お客様の声(風の日誌)

散骨式などのエピソードを読める「風の日誌」を過去のものから全てを掲載しています。過去のものは右の目次からどうぞ。

2005年6月

2005/06/20 天国へのメッセージ、フルートの音色
2005/06/20 四人四色 6月の合同散骨
2005/06/14 下田の海へ
2005/06/07 父の意向に添って
2005/06/03 愛犬ゴルビーの死・・・2
2005/06/03 愛犬ゴルビーの死・・・1

2005年6月20日

天国へのメッセージ、フルートの音色

独身のTさんにとって、お母様は普通の人以上になくてはならない人だったに違いない。私の妹にとっての母もそうだった。

お母様のご遺志によって、散骨することになり、それは彼女にて重大な出来事だったと思われる。散骨の2ヶ月位前に船にも見学に来られて、いろいろと話しを聞いて行かれた。会食のお店を紹介すると、そこにも立ち寄り、実際に召し上がって帰られた。

それから2ヶ月、どのような海洋葬にできるか、彼女はいろいろと悩んだのだと思う。電話も含め、何度か打ち合わせをした。花は百合を中心に白を多く。しばらくして、やはり、ガーベラも入れてほしいと。音楽は「千の風になって」。

他に何が出来るだろう。私は「天国へのメッセージ」をお勧めした。水に溶ける紙に故人への思いを書くのだ。彼女は、参加者全員に手紙を書いて貰うことにした。さらにTさんは、お母様にフルートの演奏を贈ることにした。そして「千の風になって」の楽譜を購入され、皆で合唱することになった。

新井満のCDは、歌と朗読とオーケストラとカラオケバージョンが入っているので、それに合わせ、演奏と合唱をすることに決まる。

そして当日。天気はくもりだが、海は、多少波があるが、まあまあである。だが、やはり、前日同様、海の色は最悪。でも、黒潮支流を見つけることは出来そうだ。地元の漁師から、いろいろと情報も仕入れてある。

百合も一週間前から蕾を咲かせて、何とか数も華やかにそろった。ガーベラもそろそろシーズンを終わり、最後のものを買い占めた。私も前の日から緊張している。毎回そうなのだが、1回1回が、そのご家族にとって、その故人の1回きりのセレモニーなのだ。最善でなければならないし、完璧でなければといつも思う。

清澄な海を目指し、東京湾を進む。波によっては、横揺れをし、向かい風になっては、縦揺れになる。次第にTさんは、船酔い状態になり、フルートが演奏できるのか心配になる。

海の色が変わった。セレモニーの始まりである。開会の辞を言い、彼女の挨拶になるが、船が止まると、揺れが大きくなり、Tさんは、しばし船酔いで席を立った。設置された楽譜立てが倒れてしまう。私はあわてて、脚を押さえることにした。Tさんの胃が落ち着くまで、先にCDの「千の風になって」を流す。

1曲目が終わる頃、Tさんは、戻ってきてフルートを構えた。私は、Tさんの足元で楽譜立てを押さえながら、演奏を聴き、その真摯な演奏に涙が出そうになった。彼女は、無事全曲を奏することができた。そして合唱である。コピーされた楽譜を見て、新井満の歌に合わせて皆が歌う。

故人への歌が終わり、いよいよ散骨である。銘銘に水溶紙に包まれたご遺灰が配られ、それぞれ書いてきた手紙を付ける。百合の花が舞い、水に浮かび、ご遺灰は水中に広がる。持参された日本酒を皆で献杯。海にもお酒を注ぐ。黙祷。水に浮かぶ花の周りを船は廻る。花を見つめ、人々は皆故人への思いを馳せる。
お別れの時を三点鐘が告げる。

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2005年6月20日

四人四色 6月の合同散骨

今回は、次第に参加者が増え、4家族と3名分の委託の海洋葬となった。

いつも、すべての方のご希望を訊き、花と飲み物、音楽を揃えるのだが、今回は、特にそれぞれがユニークに色分けされていた。そして、7名分の花の準備は、3時間以上掛かり、まるで花との格闘だった。

愛知県からいらしたNさん御夫妻は、医療事故でお嬢様を亡くされ、まだまだ怒りも悲しみも収まらないご様子である。奥様はお元気だった頃のお嬢様の写真を持ち、ずっと景色を見せていらした。Nさんの花は、特注の胡蝶蘭を入れ、淡いピンクと白、曲はヘイリーが歌う「アメイジンググレイス」、白ワインを捧げる。

