お客様の声(風の日誌)

散骨式などのエピソードを読める「風の日誌」を過去のものから全てを掲載しています。過去のものは右の目次からどうぞ。

2005年4月

2005/04/09 ショックで悲しい結果に・・・2(ピンクのハンドバッグ)
2005/04/08 野良猫のトラちゃん・・・2
2005/04/08 野良猫のトラちゃん・・・1
2005/04/07 桜と少年・・・2
2005/04/07 桜と少年・・・1
2005/04/05 委託散骨をされたNさんからのお便り

2005年4月9日

ショックで悲しい結果に・・・2(ピンクのハンドバッグ)

先日、ご自分で散骨を申し込み自死したMさんのお母様にお会いし、お話を伺った。彼女の死は、やはり、インターネットで仲間を募り、レンタカー内での練炭による自死だった。22歳の男の人が一緒だったらしい。

2月の初めに未遂があり、警察に保護されていた。インターネットを見ていた人が警察に通報したようで、彼女は警察では、「冗談でした」と言っていたそうだ。

しかし、その翌日に、わが社にメールによる申し込をしたようだ。

仕事から戻ったお母様は、彼女を叱り、初めて頬を打ったと言う。そのとき、普段おとなしい彼女が大変暴れたそうだ。

お母様は、ポツッポツッと語る。「4,5年前から働いていなかったです。そのままにしていたのが、いけなかったんでしょうかねぇ。」きっかけは、飼っていた猫が、獣医さんに行く途中、逃げてしまったことに始まっている。それから彼女の中の歯車が狂ってしまったようだ。

「友達もなく、何も言わない子だから」。彼女は、亡くなった日の1週間位前から、家を出ていたが、旅行だと思っていたそうだ。

彼女は、自分の持ち物をすべて処分していた。亡くなった時は、新しい服を着て、新しいピンクのハンドバッグを持っていた。その中には、散骨の費用42000円と散骨依頼書が入っていた。

後日、家の下駄箱から、練炭が5,6個出てきたという。

今年流行のピンクのハンドバッグが仏壇の前に置かれていた。2月末の寒い日、春を先取りするようなハンドバッグを持ち、本当は生きたかったのではないかと思われてならない。30歳になったばかりだった。

▲上へ

2005年4月8日

野良猫のトラちゃん・・・2

トラちゃんを一時あきらめ、我が家の発情期の時雨ちゃんを先に避妊手術することにした。時雨ちゃんも時期を失していたので、今年に入ってから、毎日大声で鳴き大変だったが、発情は妊娠しないと終わらないと聞いて、手術することにしたのだ。

5回目、ついにチャンス到来。うまくネットの真ん中に乗ってくれたのを幸い、船長が、紐をひっぱる。トラちゃんはネットの中で暴れるが、なんとか納まっていて、そのままケージへ。獣医さんに連絡し直行。やれやれである。

メス猫の避妊手術は、この2年で4匹目、みんな野良だった。その内2匹は、元飼い猫で捨てられたようだったから、比較的楽に捕まえられたが、トラちゃんには本当に梃子摺った。

次の日の夕方、トラちゃんは無事に退院した。お腹には6匹いたそうで、麻酔をしても結構嫌がって、先生も大変だったようだ。家に連れ帰り、庭に放すと置いておいたごはんを横目に見ながら、逃げて行った。丸2日も食べてないから、お腹をすかせていると思うと心配だった。さらに私たちに懲りてもう来なくなるのでは、というのがもっと心配だった。

一夜明けたが、トラちゃんは来なかった。大丈夫かな、手術の後でもあるし。でも、時雨ちゃんは、手術の次の日、もう飛び回って元気だったから、心配ないとは思うのだが。先生には、抜糸しなくても良い糸で、しかっり縫ってもらっている。

夕方、トラちゃんは、お腹がすいて耐えられなくなったのだろう、やってきてご飯を待っている。船長と顔を見合わせてホッとする。最近の合言葉は、トラちゃん来た? トラちゃん来ないねぇ。1食来なくても心配してしまう。

