お客様の声・風の声
2011年7月

2011/07/12 6月6日に息子さんのご遺灰を散骨なさった80代のお父様から
2011/07/01 6月3日に旦那様のお父様の散骨をなさったKさんのブログ

2011年7月12日

6月6日に息子さんのご遺灰を散骨なさった80代のお父様から

前略 大量の写真、送って頂き有難うございました。
散骨は初の体験でしたが、感想を一口で言えば、大満足と云えましょう。1日早く天候に恵まれ、波も大したこと事なく、さわやかに故人を地球に返してやれたこと喜んでおります。
貴社にはいろいろ心づかいをして頂きお礼を申し上げます。写真をとって頂いたアシスタントの方も感じが良く、とりわけ船長さんの軽妙な中にも礼を失しない、いろいろな話に一日いやされた思いでおります。
息子の死は確かにショックで夫婦ともども落ち込み、私も体重が3㎏へりましたが、8日帰宅後10日になり、少し回復したようです。私はこれから今治へでかけ老人のサッカーをやって来ます。家内は卓球の仲間に励まされ、今日もでかけます。こんなことで恐らく近いうちに元気になると思いますので、どうぞご懸念なさらないで下さい。
草々

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2011年7月1日

6月3日に旦那様のお父様の散骨をなさったKさんのブログを転載させて頂きました。

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「終の棲家・・・大切なもの③」

「今日はとっても嬉しい!」、そう言って目を細めた今は亡き義父、散骨の説明をした今年2月のことだった。亀田病院のベッドに上半身を起こす形で横たわっていた義父は、窓の外に広がる海を遠くに見つめながら、心の底から、安堵と喜びを表現した。旅立ちの準備をし始めた義父から頼まれたこと、海洋自然葬(海への散骨)を手掛ける会社や航路の選定、そして予約も済ませ、その内容を具体的に義父に話したのだった。義父は生前、といっても病に伏す以前のかなり若い時分から、自分が死んだら海洋自然葬を頼むと言い続けていただけに、最後の希望がかなえられることで、悔いの残らない死後への気持ちが充満したようだった。そこには、目の前に迫る死への恐怖や不安と背中合わせに、死を乗り越えた自由な世界への夢があった。“大切な人の大切なものを大切にする”こと、それが家族の役割だと知らされた。

義父の遺言に従い、20011年6月3日午前9時半、三浦海岸沖にて、義父の海洋自然葬を済ませた。天候は、曇りだったが風もなく海は凪ており、穏やかな朝だった。浦賀マリーナから乗りこんだ船は、海上を滑るように進み、三浦海岸沖合3−4キロほど行った辺りで止まった。その辺りは、義父が魚釣りによく訪れたと聞いていた場所でもあった。喜太郎のシルクロードをバックミュージックに、セレモニーを始めた。用意してもらった義父のお骨の粉が入った白い袋を、参加した主人の兄夫婦と私たち夫婦4人が、それぞれ一つずつ、海面に放った。海面下10メートルほど沈んだ時、水溶の袋から粉骨が流れ出し、海中の東西南北、上下左右にみるみる広がった。「あっ」っと、主人も私も思わず感嘆の声を発し、「きれい!」。群青の大海に広がって行くその真っ白な義父は、まさにこの地球上の自然のひと粒として、それぞれの命へと帰って行くように思われた。私たち夫婦は、とても不思議な気持ちになり、「よかったね」と手を取り合った。花かごから花弁を蒔き、義父が最後に飲んでいたビールも蒔き、黙祷し、鐘を鳴らして別れの会は閉じられた。海面に浮かぶ花弁は、私たちを乗せた船の描く波に身をまかせて、揺れていた。主人と私は、海洋自然葬を切望していた義父の想いが、現実的な感動と共に良く理解できた。主人と私は、心の底から、平安と喜びを感じた。それは、大切な人の最後の大切なことを守ることが出来た安堵でもあった。

ところで、義父の海洋自然葬、いったいどのように、私たちはすすめることができたか。本当のところ、義父から依頼された私は、「日本では法的に赦されていないんじゃないの」と思いこんでいた。そもそも海への散骨は、1991年に「葬送の自由をすすめる会」が相模湾で実施したのが日本初とされる。法務省も「節度を持って行われる限り、法的に問題はない」との見解を示し、この20年余りの間に少しずつ定着してきているという。現に今は、自然葬を手掛ける葬儀社や冠婚葬祭会社も増加している。私は義父からの依頼に応えるべく、インターネットで海洋散骨を含む自然葬全体についての背景や現在の動向などもリサーチ・調査した上、最終的には「風」という有限会社に、義父の海洋散骨を依頼した。義父が未だ入院中だった頃からコンタクトして現状と希望を伝え、色々と相談に乗ってもらい、散骨後の今もコンタクトをとっている。コンタクトを最初にとった時点から散骨後の今に至る「風」のサービスやケアについては、次回紹介することにするが、私はこの「風」に依頼して本当によかったと大満足、既に私の海への散骨も予約してしまった程。

さて、今回で終の棲みかも終盤を迎えた。“大切な人の大切なもの”は、目に見えるものもそうでないものも、沢山教えてもらった。その中でも、特に次の三つは心にとめておきたい。まず、自分の“終の棲みかと最後の時”について大切なものは、紙に書いたり周囲に話し続けたりしておくこと。これは自分の希望や意思を貫くに留まらず、残された大切な人たちに迷惑や不破を残さないためにも必須のことだ。二つ目は、終の棲みかはどんな人にも等しく用意されているということ。これはさくらの独り言の「引越し」でも紹介したように、終の棲みかは“神様のところ”だから。そして三つ目は、信頼と希望と愛はこの世でとても大切だけど、その中で最も大切なものは、愛だということ。これは、誰のどんな法則をもってしても否定できないものだから。“千の風になって”通り過ぎていく愛、愛は死をも超えるものだと思う・・・っと、呟く、さくらの独り言。

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