そしてBさんご夫妻。Bさんも3ヶ月のお子さんを亡くされたのだ。亡くなられて6年が経つ。でもお2人の悲しみは、未だに大きく、涙は尽きないようだった。何種類ものひまわりを中心に黄色系の花々に小さなうさぎのぬいぐるみ。

お2人のご希望で、おもちゃもということで、自然に還るものを選び、ミニカーを重石にして沈めることにした。「シューベルトの子守唄」が流れる中、ミルクとお持ちになったお菓子類、りんごなども小さな遺灰と海に還す。

そしてWさん。ご病気の奥様に変わり、奥様の弟さんたちが代行なさった。曲は「竹田の子守唄」、花は赤いバラを中心に、ケイトウや、ガーベラ、グロリオサ、赤、赤、赤、そして白いカスミソウを少し。日本酒を捧げる。「竹田の子守唄」には苦労した。有りそうでなかなかない。定番の赤い鳥や紙風船のものは、結局手に入らず、図書館でやっと胡弓の演奏のものが見つかった。

最後に、Yさん。Yさんは79歳だったが、とてもお丈夫で、突然亡くなられたという。奥様は年が離れていたので、好きな曲など分からなかったということで、サイクリングなど自然を楽しまれていた方ということで、エンヤの曲を選ばせて頂いた。花も奥様と相談し、男性だから、ブルーと白でということに落ち着いた。そしてお好きだった日本酒も海に捧げる。

この日、風、波はまずまずであったが、海の色の汚さは最悪。ウーロン茶が腐ったようである。夏でもこれほど汚いことはめったにない。とにかく、なんとしても水の綺麗なところまで行きたい。黒潮の支流はまだ近くにあるはずである。船長は、沖の漁船群を探し、その延長線上の黒潮支流に向かう。そして、素晴らしい。この色である。この清澄さ。真っ白い飛沫。見事な藍である。

さらに、ご家族がお出でになれなかった3名のご遺灰は、体験でお乗りになった、葬儀社紹介所のSさんが、心を込めて、丁寧に一名ずつ海に還して下さった。曲は、Kさんのリクエストのドビッシー「月の光」。季節の花々と日本酒も。

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2005年6月14日

下田の海へ

伊豆の海は、関東周辺在住の者にとっては、人気の場所である。普段は、東京湾や千葉内房、湘南位しか行けない人も、1泊以上なら伊豆まで足を延ばす。

伊豆半島も近場なら熱海、足を延ばして南伊豆、西伊豆、温泉も豊富で、魚も美味しく、水の藍さも一段と濃い。海水浴に、ダイビングにセイリングに釣りに、それぞれの人が、いろいろな思い出を持っている。

私たちにとっての伊豆は、もっぱら稲取と布良だ。初めてのロングクルーズをヤマハの21というヨットで稲取目指し、GPSがなかった頃で、初心者だった船長が、稲取漁港の看板を見て、「ほら、稲取だ。」と言ったのが印象深い。
海から入る港は、皆似ていて駅のように地名など書いてないからだ。稲取では、台風に遭い、漁協の皆さんにいろいろお世話になった。

そして、布良、ここのお祭りの行列の動きが面白く、港も商売っけがなく、のんびりして落ち着く。ここでは、仔猫も拾ってしまって、仕方なくメラくんという名を付けて、当時猫御殿だった我が家の一員になった。

さて、下田での散骨である。Wさんは、旦那様が亡くなった時から、散骨は下田でと決めていた。ご主人の遺志でもある。お2人は、鯨を見るのが好きで、よく船旅をなさっていた。高知沖、小笠原、鳥島、そしてアラスカとホエールウォッチングを楽しんでいらしたそうだ。そして、下田を選ばれたのは、「東急ホテルからの眺めが素晴らしいので、是非そこから見えるところへ、」と言う事だった。

下田を希望される方は2度目だった。前回は熱海から出港し、白浜沖までだったが、風も波も悪く、岬の周りが難所で、最初から船酔いで寝たきりの若い女性は、往復3時間以上本当に気の毒だった。

下田沖は、関東近海でも、野島崎沖、大洗沖などと同じく、いつも波が高い。東京湾0.5m、相模灘1mでも下田は3m位のことが多い。そして相模灘から行くには、御子元島という難所があり、リスクの大きさはとても普段の比ではない。

