お客様の声・風の声
2021年4月

2021/04/19 癌ステージⅣを5年生きて 4
2021/04/14 癌ステージⅣを5年生きて 3
2021/04/14 癌ステージⅣを5年生きて 2
2021/04/14 癌ステージⅣを5年生きて 1
2021/04/06 お客様からの手紙

2021年4月19日

癌ステージⅣを5年生きて 4
散骨の風ディレクター KYOKO

私は現在大腸癌ステージⅣで、転移を繰り返し、出来る手術はすべて済ませ、肺に転移した複数のガンを抱えたまま治療法がない状態でいる。治療を止めて1年以上が過ぎ、去年の初めには、今年の3月には駄目だろうと、親しい人にはそれとなく知らせていた。ホスピスに体験入院もしたが、不思議な事に私は凄く元気な儘だ。最初から病人らしく成ったことがなく、身体には苦痛が全くないまま、食欲は普通だが6㎏以上太った。今は、とても死ぬとは思えず、それでも先はないのだろうと思いながら、本を読んだり、ブルーレイでオペラを見たり、手芸で息抜きをしている。勿論仕事を手伝い、大まかにではあるが家事もしている。

病気の事は、先で詳しく語るので、それまでの小豆島の話をしたい。小豆島は、思っていた以上に素晴らしい島で、あらゆる魅力に溢れていた。その昔、若い頃は自然派で登山にも良く行ったが、ニューヨークに行って以来、その魅力のとりこになって、ついには住んでしまった。ニューヨークにはそれだけの人を惹きつける魅力があり、エネルギーに満ち溢れてた唯一の場所、絶対的都会なのだ。それは28年位前の話で、9.11以後はまるで変ってしまい、トランプ氏が大統領になってから、そしてこのコロナが始まって全然違う街になってしまった。

1992年日本から2人でヨットに乗り、北太平洋アラスカ周りで、北米大陸を南下し、パナマ運河からカリブ海を通り、ニューヨークまで行き旅を休んだ。何しろ私たちは、日頃から根拠なく健康に自信があった。仕事にも頑張りがきき、徹夜も厭わずエネルギッシュに働き、夜中まで飲み歩いたり、病気のことなど考えもしなかった。

その反面、やはり自然も大好きで、アラスカの氷河に魅了され、アメリカ大陸の大地、その雄大さに地球そのものの本来の姿を見て感動した。日本でもこの仕事や趣味で、全国をかなり回った。北は網走オホーツク、南は沖縄の波照間島、西は与那国、東は小笠原、日本海、瀬戸内海、東シナ海、石巻や福島、山形、金沢、鳥取、鳥羽、串本、高知、北アルプスも南アルプスも好きである。

それでも小豆島に来て住んで、本当にこの島を好きになってしまった。半日もあれば1周できてしまう小さな牛の形をした島、住人は約3000人、島の人は泥棒が1人いるというが、平和に満ちた島は、日本の中でも貧富の差が少なそうで、特別貧しい人は見ない。起伏に富んだ地形が生む景観は、寒霞渓などの名所を始め、島のあちこち見どころがいっぱいで飽きない。年に1度行われる農村歌舞伎の舞台も神社の境内周辺も面白い。「二十四の瞳」の撮影場所は、夫の子供の頃のようだそうで興味深い。かどやの胡麻油の工場がこの島にあるとは知らなかったが、土庄(とのしょう)の港の側は胡麻油の臭いでいっぱいだ。北の方の地区には醤油工場がたくさんあり、蔵の風情に情緒がある。2年に1度開かれる瀬戸内アートフェスティバルの会場に島全体がなるため、土蔵などを利用した小さなアトリエも増えている。島中央の小高い山の上には、大きなホテルと別荘地があり、森の中に点々と小さな家が建っている。最初は、その雰囲気が好きで中古の別荘を探したが、丁度いい物件がなく諦めたところ、後で聞いて驚いた。正にその時、その管理会社が倒産していたのである。それ以後、その辺一帯は、水道が出なくなった。その森は、途中から未舗装で、いろいろな動物が現れる。猿に鹿、リス、うさぎ、猪、熊はいないだろうが、あらゆる小動物がいるようだ。私たちは、海岸の石垣で狸を見つけたし、マンションの駐車場には、一度30匹以上の猿の群れが現れた。閉園になった孔雀園の孔雀もうろうろしているという。

