき」を出したときHさんが微笑むのが見てとれた。お父さんは船べりで背を丸め、帽子をまぶかに被り肩で泣いていた。

民宿で夕食をとっていると携帯が鳴り、Hさんから「一緒に飲みませんか?」と誘いがあった。日航ホテル前の屋台「スリーピース」から迎えの車がきて合流した。

沖縄料理や泡盛「久米仙」を囲み大宴会が始まっていた。二人以外は皆「海人(ウミンチュー)」、大きな声で盛り上がる中、妙に二人は溶け込んでいた。宴も半ばを過ぎ「ほうずき」の話をきいた。

Hさんのお母さんは女学生時代、沖縄戦を題材にした戯曲「ひめゆりの塔」の舞台に立ったことから沖縄に興味を持たれ、結婚されてから何度も沖縄を訪れていた。特に久米島のハテノ浜はことのほか気に入られたようだった。

女学生時代から詩、小説を書かれ、Hさん曰く「あまり売れなかったけど・・・」シナリオを書いていて、「ほうずき」をテーマにした作品が特に、お二人の印象に残っているようだ。

翌日からお二人は、離島めぐりの旅に出られた。

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2004年11月11日

沖縄・久米島・委託散骨・・・2

証明書に添付した船長の報告

10月29日午後2時半、沖縄県久米島ハテノ浜南海上にて、K様のご遺骨を散骨いたしました。

数日前に通過した、台風24号の被害で予定していた漁船が壊れ、急遽手配した漁船で島の南東に位置するイーフビーチ近くの漁港から出港しました。

船は東の海上を目指し、白波の立つ珊瑚礁の縁を過ぎると、パステルカラーだった海面は一気に深い藍色に変わりました。当日は北風か強く吹き、遠く、ハテノ浜の北側の珊瑚礁に大きな波が砕けていました。しかし、快晴の陽射しは、とても暑く感じました。

同封した写真にあるとおり、船頭さんが焼酎「島人(シマンチュウ)」を一升瓶から豪快に撒き、ピンク色のバラの花びらの中に散骨いたしました。島唄「崎山ユンタ」などの流れる中、藍色の海中に溶けていくご遺骨が何時までも見えていて、沖縄の海水の透明度に驚かされました。

沖縄本島と久米島の間には、年間を通して黒潮の本流が流れています。ご遺骨は確実に黒潮に乗ることが出来たと思います。

沖縄が好きだった、お父様のご冥福を心からお祈り申し上げます。

平成16年11月9日
有限会社 風 

 

Kさんの娘さんからのメール

昨日、散骨証明書と写真が届きました。母も姉も涙を流してとても喜んでいました。散骨証明書は、今父の書斎の机の上に飾ってあります。丁寧なお手紙と美しい写真から、散骨の様子が目に浮かぶようでした。
真心のこもったお仕事に感動いたしました。心から感謝申し上げます。スタッフの皆様にもよろしくお伝えくださいませ。本当にありがとうございました。

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2004年11月11日

沖縄・久米島・委託散骨・・・1

久米島沖での父の散骨まことにありがとうございました。

父は沖縄が大好きで30回近く旅行していましたが、奇しくも久米島にだけはまだ行っていなかったようで、亡くなる前に「元気になったら久米島に行こう」と計画を立てていたということを、数日前に父の知人から聞き、不思議な偶然の一致に家族一同驚いていました。

亡くなる日が近づくと、父は「沖縄での散骨が大変で無理ならば富山の海での散骨でもかまわない」と言っておりましたが、父が亡くなった後に散骨について調べてみましたら、考えていた以上に散骨に対する規則が厳しいことがわかり、「海辺に行って、固形のお骨を波打ち際にただ撒いてくればいい」などと簡単に考えていた私たちは、どうしようかと途方にくれていました。

ですが、インターネットで散骨について調べていた折、貴社のことを知り、また父が一番望んでいた沖縄での散骨が可能であるとお返事をいただき、「これでパパの願いをかなえてあげることができる!」と家族一同大喜びしました。

おかげさまで、これでやっと本当に父を送ってあげることができました。亡くなった父も心から喜んでいると思います。父に代わって感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

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2004年11月11日

札幌の石橋圭子さまからの手紙

お手紙のHPへの掲載をお願いしたところ、「是非、本名で・・・」と承諾いただきました。お嬢さんの亜希美さん48歳で、7年目に再発した癌で亡くなりました。東京と札幌で大手人材派遣会社の幹部社員として活躍中でした。「とても優しい娘でした・・・」と圭子さんが仰っていました。括弧内は船長が加筆しました。

 

こちらは朝夕めっきり寒くなりストーブに火を入れています。

証明書受け取りました。23日出航できなければ、お願いして帰らねばならないと思い眠られない日を過ごしておりましたが、台風と地震の合い間をぬって海洋散骨が出来た事、主人共々、船長ご夫妻に感謝しております。

札幌でも「葬儀を考える市民の会」がありまして、海洋散骨のお世話をして下さると言って下さっていたのですが、奥様(カウンセラー)とお電話で話をしてとても暖かさを感じたもので、娘も東京へ転勤で住んでいたものですから、お願いしようと考えたのです。

