お客様の声(風の日誌)

散骨式などのエピソードを読める「風の日誌」を過去のものから全てを掲載しています。過去のものは右の目次からどうぞ。

2006年11月

2006/11/29 キヨさんの散骨・・・1
2006/11/29 ヨットの散骨(ご遺族はカウンセラー・・・3)
2006/11/20 ご遺族はカウンセラー・・・2
2006/11/20 ご遺族はカウンセラー・・・1
2006/11/20 コスモスの海・・・2
2006/11/20 コスモスの海・・・1
2006/11/20 「わぁー すてき!!」・・・委託散骨
2006/11/20 二年前の約束(生前予約)
2006/11/20 久しぶりですが

2006年11月29日

キヨさんの散骨・・・1

キヨさんが亡くなって1年が経った。

彼女は、去年の11月突然逝ってしまった。お酒の飲み過ぎと不摂生が原因のようだ。しかし、彼女の場合職業病と言えなくもない。新宿ゴールデン街では、有名なバーのママだったのだから。

彼女との縁は猫だった。当時私たちは立川の「アメリカ村」で捨て猫を40匹位飼っており、彼女も数匹の猫の面倒を見ていた。ゴールデン街に行ったことのない私たちを、飲み友だちでライターのHが連れって行ってくれてからの縁だ。

東北で作っていた「猫ちぐら」という藁で編んだ猫用の籠をプレゼントしてから親しくなり、我が家のナンバーワンキャト「パコ」が、猫エイズになったとき、その猫を励ます会に彼女も立川まで来てくれた。友人たちが数十名集まった。

3月30日は、「彼女の誕生日」と「私たちの結婚記念日」で、毎年その日は、花を持って「フランシーヌの場合」の歌をうたいながら彼女の店、「唯尼庵」のドアーをあけるという時期が十数年続いた。

彼女は、飾らない性格で、気に入らない客は、すぐに追い返してしまうし、客は皆呼び捨てで、時に殴られ、こき使われる。店の雰囲気は、70年代そのままである。だから客もその頃青春真っ只中だった人や学生運動をしていた人が多く、作家、映画監督、女優、俳優、デザイナー、カメラマンなど自由業の人が多い。

「唯尼庵」30周年のパーティの時には、怱々たるメンバーが200人位集まり、まともなサラリーマン風は一人もいないような不思議な雰囲気のパーティだった。原田芳雄や三上寛、リリーが歌をうたい、ゴールデン街のママ達のフラメンコがあったり、他にはない妖しく楽しいパーティだった。

まだ58歳という若さで、亡くなったという電話をもらっても「嘘でしょー」と言うかんじで全然ピンとこなかった。

その葬儀の彼女の写真は、何と形容していいか、彼女らしいというより、彼女流というような、とてもユニークなもので、黒いショールに顔を包んだ彼女の片目がこちらを睨んでいるかっこいい写真だった。花いっぱい祭壇は、ストックの花が沢山使われ、バックは彼女の好きだったジャズがずっと流れていた。

詰め掛けた友人たちは、会場に入りきれず、後ろに大勢立ちながら、有名人のお別れのスピーチを聞いた。原田芳雄、高橋伴明、高橋恵子、リリー、山崎ハコ、若松孝二、根岸季衣等々弔辞は続く。

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2006年11月29日

ヨットの散骨(ご遺族はカウンセラー・・・3)

今年4月から、当社での保有船がヨットになった。前の船が老朽化したことと、エンジンからでる排気ガスが気になっていたからだ。船のエンジンの排気ガスの問題は当面難しい課題だと思う。

モータークルーザーは、確かに早く、大型でキャビンや後部デッキが広いものは、確かに散骨に適しているのだ。だが、元々ヨット乗りの船長にとって、ヨットの魅力は捨てがたく、またヨットの魅力を知ってほしいという気持ちもあったのだ。

一般の人は、一生にヨットに乗る機会がどれくらいあるだろうか。どれくらいヨットのことを知っているだろうか。日本と同じ島国のニュージーランドでは、車を持つようにヨットを持っているという。海に周りを囲まれた国だからこそ、もっと海と親しんでほしいと思うのだ。