次回に続く

▲上へ

2021年4月14日

癌ステージⅣを5年生きて 3
散骨の風ディレクター KYOKO

私の家系では、母と祖母がガンで亡くなっている。他に思い当たらないが、やはり遺伝もあるのかも知れない。なぜか男系家族で女子は短命だ。

「風」は、後継者が見つかり、夫が65歳でリタイアすることになった。東京近郊で大きなヨットを維持することは、とても贅沢な話で、私たちは、全国を日本の太平洋沿岸を廻ったときにいろいろ港を見て来たが、温暖で波が静かな瀬戸内海、小豆島が良いと思い視察に行った。オリーブの島、「二十四の瞳」で知られるこの島は、高松からも姫路からもフェリーで1時間、近所にはコンビニがあり、町にはモールもあるので、スーパーを始め生活必需品は何でも揃う。生協の配達も来るので、不自由なく暮らせそうだった。船もマンションを買えば、桟橋付きの置き場が安く使え、そのマンションも高台で海が目の前である。大きな窓が開くバスルームからも海が見え理想的な住まいであった。2DKでテラスも広く中古で値段が手頃な上、リゾート用に作られただけに共用の庭にプールまであった。難はバス停から上り坂を15分位歩く事だけだ。住んでいる人たちも地元の人より、移住して来たリタイア組などが多く、のんびりしていて土着的でないのも良かった。

東京生まれの私には、自然への憧れも強く、釣りや野菜作りも楽しみだった。話はすぐに決まり、12月の仕事に限をつけ、1月半ば、四トン車2台猫3匹の大移動を決行した。遠く長い陸路にフェリー、猫たちには大変だったと思うが良く我慢してくれた。

しかしヨットの回航は大変だった。真冬の太平洋を夫と友だちの2人で横須賀を出たが、途中御前崎の側で、荒天になり、機関の故障から船に海水が浸水し遭難、幸い無線を通じて保安庁に助けられ、船も2人も清水港に避難することができた。船は修理し、春まで清水に置くことになった。清水はヨットが盛んで、交流していた友だちも多く、いろいろ助けられたのも幸運だった。

さて小豆島、部屋いっぱいの荷物の中、やっとベッドを作り眠る場所を確保。荷物の林の中で眠っていた私は、ドスンという大きな音と共に目が覚めた。ベッドと積み上げられた段ボール箱の隙間に私が落ちたのだ。うちのベッドは、アメリカ製で普通より大分高さが有る。私は鎖骨が折れていて、すぐに救急車で地元の病院に運ばれた。引越し早々、恥ずかしい事である。横須賀に居た時にも私は何度もベッドから落ちていたが、スペースがあったせいか何のことはなく、すぐにベッドに戻り眠っていたのに。

今回は手術が必要で、高松の整形外科病院に入院することになった。特別室しか空きベッドが無く、広くて応接セットなど備わっていたが、1泊1万円であった。それでも東京に比べればはるかに安い。讃岐弁の看護師さんは皆のんびりしていて優しいが、食事の味付けが全体に甘かった。4,5日入院後リハビリは、小豆島の病院ですることになった。私はもともと丈夫なたちで、子供の頃、軽い麻疹で38℃の熱が出て以来熱が出た事がなく、病気にも掛かった事がない。しかし、40歳半ばを過ぎてから手術をするのは今回で4度目である。椎間板ヘルニアの内視鏡手術、乳がん、両目白内障、白内障の手術を除けば、手術は嫌ではなかった。それが今や手術は10回を数え、身体は傷だらけである。