▲上へ

2005年4月8日

野良猫のトラちゃん・・・1

昨日は、夕方までトラちゃんが来なくて心配した。トラちゃんは2ヶ月位前から、家の縁側にご飯を食べに来る外猫である。

最初は、なぜかメス猫だとは思い至らず、ふらっとやって来ては、いなくなるのでフーテンのトラちゃんと呼んでいた。トラねこではない。三毛とトラが混ざったような秋の畑のような色の成猫で尻尾は長い。それからしばらくして、もしかしたらメスじゃないかということになり、しばらく性別が分からず気をもんだ。

完璧な野良だから、絶対に触らせないし、近づけば逃げてしまう。それでもガラス戸の所から中を窺い、お腹がいっぱいになるまで何度でもおかわりをする。

やがて、どうもメスらしいという結論に達した。困ったことになりそうだ。トラちゃんが来てから、いろいろな猫が、家の庭に来るようになった。ほかは皆オスのようで、ほとんどは飼い猫のようだ。百戦錬磨という感じの限りなくグレーになってしまった白猫は、漁協の所でよく見かける。うちの唯一のオス猫、糖尿病のグリは、いまだに雄として威厳を保ち、他のオスとは張り合ってみる。

さて、メスだということがほぼ確実になったトラちゃん、どうしよう。今は春。猫は受胎して2ヶ月で子どもを産む。なんとかしなければ。お腹はまだ、目だっていない。

捕獲作戦1回目、ごはんを食べているとき、首筋をさわったが逃げられる。

2回目、ケージを脇に用意し、私は完全武装、思い切って首筋を掴むが、暴れて振りほどかれる。しばらく警戒される。

3回目、作戦を変え、網とネットを買ってくる。船長が網で捕獲しかけたが、ちょっとした隙間から逃げられる。警戒して1日来ない。

4回目、縁台の上に縁に紐をとおしたネットを置き、吊り上げる作戦。いつもと違う雰囲気にかなり警戒している。しばらくその状況で慣らすことにして、その上にごはんのお皿を置く。

かわいそうでもあるし、とても無理な様な気もして、気持ちがひるむ。やめようかとも思うが、数日後に子連れで来られるのは辛い。本当に条件さえ良ければ、仔猫は可愛いから、産ませて幸せに暮らして欲しいと思うが、10パーセントも育たないであろう未来が見えている。万が一育ってもメスの不幸の連鎖が始まる。我が家では、これ以上養えないのだ。

▲上へ

2005年4月7日

桜と少年・・・2

R君のお父さん、M氏からお便りを頂ました。承諾を得、掲載します。

 

先日はありがとうございました。

当日は天候も良く暖かくいい日でした。港などもまわっていただき、感謝しています。とてもアットホームでさり気ない気配りが、私たちにはすごく心地良かったです。

子供たちは「中々感じ良かったよね」などと分かったようなことを言っていましたが、彼らなりに私たちにも気を使っている姿が、微笑ましくまた頼もしくも思えました。ピアノを弾き出した時はちょっとしたサプライズでしたが、とても心が和みました。

はじめての事でどうなるかと心配もありましたが、その日の夜の妻の言葉で、やはりやってよかったと思いました。

実は海に散骨したまさにその時に、妻には息子の姿が見えていたそうです。少しカッコつけて片手を前に翳し「じゃあ」と言って消えた息子を、静かに見送ったと私に話した妻には、さびしさと共にひと区切りをつけたやすらぎを感じました。

人にはそれぞれの思いや考えがあり、また時代や社会の常識に縛られて生きてもいます。まだまだ全体からすると少ない散骨ですが、これからますます増えていくと思います。

悲しみや寂しさは一生あるのでしょうがこの日のことはすっと心に残る出来事になりました。本当にありがとうございました。

▲上へ

2005年4月7日

桜と少年・・・1

4月になった。本当だったら、高校生になっていたはずだったR君。

4月1日の一周忌に、彼のご両親と剣道部で同学年だった3人の少年、そして愛犬も伴って、相模湾にて海洋葬が行われた。幸い春らしいお天気の海も比較的穏やかな桜の開花の声も聞かれた日だった。

ご両親の希望は、桜の花と一緒に静かに海に還したいということだけで、あとはどうして良いか分からなかったようだ。ご一緒にいろいろ考えた末、音楽も無しで、飲み物なども捧げず、お別れの言葉だけを水に溶ける紙に書き、ご遺骨の包みに付けることにした。

散骨海域の城ヶ島沖まで行く途中、何千羽というミズナギ鳥の群れに遭遇し、その中を船は進み、3人の少年たちは、春の海を楽しみながらも、R君に宛てて最後のメッセージを紙一杯に一生懸命書いていた。