主人と私の心境は、スキューバダイビングで色々な所へ行っていた、大切な亡き娘を私たちと永住したいと言っていたオーストラリアに送り出したいと思っています。本当に有難うございました。(豪州でさらに散骨を予定とのことです)

感想としては、主人も私も海洋散骨と考えております。船長ご夫妻のお話を姉と兄にしましたら、海洋散骨を望んでいると言っていました。これからは沢山の方がなされると思います。

ニセコのジャガイモと船長さんに約束してきましたのに、主人に買いに行ってもらったものですから、ニセコ産がなくルスツのがニセコより美味しいと言われたもので、ニセコ産でなくて船長さんに御免んなさいと伝えてください。(船長はニセコの近くの出身とお話しました)

姪二人も宜しくと言っていました。船上で酔いもなく本当に気持ち良く送り出せました事、船長さんに感謝しております。札幌へこられる事がありましたらお立ち寄り下さい。お礼がおそくなった事おゆるし下さいませ。くれぐれも、お体に気を付けて、お仕事なさってください。とりいそぎ、乱筆乱文にて
                                 かしこ

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2004年11月9日

父の散骨・・・1

今日、30年ぶりに父の遺骨を墓から出してきた。骨壷は黒く汚れ、中からは夥しい水が出てきた。

一昨年、熱海沖に母を散骨したので、離れ離れになっていた父の骨も同じ場所に散骨するつもりなのだ。

母が亡くなったとき、半分は散骨、半分は父の骨が入っている墓に入れて欲しいと言っていたが、お寺と揉めて母の遺骨は墓には入れてもらえなかった。その辺の事情は、前に書いたのだが、浄土真宗の信徒として檀家の責任を果たせる者がいない墓は、改葬して返してほしいというのだ。

他家に嫁に行った娘や寺の行事などに顔を出せない妹は、墓を継ぐ資格がないというのである。おまけに母の場合は、素敵な戒名を母の幼馴染の禅宗のお坊さんに付けてもらっていたのだ。

今年になって、珍しく妹とも意見が合い、父の骨を母の残りの骨と一緒に海へ還すことに決まった。

妹曰く、「やっぱり、お母さんはお父さんを愛していたんだと思う」。生前は酒好きで、飲み過ぎると人格が代わってしまう父に、母は随分苦労していたのだ。
父は、東京が好きで、江戸っ子であることに誇りを持っていた人だが、若い頃は、丹沢や穂高に登り、私たちが生まれてからは、毎年江ノ島か鎌倉へ海水浴に連れて行ってくれる自然の好きな人だった。熱烈な巨人フアンでもあり、日曜毎に、映画館へ連れって行ってもらったりもした。

53歳で階段から落ちて亡くなった父の骨を見て、その立派さに目を見張ってしまった。若く健康だったからか、30年経った今も一つ一つが実にしっかりしていて厚い。とくに「のど仏」と言われる骨は素晴らしい。がっしりと仏様の座った姿を保っていて、これまで見たどの骨よりもしっかりとして重く大きかった。あまり見事なのでそれはとって置くことにする。

父の時代には、散骨ができるとは思っていなかったが、出来るのであれば、きっとそれを望んだことと思い、今、母の骨と一緒に海に還せるのは本当にうれしい。
父の骨を出す時に手伝ってくれた石屋さんは、、感じの良い青年だったので、「ここのご住職は良くないですよね。」と水を向けると、「ここの住職は、いいほうですよ、他はもっとひどいところが多いです。でもここの住職は、我が儘なんですよね。」と言う。そして散骨について話をしていると「僕も墓には入りたくないです」と言っていた。

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2004年11月9日

台湾の四姉妹

葬儀社からの電話があったのは、丁度台風22号が近づいている時だった。何日前に申し込めば、散骨ができるのですか、という問い合わせで、こちらが空いていればいつでもできますとお応えした。

横浜在住のMさんが、臨終を迎え、そのお嬢さんたちが、台湾、アメリカ、フランスと遠方の各地から駆けつけており、すぐに帰国しなければならないのだという。

10月は1年でも一番散骨が多い月である。しかし、平日で良いということで、3日後の火葬の翌日に散骨をすることが決まった。姉妹が幼少時代を過ごした横浜の沖での散骨である。

日本語を話せる人がいないということで、少々心配だったが、故人の友だちとお嬢さんの1人は少し日本語を話された。しかし英語の方が話が通じるので、船長と助手のFに説明などを担当してもらった。

アメリカからいらした方は、フロリダ州のペンサコーラに住んでいるということで、その地名がとても懐かしく船長と話がはずんだようだ。アメリカの葬儀を調べていた時(散骨事業の準備中)に、ペンサコーラには、「ドライブスルー」でビューイング(ご遺体とのお別れ)ができる斎場があると聞いて、会社のスタッフに調べに行ってもらったことがあるのだ。フロリダでもメキシコ湾に面し、州境でニューオリンズに近い。

父親は台湾人、母親は日本人、そして子供達は台湾、アメリカ、フランスで活躍している、いかにも華僑の逞しさと、家族の結束の固さとを感じた散骨であった。一年後、また、この海上へ来ようと四人は誓い合っていた。

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