鎖骨が治ってすぐ、今度は堤防から岩場に飛び降りて、尾低骨骨折だ。それは、ただそっとして治すしかなかった。

次回に続く

▲上へ

2021年4月14日

癌ステージⅣを5年生きて 2
散骨の風ディレクター KYOKO

こ私の母は、20年前腎臓ガンで亡くなった。3月3日ひな祭り、75歳の誕生日の次の日だった。東京病院のホスピスに入院し、2週間目で、前日には、食事にマグロのお刺身が出て、美味しいと言っていた。私と夫は猫のグリを連れ、前の日からホスピスに泊まっていた。

この頃は、癌と言えば死も同じ、親戚には連絡したが、誰も告知には反対で、それが当然だった時代だ。母は50歳の時、夫を事故で無くし、それから国立で小さなレストランを営んでいた。しかし、朝早くから夜遅くまで、重労働だっただけに大変で、70歳からはリタイアしてのんびりし始めたところだった。現役の頃から、時々腰が痛いと言って、しばらく近所の整形外科に通ったりしていたが、いよいよ酷くなり、別の病院で精密な検査をすると、腎臓に癌が有ることが分かった。それもかなり大きくなっていて左の腎臓を取らなければならなかった。

私たちはどうしたら良いのか分からず、プロポリスだのアガリスクだのその頃良いと言われる物を買って飲ませるしかなかった。手術は、長時間掛ったが無事に終わり、ホッとしたが、その後、放射線治療をしなければならなかった。母には癌だという自覚は無かったようで、見舞いに行くと「忙しいんだから、遠くからわざわざ来なくて良いのに」と言って、私たちの事ばかり心配してくれた。若い頃から苦労が多く、働き詰めであったが、いつも前向きで気が良く本当に優しい善人を絵に描いたような人で、美人だったのも私の自慢だった。

やがて母の癌は、膀胱に転移し、膀胱も全摘、人工膀胱になった。私たちは、どうであっても母に生きていてほしく、その手術も本人に聞かず承諾した。それが良かったのかどうか今は解らない。でも、母としても生きる事を選択しただろう。だが、余命の長さによるのかもしれない。我慢強い母も骨に転移すると「痛い、痛い」と言って、強い痛み止めを打って貰っていたが、助からないことを知り、私たちはホスピスに入ることを進めた。あちこちのホスピスを調べ、なるべく早く入れる所に手続きをした。その時点でも、まだ母に癌だと言えず、母も薄々感づいていても認めたくないようだった。しかし、いよいよ入院になると本人の自覚が必要で、私たちもついに告知せざるを得なかった。

癌だと告げても、母は納得できないという感じだった。あらためて知らされても、「何で私が」と思ってしまうのだ。6人兄弟の末っ子で、女一人、戦死した兄の他は皆長寿で、父親も90歳過ぎまで生きていたから、なぜ自分が先なのか分からないと言った感じだ。

東京病院のホスピスは清瀬市にあり、元は結核のための病院だったそうだが、部屋は個室、バストイレ付きで広く、芝生の大きな庭に出られるようになっていた。それまでいた4人部屋の病棟とは大違いで、もっと早く入れてあげられていれば良かったと、今は思うばかりである。他界して半年後、新婚旅行で行ったという熱海の沖に散骨した。

母の娘に生まれ、育てて貰った事が最高の幸せだった事に今になって気づいた。

次回に続く

▲上へ

2021年4月14日

癌ステージⅣを5年生きて 1
散骨の風ディレクター KYOKO

この1年コロナ感染者の数が増え、そこに注目が集まる昨今ですが、それ以外のいろいろな病気で、大変な思いをされていらっしゃる方が、私の周りにもおり、私自身が奇跡的に癌で生きている現在、その経験も何かの参考にと考え、私の癌の事を少しずつ書いて行こうと思いました。

私の癌の病歴は約10年前、咳が長く続いた事が切っ掛けで、レントゲンを撮ったところ、一見何も無いと思われる画像を、掛かりつけの先生がちょっと気に掛かるというので、CTを撮ると、左胸に癌が見つかりました。

