カウンセラーの手記

友人の死

今晩(7日)6日の朝に友人のOさんが亡くなったと知らせがあった。確か73歳だったと思う。彼とは25年以上前からの飲み友達だった。その頃は、仕事帰りに行きつけの荒木町の居酒屋でよく会った。あんなに変わった人は見たことがない。最初に会った時、大きな丸テーブルに座り、主人と話していると挨拶もなく、いきなり人の話に入ってくる。彼は慶応大学で全学連にも居たらしく、自衛隊にいた主人とは話が合わない。私もいきなり「おい、ブス」と言われたが、その事よりも私は、主人の事を散々悪く言われたことに腹が立って、何て嫌な奴だろうと思った。しかし、2回目に会うと何の話で気が合ったのか、1回目とは全然違う印象で、逆にとても好きになってしまった。彼の性格が垣間見えたのだ。

店の迷惑

多少離れた席に座っている人にも「社長、社長と偉ぶるな!」とか、「ブス」はたいていの女の子への呼びかけで、カップルには遠慮なく、「お前たちいつやったんだ?」とか実に傍若無人だ。しかし本人は至ってシャイで、褒めると下を向いて小さくなってしまう。沖縄や奄美大島が大好きで、いつも泡盛のお湯割りを飲み、つまみはほとんど食べない。他のお客さんは、接待や上役一緒の会社のグループ、有名作家、有名画家、有名シェフ、芸能人等様々なお客が来て流行っている店だけに、ご主人は、「いやーOちゃんにも困ったものだ」と愚痴をこぼしながらも彼をとても気に入っていた。ある時、粋がった若い人に態度を注意し、実際喧嘩が始まった。暴力が嫌いな彼の代わりに主人が外へ出て相手になり、私も暴力沙汰になるのが心配で外に出た事がある。その時は、私が仲裁に入り、その若い客に散々長々と説教をした。すると突然土下座して泣いて謝り、素直に店の中に戻り店主にも謝ったのでホッとした。でも実際、私も興奮していたのだ。Oさんはそんな時、こそこそ逃げてしまったりする。臆病で小ずるい所もあり、実に天然で子供のような人だった。あんなに純粋な人が居ただろうか。裏表がなく、思った事をすぐ言い、嫌なことは嫌という。それでも気を使って時々は「おい、ブス」と言った後「でも京子ちゃんはいい方だよ、可愛いとこがあるよ」などと突然持ち上げたりする。

漫画の主人公

長髪で髭を生やし、鼻が高く眼鏡を掛けていて、大手出版社に勤めていた。言いたい放題の彼がサラリーマンをやっているとは、とても信じられなかった。歯に衣着せぬ物言いは、会社でも変わらなかったらしく、同僚にはあまり好かれていないようだった。でも、そのキャラクターが社長に好かれていたらしく、定年近くまで勤めていた。漫画家のジョージ秋山にも好かれていて、彼の原稿取りは勿論、彼の漫画にも時々彼が登場していた。「釣りバカ日誌」の北見けんいちさんも店の常連で、彼もその店のご主人の事を書き、Oさんも登場してくる。本当に愛すべき人だった。

横山大観と並ぶ祖父

お祖父さんは有名な日本画家で、近代美術館や雅叙苑にも絵が保存されている。主人はカメラマンだったので、彼が祖父の事を本にするという時、一緒に写真を撮りに同行した。私も1度富山まで彼らの車の旅に同行した。運転の出来ない彼は、車中、「北田悪いな、北田悪いな」と何度も繰り返した。その時、木賃宿のような所に泊まったのも彼がいたからで、面白い経験だった。彼は、それまでにも沖縄に旅した本を2冊書いていた。沖縄の人や文化や自然がとても好きで、いろいろな年寄りと友だちになったようだ。それで2人の息子と一人娘には沖縄や、奄美に因んだ名前を付け、ある夏休みには、2人の息子を宝島にいる友人に預け、島という文化や綺麗な海を体験させるという教育をしていた。一人娘にはめっぽう弱く、彼女のハンカチを見せてくれたりするくせに、こちらから娘さんの話をすると、また小さくなってしまう。

病院での再会

行きつけだった荒木町の店「桃太郎」のご主人は、その人柄が魅力で、多くのファンがいた。やはり飾らなくて気っ風のいい彼も本当に大好きだったが、9年前74歳で亡くなって、うちの仕事に賛同していた彼の遺骨は10月30日に、城ケ島沖に散骨した。彼が居なくなってからお店にも行かず、Oさんともご無沙汰だった。昨年の暮れ、奥さんから連絡があり、入院していると言うのでお見舞いに行った。すっかり痩せて元気が無かったが、私たちが行くと笑顔も見せた。お酒はすっかり嫌いになり、今は甘い物が好きなのだという。でも、看護師さんの言う事は全然聞かず、やはり「おい、ブス」などと言って、文句ばかり言っているので、あまり積極的に世話もされず、奥さんも大変そうだった。私はいつも彼女には、脱帽だった。Oさんは好きだけどとても一緒に暮らせないと思っていたからだ。彼女は彼の純粋さに惹かれていると共に尊敬さえしているようだった。彼女もキャリアウーマンで、家族の健康にもとても気を使う人だ。新年開けて退院してから、ほとんど食事をとらなかったらしい。病名は良く分からなかったが、糖尿病が大分進んでいたようだ。年末に会った時には、「元気じゃない、まだ当分大丈夫だよね。」などと主人と話していたが、とても寂しい。

(2020/02/08)