癌ステージⅣを5年生きて 93

散骨の風ディレクター KYOKO

バルセロナの1日

バルセロナでクルーズ船の旅は終わった。船から降りるのも大勢だから大変だ。前の日の夜に船で使った費用を清算する。下船に際し、記念撮影をする人も多かった。私たちは撮影を遠慮して、スペインに入国した。スペインは、いろいろな友達が「良いよ」と言うから、南も西も中央もあちこち行って見たかった。その中で、新宿2丁目でゲイバーの店長をしていた友達が、スペインに嵌(はま)り、「シッチェスが凄くいいのよ、絶対行って」と言っていたので、ちょっと気になっていた。私は欲張りで何でも見てやろうというタイプだが、ここに来る事はもう無いと思ったが、諦めは付いていた。欲望には限界がない。すでに、私たちは人一倍いろいろな経験をしている。

船からはバスで、市内観光をした。コロンブスの塔、ランブラス通り、ガウディのカサ・パトリョ、カサ・ミラ、サグラダファミリアの外観などを見て、土産物店で絵葉書やチョコレート等を買い、一旦ホテルへ行く。荷物を下ろし、自由時間が始まる。ホテルは市街地から外れていて不便な場所だ。タクシーでサグラダファミリアの側まで行き、バルで昼食を食べた。だが、数少ない町で食べるチャンスをこの店にしたのは失敗だった。予習不足である。タパスをいくつか食べたが、店が空いているだけに素晴らしいとは言い難い。

最高の最高

いよいよサグラダファミリアだ。前に立っただけでも震えが来る。思った以上に壮麗で醸し出す迫力に圧倒される。こんなに素晴らしい建築物が他にあるだろうか。中はまた外観とは違う研ぎ澄まされた感じで、樹木をイメージする大理石の柱やステンドグラスの効果的な光で幻想的だ。ここは神秘の空間だ。今回の旅のハイライト、死を前にして、ここに来る事が出来たのは、我が人生の幸運の象徴とも言える。願いは叶う、願えば叶う。それは誰に感謝すればいいのだろう。出会ったすべての人、本の作家、生物、物、自然、時代何もかもに恵まれ、ここに来ることが出来たのだ。ここは本当にその象徴にふさわしい。天国にも通じている壮大な教会だ。夫は展示してある家具や彫刻に見とれ、足が進まない。

私たちはエレベーターで上まで行き、しばしバルセロナの街を眺め、狭い石の階段をゆっくりと降りて行く。空いていたが、途中で台湾から来た若い綺麗なカップルと抜きつ抜かれつという感じになった。螺旋階段は要所要所踊り場に窓が有り、外壁の彫刻がすぐ側から見ることが出来る。こんな事が有り得るのだ、夢の中にいるような時間だった。外に出ても現実が信じられない。興奮が冷めやらぬまま私たちは旧市街を歩いた。ここにも思い入れが有る

「風の影」に惹かれて

スペインの作家カルロス・R・サフォンのファンタジーミステリー「風の影」はバルセロナが舞台になっている。地下の秘密の場所に「忘れられた本の墓場」があり、そこで気に入った本を1冊選ぶ。そこから冒険が始まる話であり、旧市街やランブラス通りなど、町中が舞台であり、ゴシック地区の路地の隅々まで、バルセロナの魅力に溢れ、私にはその印象が強く、物語よりも町そのものが主役に感じられた。しかし、ほとんどは夕暮れから明け方の時間なので、昼間のバルセロナからは、何もミステリアスな物を感じなかった。半日の観光では深く町を見る事は出来ない。

歩き疲れて、レアール広場のカフェの屋外にあるテーブル席で紅茶を飲み、絵葉書を書いた。しかし、この紅茶の不味(まず)さはなんだろう。お湯がぬる過ぎる。船でも紅茶は美味しくなかった。紅茶を飲む文化が無いのかと思ってしまうほど酷い。1杯の紅茶でしばらく過ごしたが、建物に囲まれて回廊があるこの広場は、人がいない時間で、変に落ち着く。夕方が近づき建物の影が襲ってくる。夫は、逆光の中で、葉書を書く私を、古い一枚の絵の様に美しいと思ったらしい。夫はロマンチストなのだ。私たちは、またランブラス通りに戻り、切手とポストを探した。切手は何とか手に入ったが、言葉が良く通じず、料金が合っているのか分からなかった。出店が並ぶ通り沿いにポストを探し歩いたが、それらしいものは一向にない。郵便局もない。今の時代はメールで済み、それに早い。葉書など時代遅れで、私も最近は人から絵はがきを貰わない。私は律儀でかなり古い人だ。絵はがきを出しても喜ばないかも知れないが、お土産代わりに書く。私たちの方が先に日本に着いてしまうのに。

最後のスペインの食事は市場で食べる事にした。市場の奥は、屋台のようなカウンターの店が連なり、いろいろな物を少しずつ食べられる。でも、ここもすでに観光化していた。値段は安くないし、食べ物も今一だった。今回の旅は、食事に恵まれなかった。私たちは、市場のチーズ屋さんで美味しそうなチーズを買い、タクシーでホテルに戻った。ポストは結局無かったので、仕方なくホテルのコンセルジュにチップを渡して頼んだ。

ヨーロッパのストライキ

ホテルでは大変な知らせが待っていた。明日、バルセロナは朝5時から「独立賛成」のストに入る。バルセロナはスペインから独立しようとしているのだ。5時前に空港へ行かねば、バスや電車がストップし、混乱が起きる。皆大慌てで荷造りをする。朝、3時半起きか。ヨーロッパでは、「地下鉄のザジ」ではないが、こんな事はしょっちゅう起きるのだ。

翌朝、急いだので、冷蔵庫に昨日買ったチーズを忘れて来てしまった。夜明け前のバルセロナ空港は大混雑で、どこに並ぶかも難しい。朝食代わりに小さい青いリンゴとパンを貰ったが、丸かじりしたリンゴが今回一番美味しかった。

再びマドリッド経由で日本に帰るが、イベリア航空のエコノミーの座席は狭すぎて耐えられなかった。窓側2席なのは良いが、こんなに狭いとは。一列前の非常口の席は1席空いていた。私が辛い辛いと言うので、夫はキャビンアテンダントに頼み、私を前の席にして貰った。夫も1人で2席だからいくらか楽になったと思う。

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