癌ステージⅣを5年生きて 65

散骨の風ディレクター KYOKO

世界一美しい人 錯覚

こんな事を書くと、ついに書く事が無くなったかと思われるだろうし、誰も信じないと思いながら、夫が書いてみたらと言うので書く笑い話だ。

先日、夫の日記の事を書いた。そして前回幽霊の話も書いた。それもあって書くのだが、夫の日記の欄外に笑ってしまう事が書いてあった。「今朝、早朝の夢。美しい人!!幽霊!京子さんだー 死んだの?! で、下のベッドには眠っている京子さんがいた」と、書いてあった(うちのベッドは2段ベッドでは無いが、落ちて怪我をするから私のは低くしてある)。

夫は変人である。結婚する時、彼はいつも「世界一美しい」と人に言っていた。聞いた人は私に会って、さぞびっくりしただろう。結婚してからも「僕の奥さんは世界一美しいんだ」と自慢していた。もちろん蓼食う虫も好き好きだから、その頃彼の眼にはそう見えたのか、思い込んでいたのか。と、言われて結婚した。

私のコンプレックス

お世辞とか冗談とか思うだろうが、20歳の私は、彼は本当の事を言っていると信じた。人に言えば「騙されたのよ」「男は皆そう言うわよ」と言っただろう。母の前でも彼はそう言うが、お世辞でも娘を褒められれば悪い気はしないだろう。私もそんな事を言う男の人は初めてだった。僕の女神様とかお姫様とか書いた手紙は貰った事がある。でも、いつも大げさだなぁと思っていた。だいたい私は容姿にコンプレックスを持っていた。ブスだと思っていた。なぜか中学以来、私の親友は皆本当に美人だった。なぜか気が合う子が美人だった。それに私は美人が好きだ。その気(け)はないが、目の前に綺麗な人がいると自分まで美人のような気がして気持ち良い。小学校の時には、妹の担任の教師から、妹の方が「美人だな」と言われ、傷ついた。妹は母親似だったから、確かに可愛かった。それに引き換え、父親似と言うだけでも嫌だった。

夫の好み

とにかく夫は変わっていて、ちょっと日本人離れというか、アメリカ人に近かった。芸能文化には全く疎く、テレビや映画に出てくる人をほとんど知らないし、興味が無く、私が「今一番美人と言われている子よ」と言っても、そうは思わないらしく、時にはブスと言ったりする。例外は八千草薫さんと卓球の石川佳純ちゃんだった。最近は、若かりし頃の梶芽衣子さんが増えた。だいたい子供の頃から趣味が変わらないらしく、同じようなタイプが好きらしい。未だに小学校や中学校、高校の時に好きだった人の名前をすぐに出す。礼子さんとしおりちゃんと言う名前は皆美人に決まっていたり、「秋山さんどうしているかな」と言ったりする。「あなたと同じ74歳よ」と私は言う。

理想の花嫁

結婚する時は、私の写真集を作り、北海道の両親に送った。事後承諾である。それを見たお母さんは、「理想以上に理想的な娘さんね」と言って来たのだが、化けの皮はすぐ剥がれる。北海道の家に行って、お茶碗一つ洗わない嫁に何と気の利かない、家の娘とは大違いと思っただろう。私も一応「洗います」とか「手伝います」位は言ったのだが、「いいのよ、休んでいて」を真に受けた。私は本当に気が利かない娘だった。母の手伝い一つせず、躾もされず、挨拶一つ出来ない。女らしい事は何一つ出来なかった。それに引き換え、北田家は親の躾が行き届いており、どこに出しても恥ずかしくない。社交上手で、料理を始め家事が上手い。

そもそも私も夫も独身主義とまで言わないが、結婚するという事を考えた事がない。私は高校時代の失恋を機に、どうせ結婚なんて出来ない、仕事に生きようと思っていた。そして夫はクライマーだったから、山で死ぬと思っていた。私は同棲でよいと思っていたが、彼は山で死んだときの為に保険を掛けたいからと結婚した。

私たちの結婚

若い頃、私の頭の中には、結婚とかそういう事が皆無だった。いつも本を読み、物を書き、「人間とは」とばかり考え、「女とは」と考えた事もない。ほとんど雰囲気は男子校だったのに、「女」という事を考えた事がなかったのだ。男女平等が叫ばれ、それが当たり前で「人間である」と言う事をひたすら考え続けた。実存主義的な演劇に嵌(はま)ってもいた。

だからと言って、結婚しても今の様に夫婦一緒に家事をと考えた事はない。夫は一切家事をしない。何となく私たちの間ではそれが当たり前なのだ。私たちにとって結婚とは、家庭を作る事ではなく、2人で一緒にいる事だ。だから子供は要らない。こんなに年を取って、友だちには孫に夢中な人もいる。でも、うちは要らない、居なくて良かったと思う。私たちの子供ではろくでなしに決まっている。世間様に申し訳ない事をしたと思わないだけ良かったと思っているのだ。お陰様で好きな様に暮らし、好きな様に生きている。

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