風の中の私 24

──やっぱり懲りない書く事は──

サンフランシスコのサンクスギビンデー

シアトルを出て、次はゴールデンゲイトブリッジの下を走り、サンフランシスコの端、サウサリートに舫いました。そこで日系のミニコミ誌の取材を受け、彼らを通じて、日経3世のMさんと知り合いました。11月の第3木曜日は、サンクスギビングデーです。この日は、クリスマス以上にアメリカ人には大事な日で、家族が揃ってパーティーを開きます。私たちはM家のパーティーに招待されました。私たち以外Mさんの仕事の関係の日本人が2人招待されていました。私は、シュークリームを作り、お土産に持って行きました。船にはオーブンがあるので、頂き物のお礼などには、よくシュークリームを作りました。日本から持って行ったお菓子作りの本を見て、リンゴがあれば、アップルパイを作りました。海の上にはケーキ屋さんが無いので、粉と卵で作れるシュークリームは嬉しく、美味しかったです。船の上のガス台やオーブンは船の傾きに合わせ、真直ぐ上を向いているので安全です。でも、荒れた海では、電子レンジが便利でした。大きな発電機を積んでいたので、軽油でエンジンを回せば、電気が出来ました。温かいお湯も出るので助かりました。アラスカの夏は短く、9月の後半になるとオーロラが出て、冬の気配でした。朝起きて、舫いロープが凍っていてほどけない事も有りました。ロープは沸かしたお湯で氷を溶かし、ほどきましたが、風が冷たく、外に出たくなかったです。中には灯油のストーブが有り、温かいのです。夜は羽毛のシュラフで寝ました。朝、そこから出るのは勇気がいりました。

M家のパーティは本当に楽しいものでした映画やテレビでしか知らないホームパーティを体験できるなんて本当に幸せでした。まず、七面鳥の詰め物焼きが出て、家長が切り分け、クランベリーソースを掛けて頂きます。このソースが美味しく、初めての七面鳥もとても美味しかったです。中にポテトや野菜が入っていて、それも美味しいのです。食後は、子供たちのアトラクション、Mさんには1男2女のお子さんが有りました。最初は長女のハワイアンダンスでした。2番目のお嬢さんは、ピアノを演奏し、末っ子の男の子はブレイクダンスでしたが、本格的で凄かったです。さすがアメリカの子は、気後れせずにアピールするなぁと思いました。とてもラッキーな体験でした。アメリカ人ばかりのパーティでは、英語に疲れるので、あまり楽しめません。アメリカ人でもカナダ人でも、元教師とか、教育のある方は、日本人に分かる易しい英語に直して話してくれるので、助かります。小さな子供の英語が一番大変でした。アメリカ村にいた時も、小さな男の子がいつも「ハーイ、ジュジュ」と言っているのが何だか分かりませんでしたが、今思えば、「How do you do ?」だったのかなと思います。それで、黒人の子供などは、生意気で、英語も喋れないのかと馬鹿にされ、へたな英語をまねされ、「You are Engrish is ※※※」と笑われます。

日系3世にもなるともう完全なアメリカ人ですね。Mさんも第2次大戦中は、収容所とかで大変だったのだと思います。前に会った日系2世の方に当時の話など少しお聞きしましたが、皆さん今は社会的地位も得て、裕福に暮らしていらっしゃいますが、さぞ苦労なさったのでしょう。家族が集うパーティというのは、温かくて本当にいいですね。日本ではお正月でしょうか。でも、コロナでなかなか故郷に帰れない方が多く、寂しいですね。

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