葬儀や散骨を巡る旅

変わってきた日本の葬儀事情や散骨の思い出も含め、連載で少しずつ紹介していきます。

葬儀いろいろ 2 / 昔の知り合いと葬儀について話す

「死」の遠さ

誰でも若くて健康な時は、「死」を身近に思わない。近親者が亡くなって、初めて「死」を思う人も多い。
先日映画の帰り、久しぶりに友だちのゴールデン街の店に寄った。そこで昔の知り合いに会った。その人は昨年、お兄さんを亡くしたという。亡くなった方は、60歳前だろうか、故郷の青森で、いろいろとお墓問題で揉めているという。亡くなった方の奥さんは鎌倉に住み、富士山の見える場所での埋葬も考えているらしい。でも、当分は自分の傍に置いておきたいのだ。
青森のことは、よく知らないのだが、日本中の方の散骨をさせて頂いたが、青森の方の散骨は記憶にない。かなり因習にこだわり、新しい物の受け入れが難しそうである。私たちの知人は、東京で最先端の仕事をしており、まだ50代前半であるが、ふと散骨の事も頭をよぎったという。だが、実行には程遠いい状況だ。

葬儀と埋葬の決め手

それまで、「死」や「葬儀」に無縁だった人が、突然その場に置かれたら、何から何をどうしたらと、本当に途方に暮れる。
病院からは、早くベッドを明け渡すように言われ、傍には白衣を着ていろいろ相談に乗ってくれる人がいる。その人の話を聞いていると、突然白衣を脱ぎ、紺の背広姿になり、葬儀社の名刺とパンフレット差し出される。あとは、言われるままに次々進んでしまった。奥さんは、悲しみに暮れるまま呆然としている。
遺書やエンディングノートがあれば、遺族の悩みも少しは減っただろう。私たちは専門家として、いろいろ彼に説明すると、彼はしみじみ言った。「兄らしくしてあげるのが一番なんだ。富士山が好きだったから、せめて富士山の見える所に、埋葬するか、散骨するか、それが一番いい。」

江ノ島から望む相模湾と富士山

(2019/12/27)