今度の船は、42フィートと長さは前の船と同じである。キャビンも同じ位の広さだが、後部デッキは構造が違うので、居住性はかなり悪い。そのため大人数で乗るには適さないが、狭い分アットホームで仲間感覚の親密な良さがある。
ヨットであるから、本来セールを張り、風で走るのだが、乗りなれない人を乗せた場合それは難しく、よってエンジンで走ることになる。やはり軽油を使うが、スピードが出ない分燃費も良い。

ヨットの船体の半分は水面下で、中心にバラストという錘が入っているため、だるまさんのようにひっくり返っても起き上がる構造になっている。だから、少々の波や風ならかなり安全なのだ。エンジンが壊れてももちろんセールで走る。だからヨット乗りは、それで世界中に出て行けるのだ。

それでも、船に乗りなれない方やお年寄りの乗船は心配だった。
しかし、9月の合同散骨にお乗り頂いたKさんご家族に乗って頂いて、改めてヨットの良さを認識することができた。
Kさんご夫妻は、70才位で、そのお嬢様は足が不自由ということで、三崎港からの乗船はかなり心配だった。潮の満ち干でかなり岸壁と船との高さが変わってくるのだ。

その日は、天気は良かったが、次第に風が強まって波も少し高くなり始めていた。ヨットはモーターボートよりも波の小さな動きに敏感で、穏やかな時にはそれが気になるが、波が高くなると逆に動きが波のリズムにあって安定してくるような気がする。もちろんセールを張って走るように設計されているので、帆を張れば、本当になめらかに水の上をすべるように走るのだ。

ほとんどが初めてのヨット体験で、私自身が臆病者だけに、怖くはないか、気持ち悪くはないか心配しながら見守っていたが、高崎からいらした親子の方、青梅のご家族、無事散骨を終えられた。帰り道、海らしい海が良かったとおっしゃった足の不自由なお嬢様の笑顔に水との融和を感じたのだが、ヨットで散骨をする意義のようなものがはっきり分かった気がした。

最愛の故人を海に還すということは、海と友達になることなのだ。ヨットという乗り物は、自然な形でそれを教えてくれる。風の力と水の浮力、潮の流れ、穏やかさも荒々しさも海の自然で、地球の営みのひとつなのだ。散骨を望み海に還った人々は、それを教えてくれているような気もする。

11月の合同散骨に参加されたIさんから頂いた手紙からもそれを感じることが出来た。

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2006年11月20日

ご遺族はカウンセラー・・・2

十一月も半ばを過ぎて都心ではあちらこちらからイルミネーションの点灯が始まったとのニュースが聞こえてきます。黙っていても年末の慌しさはやってくるのに、一層気ぜわしさをそそられる時期となりました。

先日は、ご丁寧なお便りと一緒に、お写真をお送り戴きまして、有り難うございました。

とても素敵なおふたりの写真は、お会いしたときの温かいお人柄がそのまま滲み出ていて、家族でまた、あの日のことを話したほどです。

お便りによると、ご主人は元カメラマンをなさっていたとか、かえってそれが御自分たちの写真を撮ろうという気にさせなかったようで・・・とのお話、何となく分かるような気がしました。

私たちのために、わざわざ撮って戴き、有り難うございます。先達て送って戴いた船上での写真と一緒に、良い記念として残させていただきます。

今回、祖母の遺骨を散骨させて戴きましたが、船上でのセレモニーが始まってすぐに、海に還る祖母が、本当に安らげるのはここなのだという、確信に近い思いが湧き上がり、心から良かったと思えたことは、幸せだったと思います。

すべては宇宙、骨は海に還り魂は私たち家族と共に居き続けてゆく、そんな気持ちにさえなりました。

もしかしたらこれが本来の姿なのかもしれないとさえ・・・

散骨を終え、家に戻った母の表情からも大きな仕事をやり終えた満足感と安堵感が見てとれました。

あの時期、珍しく富士山を眺められたこと、波の蒼さ、潮の香りと塩辛さ、「故郷」もBGM、船長さんを始めとした皆さんの温かい心配り、そしてご一緒に乗船された、高崎からの母娘のおふたりとの御縁は、忘れられない記憶として残っていくことと思います。

