お客様の声(風の日誌)

散骨式などのエピソードを読める「風の日誌」を過去のものから全てを掲載しています。過去のものは右の目次からどうぞ。

2011年10月

2011/10/06 7月23日に葉山からご家族、ご親戚がご乗船になり、散骨をなさった三田様の奥様、長男の崇さんからお手紙を頂き、許可を得て、掲載させて頂きました。
2011/10/03 7月27日にお父様を散骨されたNさんからのお便り

2011年10月6日

7月23日に葉山からご家族、ご親戚がご乗船になり、散骨をなさった三田様の奥様、長男の崇さんからお手紙を頂き、許可を得て、掲載させて頂きました。

奥様からの手紙

 いつの間にか、見上げる空には秋の雲、そしてお天気の良い夕暮時には、北のベランダから富士山のシルエットが見える季節になってまいりました。
 その節には、大変お世話様になりまして、ありがとうございました。厚く御礼申し上げます。

 早く御礼をと思っておりましたが、この様に遅くなりましたこと申し訳ございませんでした。この散骨が終わりましたら(主人の葬儀は、一般的なものと違っていたこともありますので・・・)「お別れ会」と「散骨式」が無事終えることが出来ましたことを皆様にご報告しましょうと、息子と話しておりました。お送り下さいました写真と自分達の撮りましたものから選んで、報告文を息子がまとめてくれましたので、それを印刷して、一人一人の方との思い出を思い出しながらお手紙を添えてお送りするのに大変時間がかかってしまいました。きっと主人が寂しくならないように、私に仕事を与えてくれたのだと思います。

 多くの方から「自分も一緒にその場に立ち合わせていただいたようでした」とか、「ご主人の望まれていらした通り海に還られて良かったですね」とか「度々、葉山の病院へ行くので、そこで三田さんにお会いできて嬉しいです」と、私共に励ましと喜びのお手紙を頂きまして、改めて、散骨を皆様方にお世話になりまして出来ましたこと感謝申し上げます。
 事前の細い打ち合わせは、故人を大切に思ってして下さり、献花用のお花とお酒までも用意して下さいまして(車に積んだまま船に持って行くのを忘れてしまっていましたので)思い出の音楽が流れる中のセレモニーは皆の心に深く刻み込まれるものでございました。
 水溶性の紙に包まれた遺骨は、思ったよりずっしりしておりまして、お送り頂いておりました水溶性の紙に思い出の「さくら」の歌詞を書き、切ったものを輪につなげて一緒に海に放った時は、胸に熱いものがこみ上げてまいりましたが、きっと、主人も喜んで青く清い海に還っていったと思います。自分で選んでいました「風」さんによってでしたから・・・。

 息子と一緒の御礼状と思っておりましたが、まず私から先に、遅くなりましたお詫びも含めて、御礼申し上げます。
 ベストコンディションの中、「散骨式」が無事できましたこと皆様方のお心遣いに改めて感謝し、お礼申し上げます。
 気候の変わり目でございますので、皆様ご自愛なさって下さいませ。
 最後になりましたが、「海洋葬実施証明書」も有難うございました。
 乱文乱筆にて申し訳ございません。

長男の崇さんからの手紙

 空を見上げると、今朝もあの日と同じように、真っ青なキャンパスに刷毛でサッとはいたような白い雲・・・。
 7月23日に父が大自然に還ってから二ヶ月が経ちます。その節はありがとうございました。母からもお礼の手紙が届いているかと思いますが、私からもあらためて、お礼申し上げます。とても心のこもった散骨をして頂き、私たち親戚一同にとって忘れられない一日になりました。
 今朝、目にした空や雲、あの日のような風や木々のざわめき、太陽の光、小鳥のさえずり、夜空に輝く星たち・・・。
 そういった自然に触れるたび、父を近くに感じ、父の喜ぶ姿が目に見えるようです。
 父が望んでいたとおりの旅立ちができたことに、私たち家族だけでなく、親戚一同、また、父のたくさんの友人から、「三田さんらしい旅立ちができてよかったね」と言われるたびに、やはり風さんにお願いして本当によかったと思っています。