それは乳がんステージⅡa、リンパや他臓器に転移はなく、ラッキーにも温存法にて手術が出来ると言われました。私は日頃から死ぬのなら癌がいいと思っていて、楽観的でしたから、がん保険に入っていて良かったと思いました。それに乳がんは生存率が高いので死ぬことは無いだろうと思っていました。入院し、手術は上手くいき、本人は気楽でしたが、先生方やスタッフの皆さんには本当にお世話に成りました。癌と聞いても大丈夫と言う私でしたが、夫には大事件で友だちに電話をしまくり、本当に生きた心地もしない位心配していました。

術後は次の日からリハビリが始まり、順調な回復でしたが、私は仕事のことが心配で心配で、5日目には無理を言って退院させて頂きました。その次の日に、私がいろいろと準備をしていた散骨があり、人には任せられない気持ちで、当然の如く船に乗って仕事をしました。本当は1週間入院していた方が良かったのでしょうが、私は完全に復活した気分でした。その後、1か月放射線治療をし、定期的に病院に通い、60代をハードに仕事する生活が続きました。

次回に続く

▲上へ

2021年4月6日

お客様からの手紙

桜の花が満開になりました
美しい季節を迎えました
海洋葬実施証明書、アルバムが
届きました

生前からの主人の希望でもありました、海洋葬
大好きなメロディーと籠いっぱいの美しい花々
それに大好物でした アサヒのビールと共に
青々と広がる美しい海の中へ遺灰が
静かに、静かに還って行く様子が、写真の中に鮮明に
写し出されておりました

奥様からのお手紙の中に
当日の様子が こと細かく記載されていて
文字を追うごとに その情景が目に見えるように浮かんで参ります
故人が一番望んでおりました海洋葬
手厚く ご丁寧に 施行していただきましたこと
心より お礼押し上げます

コロナ禍の中
どうぞ 体調崩しません様に
お元気で お過ごし下さい
ありがとうございました

お礼まで

▲上へ

 

目次

2021年04月
2020年08月
2020年07月
2018年12月
2018年11月
2018年10月
2018年06月
2018年05月
2018年02月
2018年01月

2017年12月
2017年11月
2017年10月
2017年09月
2017年04月
2017年03月

2016年07月
2016年05月
2016年04月
2016年01月

2015年12月
2015年07月
2015年06月
2015年04月
2015年02月

2014年12月
2014年11月
2014年10月
2014年09月
2014年08月
2014年07月
2014年06月
2014年05月
2014年03月
2014年01月

2013年06月

2012年11月
2012年10月
2012年09月
2012年06月
2012年05月
2012年02月
2012年01月

2011年12月
2011年10月
2011年09月
2011年07月
2011年06月
2011年05月
2011年04月
2011年03月
2011年02月
2011年01月

2010年12月
2010年04月
2010年02月

2009年10月
2009年09月
2009年08月
2009年07月
2009年06月
2009年03月
2009年02月

2008年11月
2008年10月
2008年09月
2008年08月
2008年06月
2008年05月
2008年03月
2008年02月

2007年12月
2007年11月
2007年10月
2007年08月
2007年07月
2007年06月
2007年05月
2007年03月
2007年02月

2006年12月
2006年11月
2006年09月
2006年08月
2006年06月
2006年05月
2006年02月
2006年01月

2005年12月
2005年11月
2005年10月
2005年09月
2005年08月
2005年07月
2005年06月
2005年05月
2005年04月
2005年03月
2005年01月

2004年12月
2004年11月
2004年10月
2004年09月
2004年08月
2004年07月
2004年06月
2004年05月
2004年04月
2004年03月
2004年02月
2004年01月

2003年12月
2003年11月
2003年10月
2003年09月
2003年08月
2003年07月
2003年06月
2003年05月
2003年04月
2003年03月
2003年02月
2003年01月

2002年12月
2002年11月
2002年10月
2002年09月
2002年08月
2002年07月
2002年06月
2002年05月
2002年04月
2002年03月
2002年02月
2002年01月