HPに父の葉書が掲載されるそうで、楽しみにしております。

実は、私もこの春、心理カウンセラーの資格を取得し、七月からブログを始め十月下旬には手作りでHPを開設しました。文章が書くのが好きで「心」そして「心と身体」についての拙文を不定期に掲載してきました。その中に、先日の船上でのことも書かせて戴いております。もし、良かったら覗いてみて下さい。

最後になりなしたが、この度は本当にいろいろとお世話になり、また温かな心配りを頂戴しまして有り難うございました。心より御礼申しあげます。

どうか皆様、お元気でおすごしください。
益々の御発展を祈念致します。

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2006年11月20日

ご遺族はカウンセラー・・・1

前略

此の度の、母の海洋葬にあたり、船長御夫妻のお心遣いや、お世話して下さった数々、心から御礼申し上げます。

昨日、海洋葬実施証明書と、思い出に残る数多くの写真を拝受いたしました。改めて、当日を偲び、母に寄せる思いを新たにしたところでございます。

そして、「限りある命が、海に還ることによって無限に生き続ける」こんな想いを家族で確かめ合うことが出来た一日であったと、喜びあっている次第でございます。本当に有り難うございました。

叶うことなら、船長さん始め、お世話くださった三人の方々のスナップ写真でも頂けたらアルバムが更に重みのあるものになると思って居るところでございます。

皆様方の「人生の終幕」という大変尊いお仕事が、いつまでもご無事で続けられることを心から祈念いたし、お礼の言葉といたします。

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2006年11月20日

コスモスの海・・・2

立冬を迎えましたが、晩秋の色を深めてまいりました。

此度は両親の海洋散骨に関し、大変お世話になり、心より厚く御礼申しあげます。

お陰さまで父の希望でした海洋散骨を無事終える事が出来、安堵感のようなものがございます。正直申しまして、私は幼い頃、木浦の海(韓国)でよく遊んだものですが、引揚げてまいります時(13歳)玄界灘で死体の漂流、機雷等のトラウマで海が怖かったのです。

今回、風様のお陰で色々なことに気づくことが出来ました。今、大地に両足で立ち重心がしっかり定まった感じでございます。私にとりまして両親の遺骨は、ぬくもりの有るものでした。物体であることは頭の理解でして、感情は両親そのものでした。その辺の心の整理を、お導き頂ました事は、船長御夫妻のお人柄でしたことを感謝しております。

私はデーサービスや在宅福祉サービスのお手伝いをさせて頂き、折々に皆様方に海洋散骨の体験をお話申し上げ、大変感動なさっていらっしゃいます。

奥様のお優しいお心配りで、籠に盛られました美しい花の中に丁寧に包まれたお骨を、お手渡し頂き、母がよく歌いましたなつかしいメロディーに見送られ、静かに手のひらから放れ海に還りました。

天空に鰯雲、色とりどりの花が青い海にただよい、まるで大自然が織りなす花の芸術の様でございました。そして両親は祝福されているかのようで安らかな気持ちで、身も心も解き放されております時、お別れの鐘が潮風の波動に響き、生死を言葉にならない心層で感じることが出来ました。

海を愛する船長様御夫妻のお人柄を、お心の深さあたたかさを感じ「自然でいいお二人だな!!」て、出会いに感動申し上げております。またお目に掛からせて頂けましたら、幸せに存じます。

これからお寒さにむかいます。どうぞお身をお大事になさいまして、人様に安らぎをお与え下さいますよう、お祈り申し上げ、御礼までしたためさせて頂きました。

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2006年11月20日

コスモスの海・・・1

Mさんはお父様の遺言で、お母様が亡くなられてから2年後、三回忌を済ませてご両親を一緒に葉山の海に散骨された。

今回は、葉山マリーナの船のエンジントラブルで、散骨予定日を1ヶ月延期させて頂き、ご迷惑をおかけしたが、Mさんは快く変更してくださった。

最初の予定日は9月の末で、ご希望のコスモスが揃えられそうだと思ったが、コスモスは野や道端で良く見かけるが、切花で手に入れるのは以外に難しい。
逆にやはりご希望だったカサブランカも花屋さんで売っているが、蕾をうまく開花させるのが難しい。

