葬儀や散骨を巡る旅

変わってきた日本の葬儀事情や散骨の思い出も含め、連載で少しずつ紹介していきます。

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病気と余命

私は、現在大腸がん(直腸)ステージⅣ肝転移4回、両肺転移中である。

5年半前に小豆島に移住した。目の前が海の中古ながら素敵なマンションであった。畑を借りて野菜を作ったり、オリーブの実を積むアルバイトもし、正に理想の老後のはずだった。

しかし、主人の大腸がんが見つかり、高松の県中央病院で手術をした。朝9時から、夜中の12時を過ぎる大変な手術だった。内腹鏡で始めた手術が上手くいかず、急遽開腹になったのだ。それでも手術は成功したが、後に感染症になった。

その1年後、今度は私に大腸がんが見つかった。すでに肝臓に転移し、その数は10を超え、手術はとても無理とのことだった。はっきりとは、言われなかったが、悪くすれば余命は半年とことだろうか。

主人の時は、下痢や貧血、めまいの症状から、がんが見つかったのだが、私の時は、何となく血便かなという程度で、特に症状はなかった。

抗がん剤、食事療法

抗がん剤で、多少がんが小さくなったり、消えたりするかも知れないという状況に置かれた。当人は、ステージⅣのがんと宣言されても実感はなく、自分の事のようには思えない。その4年ほど前にも乳がんの手術をした。ステージⅡでリンパまで行ってないということで、温存法にて手術後4日で退院、5日目には船に乗り、仕事をしていた。その仕事は、どうしても私が立ち会いたかったから、病院にも無理を言った。

しかし今度は大腸がんステージⅣ 5年生存率12%である。そんな折、小豆島にある行きつけのクリニックの待合室でがんを特集した文芸春秋を見つけた。京都に食事療法でがんを完解させた先生がいるというのだ。私たちはセカンドオピニオンも兼ねてその先生の予約を取り、診察に行った。京大付属病院にいらした『からすま和田クリニック』の和田先生は真摯に相談に乗ってくれ、食事療法と抗がん剤の併用を進められた。食事は、肉製品ダメ、乳製品ダメ、玄米ときのこ、野菜、果物、大豆中心で魚と鶏肉を少し。そして梅のエキスを摂取した。

私たちは、高松の「県立中央病院」に2週間に1度、京都の和田先生の所にも小豆島から姫路までフェリーで行き、姫路から京都へは新幹線や快速電車で月2回通った。抗がん剤の副作用は、髪が抜けたこと以外は、1日2日手が痺れる程度で、普通の生活が送れた。でも、さすがに髪が抜けたときは、言いようのない悲しさで溢れた。

腰・胸・両目・鎖骨

私は、元来丈夫であった。熱がでるような病気は、三日はしか位で、痩せてはいたが、いつも元気でつい走り出すような子だった。

50歳位までは、お医者さんとは縁が無く、入院生活に憧れさえした。50代になって、椎間板ヘルニアで腰痛に苦しみ出すと、これも雑誌で偶然見つけた内視鏡の名医師を訪ね、手術をしてもらった。その後に乳がんの手術をし、両目白内障の手術もした。そして小豆島では、ベッドから落ちて鎖骨を骨折し、手術。私の場合、いつも手術は上手くいく。怖いと思ったことは、白内障くらいで、それも先生との相性が最悪で、部分麻酔の手術は恐ろしかった。

11回目の手術 1

抗がん剤を投与され、マクロビ的食事をし、半年ほど経って、検査をしたところ、肝臓に転移しているがんが小さくなり、数も大分減っていた。これなら、手術ができるかもしれない。和田先生からもそう言われ、「手術をするのなら、最高の先生が東大にいるから、紹介状を書いてあげよう」と東大の国土先生を紹介して下さった。私の症状は、ある意味画期的なものだったようだ。「あの高齢(当時66歳)で、強い抗がん剤に耐え、ここまで回復している。」東大での私の手術のカンファレンスには立ち見も出るほどで、私の名前はすっかり病院の医師たちの間で有名になってしまった。まず、肝臓を先に国土先生自ら執刀して頂き、肝臓を40%位切り取る手術。胆石もあったので、胆のうも取った。それから1か月置いて、大腸の手術。私には子宮筋腫があり、それも超肥大で、まず子宮全摘、卵巣も取る。その後大腸外科の先生に変わり、肛門の上部のがんを取り除いた。かろうじて人工肛門にならずに済み、それも本当にラッキーだった。それぞれ、8時間を超える大手術だった。

11回目の手術 2

術後の経過は良く、いつも2日目からリハビリである。入院も10日であった。術後の痛みは多少ある。1か月は痛み止めを飲みながらの生活だ。

がんが全て取れ、もう安心と喜んでいたが、半年も経たないうちに肝臓にまた転移、それからは半年毎に肝臓に転移し、大腸を含めて5度目の手術が終わり、そろそろ何かあるかなと思う5か月目に、今度は肺へ転移だった。右と左両方である。肺への転移は考えていなかったので少しショックだった。肝臓は切っても切っても元に戻るからいいのだが、肺は何度も手術できないという。手術も過去に合計10回もやっている私は、手術慣れしていて、怖くはないし、嫌でもない。すぐにでも切りたい気分だったが、まだがんは小さいから、もっと増えるかも知れなということで、主治医は「少し様子見に泳がしておきましょう」と、今月の23日まで様子を見ることになった。

肺の手術は、肋骨の間に内腹鏡を入れてやるのだが、左右別々にやるらしい。それでも私が早く手術をしたがるので、先生に散々に脅かされた。「肺の手術後は、強烈に痛いですよ。そして、あなたの場合、抗がん剤のアバスチンを使っているので、傷が治りにくく、再手術になる可能性もある」と。肝臓の手術の時に1度だけ経験したが、骨を削る結果になると、本当に絶叫するほど痛いのだ。痛いのだけは嫌、お願い、痛み止め様よろしくお願いします。

現在の生活

ここまで、病気についてざっと書いてきた。今、私の余命は分からなくなった。今年で4年生きている。本当の事を言えば、私は他の病気よりがんがいいと思い、がん保険にも入っていた。死期がはっきり分かる方がいいのだ。

5年生存率12%まであと1年だが、すこぶる元気で、食欲もあれば、ワインも少し飲み、徹夜もすれば、外国にも行く、疲れやすいが仕事は人並み以上だと思っている。おまけに増々太る。普通がんの人は痩せるのに恨めしい。

気軽な雰囲気のカウンセリング始めます

最近そんな私に出来ることとして、天職だと思っていた散骨以外に長年勉強してきたカウンセリングに力を入れたいと思うようになってきた。今までも仕事柄遺族のカウンセリングはやってきた。臨床心理士の資格さえないが、50代になって本格的にカウンセリングを学び、認定心理士の資格と産業カウンセリングの資格、ピアカウンセリングなど20年以上勉強し、人生経験も病の経験も並みではないと思う。話を聞き、人の心に寄り添うことは喜びでもある。人に起こる様々な事、喜びも悲しみも苦しみもとても他人事とは思えない。悩みや苦しみを少しでも分け合えれば、気持ちが軽くなればといつも思う。

※カウンセリングの詳細は「カウンセリング」ページをお読みください。

(2020/01/08)