今回は、地元のヨットを出して頂いたが、天気はいつも以上に心配だった。しかして、今年は、本当に運が良い。先月の柏崎といい、今回の下田も最高の日和に恵まれ、穏やかな伊豆の海を満喫する散骨となった。「トロイメライ」にのって、ご遺灰は海に還り、夏を思わせる強烈な太陽の輝きに明色の花々が青緑の水の上に映えていた。

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2005年6月7日

父の意向に添って

新潟・佐渡海峡、柏崎沖で父上の散骨を実施されたKさんからの、お便りを、承諾を得、掲載します。

冠省 

本日、海洋葬実施証明書(コンパクトで素晴らしい)、写真等、落掌いたしました。ありがとうございます。お手数をおかけしました。

5年程前、母が亡くなりました。数ヵ月後に父がぽつりと言いました。「僕の骨の一部を、生まれ故郷の柏崎の海に沈めてほしい・・・」

当時、私は気軽に引き受けてしまいました。父の死期がなんとなく予期される頃になり、本当に約束が果たせるのだろうかと、心配になりました。偶然、S葬祭のSさんを知ることになり風さんを紹介され、海洋葬を実現することができました。

遠くて不便な柏崎での催行には、大変なご苦労をおかけしたことと思います。天気にも恵まれ、なによりも船長御夫妻の暖かい配慮で、父との約束が果たせたことを感謝いたします。

いくつになっても、父を失うことは悲しいことです。父の意向に添って直葬と海洋葬ができ、胸のつかえがとれて、ほっとしています。

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2005年6月3日

愛犬ゴルビーの死・・・2

結局、無駄になった缶詰や肉は、外の野良猫に行く。野良猫はすっかり味がこえてしまった。ゴルビーは、初めはウインナーなどを食べたり、牛の缶詰などを食べたが、だんだん量は少なくなり、好みもいろいろ変化する。薬を餌に混ぜるので、なんとかその分だけでも食べてくれるとやっとほっとする。

20日位で薬が効かなくなり、咳をするようになる。さらに心臓の薬を増やす。その薬が高くてビックリ、1錠600円である。うまく飲んでくれないとさらに虚しい。3つの薬のうち咳止めは苦いのか、うまく飲ませられない。でも他の薬で、咳は止まった。

具合が悪くても散歩だけは、楽しみなようで、死ぬ7日位前までは、短くてもゆっくり歩いていた。それが帰りに歩けなくなり、抱いて帰ってきたりして、ついにあまり動けなくなった。亡くなる2日前に鶏のから揚げを一つ食べ、それが最後の食事になった。

隣のお祖母さんに、犬が死んでいるよ、と電話を貰った時も、ゴルビーが食べそうな缶詰を探して帰る途中だった。

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2005年6月3日

愛犬ゴルビーの死・・・1

5月31日とうとうゴルビーが逝ってしまった。発病から38日、15歳9ヶ月だった。

家の前で捨てられていたときは、雑種だがコロコロとして本当に可愛いオスの仔犬だった。猫王国の我が家(我社)に初めての犬である。スタッフに可愛がられ、スクスクと育ち、その後拾ったアルビーと共に病気一つしなかった。

三浦に来て、健康診断をしたときに、フィラリアが数匹いて、心臓の音が少し変だが、他はいたって健康であるということだった。毎月フィラリアの薬を飲ませ、冬の間も元気に過ごしていた。

異常が出たのは4月も下旬の土曜日だ。夜に外で何か変な音がして止まないので見にいくとゴルビーだった。苦しそうに咳をしているのだ。獣医さんに電話をするとたぶんフィラリアのせいだという。

月曜になり、病院に行き、レントゲンなど検査をし、やはり心臓のフィラリアのせいだと分かった。薬をもらい、ごはんに混ぜ、やっているうちに咳は止まった。しかし食欲がなくいつもドッグフードなどは全然食べない。犬の病気の介護は初めてだが、猫の経験から、やはり食べないのが一番怖いので、なんとか食べそうなものを探す。

高級な犬用牛の缶詰や鶏肉、チーズ、ロースハム、ウインナー、スペアーリブ、鳥のから揚げ、一ヶ月位いつもゴルビーが何を食べるかそのことで頭が一杯だった。食事にも30分から1時間は時間が掛かる。手のひらに少しづつ乗せて、口にもって行ってやらないと食べないのだ。

缶詰もいろいろな種類を次々開け、口にもって行って様子をみる。開けても食べないのが多く、高い缶詰なのに、と虚しくなる。相棒のアルビーも連られたのか、理由もなく食欲がない。こちらは獣医さんに行ってもどうしようもなく、トランキライザーを飲ませて様子を見ることになった。

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