癌ステージⅣを5年生きて 26

散骨の風ディレクター KYOKO

会社の危機

私たちは、Mと電話で話したが、要領を得ない。千葉の同業者からも電話が有り、さらにいろいろな情報を聞いた。私たちにとって、会社の品位が落ちる事は大問題だった。15年近く実績を積み上げ、評判、信用、散骨件数などは実質No.1だった。つまらない事で信頼を失い、看板にキズが付くのは嫌だった。M本人は自分から本当の事を言わない。私たちは互いの治療などで忙しく東京に行けない。そこで東京の義妹に代理を頼み、情報通の知人に会って話を聞いてもらい方針を決めた。Mとは会社の事で大きな契約や大切な事を決めるときは、相談するように取り決めてあった。しかし何の連絡もなく、いろいろな事が起こっていた。良く分からない会社との取引や大手スーパーの下請け、それに安い中古のボロボロのヨットを買い、彼と彼の両親で小型船舶1級免許を取ったりしていた。

Mの変化

夫が癌になった事をきっかけに、だんだんと彼は私たちから離れ、自分の両親を後ろ盾に勝手なやり方を進めていた。彼については詳しく書かないが、女性関係については、前からあきれていて、諦めてもいた。説教するだけ無駄で、これは治らないと思っていたのだ。人間には必ず欠点が有り、それが彼の唯一の欠点なら仕方がないと思っていた。罪を犯したり、私たちに迷惑を掛けさえしなければの話だ。

しかし人間の欲望は、どんどん広がるもので、どんな善人でも時と場合によっては、人を騙したり、罪を犯したりもする。だから私は新聞沙汰の犯罪でも、本当はこの人は悪い人じゃないのだと思ってしまう事件もある。逆を言えば「人間」は好きでも、「人間」というものを信用していない。信用する時は、常に裏切られる事を覚悟の上だ。長く生きていれば、そんな事は沢山ある。こちらの見込み違いの事もあるし、決断はいつも迫られ、決断をしなければ先には進めない。それだけ人を見る目はあるつもりだった。Mの事も驚かなかった。こんな事はいつ起きても不思議は無かったのだ。幸いなことは、傷も浅く、私たちが病気でも元気でまた復帰できると言う事だった。

戦い済んで

これは勿論揉(も)めた。私たちは、もう彼と一緒にやる気は無く、彼も生活が懸かっているから、大いに揉めた。お互いに弁護士を立て、裁判にまで行かなかったが大変だった。しかし傑作なのは、彼の弁護士が正義の味方的な高齢の好人物で、うちの味方をし、Mに説教をしてくれた。彼は自分がお金を払った弁護士に見捨てられ、丸ごと会社を私たちに返すことになった。

9月になって、夫は東京に帰り、千代田区に事務所を開いた。かつて「風」でアルバイトをしていたヨット好きのY君に手伝ってもらい、いろいろな人の協力も得て、仕事は無事に繋がり動き始めた。

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