桜は、蕾の枝で花屋さんに入荷するので、当日までにうまく咲かせるのが難しい。去年の松山では、三割ぐらいしか咲かず寂しかった。それで今回は温度管理に充分気を付け、前日には丁度良い具合に開いてくれたのでうれしかった。それでももしもの場合を考え、桜以外の希望も聞いて、男の子だから、青い花をということでデルフィニウムも合わせることにした。

北風を避け、三浦半島を相模湾に入ったところで、人数分に分けて水溶紙に包まれた彼のご遺灰が海に還された。穏やかな水面の淡いピンクとブルーと白の花の中、水に溶けた紙からほの白いご遺灰が静かに水中に広がり、舞いながら下りて行く。淡い色の花々だけが、遠く近く水に浮かび、それが悲しくも美しい。

あどけなさを残す顔とは対照的に、背も高くたくましい体つきになってきた3人の少年たち、その中になぜ彼がいないのか、複雑な思いでいるだろうご両親に3人は気を遣っているようだった。帰り道、1人の少年がピアノを弾き始めた。思いつくままに覚えている曲を何曲も弾いてくれて、その優しい音色にご両親は少し心を癒されたようだ。

小児癌による14歳という若さでの死に、またかけがえのない息子さんを失ったご両親には、慰めの言葉も出ない。お2人にとっては、これ以上の悲しみも、苦しみもないだろう。どんなに辛い1年、いや発病をしてからの日々も入れれば約2年間、本当にお辛かったことと思う。とても納得できることではなく、この事実を受け入れることが出来るように成るには、とてつもなく長い時間が必要だ。

▲上へ

2005年4月5日

委託散骨をされたNさんからのお便り

昨日、散骨証明書がとどきました。また、メールで写真を送っていただきまして、ありがとうございます。

綺麗なお花と、大好きだったお酒と美空ひばりさんの歌で、海へいくことが出来、きっと母も満足していると思います。

散骨の当日は、天気がよく良かったと思っていましたが、海の方は穏やかではなかったようですね。ですが、無事に散骨が済んで安心しております。

何度もしつこい位にメールをしていたにもかかわらず、お返事の早さと、対応の良さに安心して任せられると感じました。

また、今回の母の散骨を通じて、自然にかえるのもいいなと思いました。私も海へ散骨を希望すると思います。

本当にありがとうございました。

▲上へ

 

風の日誌 目次

2017年09月
2017年04月
2017年03月

2016年07月
2016年05月
2016年04月
2016年01月

2015年12月
2015年07月
2015年06月
2015年04月
2015年02月

2014年12月
2014年11月
2014年10月
2014年09月
2014年08月
2014年07月
2014年06月
2014年05月
2014年03月
2014年01月

2013年06月

2012年11月
2012年10月
2012年09月
2012年06月
2012年05月
2012年02月
2012年01月

2011年12月
2011年10月
2011年09月
2011年07月
2011年06月
2011年05月
2011年04月
2011年03月
2011年02月
2011年01月

2010年12月
2010年04月
2010年02月

2009年10月
2009年09月
2009年08月
2009年07月
2009年06月
2009年03月
2009年02月

2008年11月
2008年10月
2008年09月
2008年08月
2008年06月
2008年05月
2008年03月
2008年02月

2007年12月
2007年11月
2007年10月
2007年08月
2007年07月
2007年06月
2007年05月
2007年03月
2007年02月

2006年12月
2006年11月
2006年09月
2006年08月
2006年06月
2006年05月
2006年02月
2006年01月

2005年12月
2005年11月
2005年10月
2005年09月
2005年08月
2005年07月
2005年06月
2005年05月
2005年04月
2005年03月
2005年01月

2004年12月
2004年11月
2004年10月
2004年09月
2004年08月
2004年07月
2004年06月
2004年05月
2004年04月
2004年03月
2004年02月
2004年01月

2003年12月
2003年11月
2003年10月
2003年09月
2003年08月
2003年07月
2003年06月
2003年05月
2003年04月
2003年03月
2003年02月
2003年01月

2002年12月
2002年11月
2002年10月
2002年09月
2002年08月
2002年07月
2002年06月
2002年05月
2002年04月
2002年03月
2002年02月
2002年01月