散骨は、天候に左右されるので、花の予約も難しいのだ。それに花屋さんは季節を先取りして花を仕入れるので、実際の季節よりも早く並び、早く終わる。春などチューリップは巷で盛りの頃、花屋さんでは終わっていたりする。それでもできるだけお客様のご希望に副いたいので、いつも苦労するところである。

今回のコスモスは、2週間位前から鉢植えのものを購入し、プランターに移し、育てたのだが、移し変えたのが悪かったのか、見る見る元気がなくなり、どう手当てしても駄目だった。陽が強すぎたのか、風が当たりすぎたのか、花屋さんに聞いても分からなかった。

結局、予定も1ヶ月伸びたので、今度は前の日に何軒か鉢植えを探すことにした。10月に入り、日に日にコスモスの切花はクォリティが悪くなってきていた。コスモスは野の花のせいか、切ってしまうと扱いが難しい。花びらも繊細ですぐ汚くしぼんでしまうのだ。散骨当日まで毎日コスモスのことばかり考えていた。

Mさんの散骨前日、天気は大丈夫ということで、花を探しに行く。幸いガーデニングの花を沢山おいているところで、今年最後のコスモスの鉢植えを大量に売り出しておりうれしくなった。カサブランカも5日ほど前に買って置いたのがかなり開いていた。

散骨当日、茎から花を切ってどれくらい持つか心配で、散骨時間から逆算して準備を始めるが、どうしても必要時間があり、3時間はおいておかねばならない。でも、予想以上にコスモスは美しく、海にコスモスというミスマッチが意外な効果を生み素晴らしかった。「やはり野におけ・・・」でありながら、なんと海に映えたことか。コスモスが宇宙を表すことも散骨にマッチし、苦労した甲斐があった献花であった。

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2006年11月20日

「わぁー すてき!!」・・・委託散骨

先日は「海洋葬実施証明書」の宅急便をどうも有り難うございました。

連日、仕事で朝早くて夜遅いという日が続きましたため、この葉書を書かせていただくのが大変遅れまして申し訳ございません。

宅急便が届き、すぐに包みを開けまして、撮っていただいたお写真を拝見し「わぁー すてき!!」と思いました。

色とりどりの綺麗で新鮮なお花、それぞれの名前まで付けて下さいった遺骨、そして、飲み物やゼリーを供えて下さる様子が、送っていただいた沢山の写真から、本当によくわかり、私もまるでその場に参加しているような、気持ちの良い海の雰囲気までも伝わってきました。

また、本当にご親切なお手紙まで添えて下さり、大変嬉しく思いながら拝読いたしました。私の希望をすべてきいて下さり、こんなにしっかり、こんなにすてきに散骨していただけて私は大・大・大満足です。

実は、親戚(母の妹)も海洋散骨にちょっと興味を示し始めていますし、今後、私の友人・知人でそういう人がいたら、私は是非、風様を推薦しょうと思います。

この度は大変お世話になりまして、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

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2006年11月20日

二年前の約束(生前予約)

前略、ごめん下さいませ。

此のたびは大変お世話さまに相成りました。

又、本日は「海洋葬実施証明書」並びに写真等を、お送り頂き有り難うございます。

二年前に久里浜駅にて、奥様にお会いした時の第一印象は、好感度抜群でした故、この方の会社なら安心してお任せ出来ると思って居りました。

9月17日は、台風13号が接近して居り、少々心配でしたが、お蔭様で無事に済み安堵致しました。

故人もあの世にて「やれやれ」と、ほっとしていることと存知ます。

いろいろと細やかなお心遣いを頂き、本当に有り難うございました。

何年先にならか分かりませんが、私の時も、何卒よろしくお願い申し上げます。

先ずは、お礼までにて失礼いたします。

草々

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2006年11月20日

久しぶりですが

夏から秋にかけて、いろいろ雑用も多く、散骨をなさったご家族から頂いた沢山の手紙をご紹介できずに時間が過ぎてしまった。

その中から、いくつかご了解を得て差し支えのないものをご紹介したいと思う。

いつもお手紙を頂くと、過分にお褒め頂き、当たり前のことをしただけではあるが、気持ちが通じたうれしさは、やはり禁じえない。

それでも公に紹介するのは、何分面映く、自慢げにとられるのも嫌で躊躇われたのだが、手前味噌と受け取られるかも知れないが載せさせていただくことにした。

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