 父は生前から趣味や地域活動を通して、山や森、海などの自然に深く親しんでいたので、最後は自分もその大自然に還りたい、と申しておりました。自然はいつでもどこでもあるのだから、自然に触れた時に、ふと自分を思い返してもらえれば嬉しいんだ、と。まだ「散骨」自体に抵抗や違和感を持つ人も多い中、父が散骨をすることに関しては、誰からもそのような言葉は聞かれず、逆に「散骨っていうのもいいね」「実は私も散骨したいと思っていたけれど、実際にそうした人が周りにいなかったから迷っていた」といった声が、一人だけではなく何人かからあったことには驚きました。また、それと同時に、父の想いや行動がそういう方の背中をポンと押してあげることができた、つまり父はいつまでも皆さんの心の中に行き続けているんだ、ということにあらためて気付きました。本当に嬉しい気持ちでいっぱいです。

 父は、人とのつながりをとても大切にしていました。学生時代からの長いつき合いの方、会社の同僚、趣味仲間、地域活動や旅先で出会った方、数え上げればキリがありません。父がこれまでにお世話になってきた多くの方々に、父の想いや旅立ちの様子をお伝えしておきたいと思い、「散骨報告」を作成しましたので、これを一部同封致します。どうぞご覧下さい。
 まだ、残暑が厳しいので、お体には充分お気をつけください。最後になりましたが、御社の今後のますますのご発展をお祈り致します。

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2011年10月3日

7月27日にお父様を散骨されたNさんからのお便り

(素朴で率直な文章に大変心を打たれましたので、お盆に頂いていて遅くなりましたが、掲載をお願いしました。彼女はお1人での個人チャーターでした。)

はじめてだらけのことの中で散骨では、大変お世話になりました。
父が亡くなり、近所から「天涯孤独ね。」という言葉を受けましたが、正直、「孤独」「さびしい」「むなしい」という気持ちは、生まれなかったと言いますか、湧くことがないです。これからは、わかりませんが、きっと前進して生きて行くのだろうと思っています。生前父から「自分に何かあったら海に撒いてくれ」と、TVを見ながらさりげなく2、3度言われたことを憶えています。その時、TVの画面は、自然の風景などが流されているときだったと思います。よくNHKの「ダーウィンが来た」や、夜中にNHKでやっている世界の情景などを、食事どきや、仕事が終わり、風呂へ入って、さっぱりしたあとの、酒のつまみ?といいますか、そのときに見ていたり、仕事している時だったりと、しょっちゅうではないですが1週間の番組をチャックしながら、自然の成り行きをTVで見ていたような時です。

それなので、急な(急な病死)ことだったので、自分自身も一時期パニック状態になりましたが、まず、奥底で、率直に思ったことは、生前の「遺言」と言うよりも、あの言葉は「願い」として、叶えることが、今の自分に出来る事とはと、四苦八苦しながらも、初めてだらけの世界の中で、父が背負ってたものが、これほどのものなのかと思い知りながらも、とにかく、「願いを叶える」ことを最優先として、散骨をして、世界に羽ばたく、旅立ち、そのように受け入れて、今を私は生きています。父は海へ旅立ち、私は陸で生きることとして。

引き継ぎなどの際、電話や窓口で「お悔やみ申し上げます」と何十回と言われましたが、心の中では悔やんでいるひまなどないと。『後悔』をまず『航海』に流すことが先であり、死んでしまった人(もの)も生きている人(もの)も明日を迎えるために今日という過去になっていく日々を、出来ることを少しずつ進めて、実行して、よりよい明日を挑むとのごとく、ただひたすらがむしゃらに手続きしながら、亡き父の散骨イコール願いを叶えられて、私は、ホッとしています。初めてだらけの私に、さりげなく、優しく親切に、散骨をするまでの、実際の現場への行き方や、現地での初のヨットのことで、薬など用意していただき、酔うことなく、楽しいひとときをありがとうございました。手元に届いた証明書も、お盆に父のそばに置いて迎えることが出来ました。気遣いのお手紙もありがとうございます。生前父はよく電話で「お墓を買いませんか?」の電話で、キッパリことわっていました。しかも無いのに「先祖の墓がありますので」と言ってました。

散骨が終わり、思い出はありますが、悔いは無いです。
やっと、家の中で職人として、靴を作り続けてた、無意識な束縛の中から、解放されたのかなと思い、辛そうな顔や、苦しい思いをしていた父の体から魂が、風になったと思えば、むしろ幸いだと思います。スタッフ様のお心遣い、船長のお心遣い、北田様のお心遣い、ありがたく受け取りました。まだまだ暑い日が続きますが、皆様のご健康をお祈りします。乱筆乱文で失礼しました。

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